「もっと大きくなったらできるです」
「玄信様みたいに強くなって、聖様のお仕事をお手伝いするです」
しかし、蘭丸と菊丸はキラキラした目で玄信を見た。
玄信は「修行に励みなさい」と言っただけだったが、その顔はどこか気恥ずかしそうでもある。
聖と桜火が小さく噴き出し、凜花もつられてしまう。
「厳しい玄信もこいつらの純粋さの前では形無しだな」
「からかわないでください」
「そう言うな。こいつらにとってはお前が目標なんだ。たまには稽古でもつけてやれ」
「……御意」
「稽古ですか?」
「玄信様が教えてくれるですか?」
「聖様のご命令だ。今度、稽古をつけてやる」
「わぁーい!」
ため息交じりの玄信に、蘭丸と菊丸は大喜びで凜花のもとにやってきた。
「蘭たち、もっと強くなるです」
「姫様をお守りするです」
「うん、ありがとう」
ふたりのおかげで、凜花の心が和んでいく。
少しして料理屋を出ると、蘭丸と菊丸の希望でお菓子を買いに行くことになった。
ふたりは『雲飴』というものが大好物らしく、聖に買ってもらっていた。
見た目は薄い水色で、雲のようにふわふわである。綿菓子によく似ているが、食感はまったく違うのだとか。
彼が凜花にも買ってくれたため、凜花は恐る恐る口にしてみた。
「んっ……! なにこれ、シャリシャリしてる……!」
どう見ても綿菓子のようにふわふわなのに、口に入れた瞬間に見た目に反した食感が広がっていった。
砂糖のような、かき氷のような……。とにかく、シャリシャリとした食感なのだ。
「それなのに、優しい味っていうか……甘いけど、いっぱい食べたくなっちゃう」
「天界の子どもたちに一番人気のお菓子なのだ。甘くておいしいだろう?」
「うん! ……あっ、はい」
「言い直さなくていい。むしろ、凜花の余所余所しい話し方は少し寂しいからな。今のように普通に話してくれる方が嬉しいんだが」
「えっと……じゃあ、善処してみます」
聖が嬉しそうに微笑み、凜花の胸の奥に甘い感覚が広がっていく。
甘ったるくて優しいそれは、まるで雲飴のようだった。
凜花を見つめる彼の目があまりにも柔和で、凜花はどぎまぎしてしまう。
時間は、優しく穏やかに、ゆっくりと過ぎていった。
その後、眠そうにし始めた蘭丸と菊丸は、玄信たちが連れて帰ることになった。
「五百年ほど生きているとはいっても、やっぱりまだまだ子どもだな」
「五百年!?」
聖がなにげなく零した言葉に驚くと、彼が目を小さく見開いた。
「ああ、言っていなかったな。龍というのは人間よりも年を取るのが遅いんだ」
「そうなんです……あ、えっと、そうなの?」
わざわざ言い直す凜花に、聖がクスッと笑う。
「俺は人間で言うと、二十代前半くらいに見えるだろう? だが、実際には二千年以上は生きている」
「にっ……!」
「桜火はもう少し若いが、俺とそう大差はない。玄信に至っては、四千年ほど生きているはずだぞ。人間の十五年が、龍の千年というところだろう」
龍というのは、見た目と年齢が比例しないらしい。
ただ、凜花の思考の範疇を超えた話に、頭がついていかなかった。
「龍は、一番力が強い時期に外見の成長が止まる。俺や玄信の場合は今がそうだ。蘭丸たちはまだいつになるのかわからないが、桜火は近いうちにそうなるだろう」
こうして話していると、玄信や桜火、蘭丸と菊丸の龍の姿は見たことがなくても、自分とは違うのだと思い知る。
「その後は緩やかに年老いていき、五千年ほどで急激に力が弱まって永遠の眠りに就くのだ」
「そんなに生きるなんて……」
人間の寿命は、せいぜい百年もない。龍の寿命はその五十倍と考えると、気が遠くなりそうだった。
そもそも、龍神である聖のつがいであっても、凜花は人間である。平均寿命まで生きられたとしても、彼にとっては数年程度に感じるのではないだろうか。
「心配しなくていい。俺と契りを交わせば、凜花の寿命は俺とともに過ぎていく」
まだつがいになるかもわからないのに不安を抱くと、聖が優しい笑みを浮かべた。
「どういうこと……?」
「つがいの契りというのは不思議な力があるんだ。龍と番った人間は、その龍とともに一生を終える。ふたりで共に眠りに就くのだ」
そんなことがありえるのだろうか、と凜花は首を傾げた。
しかし、もしそれが本当ならば、〝死〟というものに対する恐怖心はなくなるかもしれない。
それでも、まだ彼のつがいになることは考えられなかったけれど。
「そろそろ戻ろうか」
街を回りながら話しているうちに、いつの間にか橋のところに戻ってきていた。
やっぱり、ここは渡月橋とよく似ている。
「凜花、見てごらん」
「わぁっ……!」
凜花の肩を引き寄せた聖が、凜花の体をくるりと反転させる。
彼に手によって振り向く形になった凜花は、視界に飛び込んできた景色に感嘆の声を上げた。
「綺麗……」
大きな夕日が見え、川が夕焼けに染まっていた。
オレンジ色が差す街は、昼間とは違った美しさがあった。
天界の空は下界となにも変わらない。
昼間は青く、日が暮れると藍色に、太陽や月、星だって見える。
けれど、今目の前に広がっている夕日は、天界に来てから見た中で一番綺麗だった。
「凜花に贈り物があるんだ」
「え?」
「気に入ってくれるといいんだが」
聖が着物の袖口に手を差し入れたかと思うと、かんざしが出てきた。
「可愛い……凜の花だ」
「凜花に似合うと思ったんだ」
桜火がお団子に結ってくれた髪には、鈴飾りのついたかんざしが挿してある。彼がそれを取り、凜の花のかんざしを挿した。
「やっぱり、よく似合う」
聖が幸せそうに微笑むと、凜花の胸の奥ときゅうっと戦慄いた。
「私……こんなことしてもらうのは初めてです……。こんな風にお出かけしたり、みんなでおいしいものを食べたり、贈り物をもらったり……。こんなの、私にはもったいなくて……」
「凜花は苦労してきたんだな」
そう言われて、凜花は困惑と喜びでどうすればいいのかわからなかった。そんな凜花の姿に、彼の瞳が悲しげに揺れる。
「だが、そんな風に思う必要はない」
けれど、その双眸はすぐに力強い意思を浮かべた。
「凜花は俺の大切なつがいだ。贈り物も愛情も、これからいくらでも捧げよう」
贈り物なんて別にいらない。
ただ、ずっと誰かに必要とされたかった凜花にとって、愛情はなによりも欲していたものかもしれない。
自分の気持ちを上手く表現できないけれど、聖の傍にいたい……と思う。
彼の笑顔をずっと見ていたい……と。
今日一日で、聖との心の距離が近づいた気がしたからなのかもしれない。
まだ芽生えた感情の名前も知らないのに、凜花は彼に対して確かにそんな風に感じていた。
凜花が天界に来てから一か月以上が経った。
その間に外に出たのは、街に下りた二回だけ。相変わらずひとりで外に出ることは叶わず、屋敷や庭で過ごす日々を送っていた。
天界に来る前なら、こんな生活には耐えられなかったかもしれない。
しかし、傍には常に桜火と蘭丸たちがいてくれる。だから、暇を持て余すようなことはなかった。
屋敷の中ではかくれんぼをしたり、庭に出ては花を愛でたり果実を食べたり。下界にいたときには考えられないような生活だったが、これが意外にも楽しかった。
テレビやネットどころか、スマホも天界では使えないと知って解約してきてしまったため、これまでに暇潰しとして使っていたものはなにもない。
それでも、そういったものを恋しいと思うこともなかった。
唯一、スマホがあれば……と思うことはあったが、ネット環境などない天界においては持っていてもおもちゃ同然である。
もともと友人がおらず、仕事以外で連絡を取るような相手もいなかった凜花にとっては、スマホもなければないで気にせずにいられるものだった。
「姫様―、聖様が帰ってきたです」
「お出迎えするです」
庭で蘭丸と菊丸と遊んでいたとき、ふたりが急になにかの気配を察するように笑い、玄関の方へと促した。
「蘭ちゃんと菊ちゃんって、聖さんが帰ってきたらすぐに気づくよね? どうして?」
蘭丸たちを追いながら、後ろから問いかけてみる。
「龍は気配でわかるです」
「主の気配は特にわかるです」
よくわからないが、龍同士だと感覚でわかるということらしい。
今度、聖か桜火に訊いてみようと考えると、前から彼が歩いてきた。
「ただいま、凜花」
「おかえりなさい。今日は早かったんだね」
「ああ、仕事が片付いたからな。たまには凜花とゆっくりしようと思って」
玄信から、聖がとても忙しい人であるということは聞いている。
そうでなくても、龍神である聖が普通の人よりもずっと多忙なのは、種族こそ違えどなんとなく理解はできる。
それなのに、こうして早くに帰ってきてくれて、自分と過ごそうとしてくれる気持ちが嬉しい。そう感じた凜花は、素直に笑みを零していた。
聖は凜花とふたりきりで過ごすつもりだったようだが、蘭丸と菊丸にせがまれて四人で庭に行くことになった。
蘭丸たちは落ちていたハクの実を拾い、籐のカゴに入れている。
どうやら、料理係に頼んで砂糖で煮詰めてもらうと思っているらしい。
「お砂糖と煮詰めるとおいしいです」
「お餅につけて食べるです」
いわゆる、ジャムやコンフィチュールのようなものになるのだろうか。
お餅と合うのかはさておき、天界の食文化は日本食にとても近く、凜花にとってはそれがありがたかった。
ここで出てくる料理が癖のあるものばかりだとしたら、下界が恋しくなっていたかもしれない。ところが、雲飴を始めとして、出てくる料理は和食に近かった。
これは嬉しい誤算である。
凜花はもともと好き嫌いがほとんどないが、和食を好んでいた。
天界全体のことはわからないが、この屋敷で出てくるものは慣れ親しんだ味付けに近いものが多い。そういった意味ではひとつ安心材料ではあった。
「下界が恋しいか?」
「え?」
蘭丸と菊丸から少し離れた場所にいた凜花は、拾った三つのハクの実を抱えるようにして聖を見上げた。
彼の瞳は真っ直ぐだったが、そこには不安と心配の色が浮かんでいる。
少し考えたあとで、凜花は首を小さく横に振った。
「もし向こうに帰っても、頼れる人はいないから。両親も友達も……。仕事はまた探せるけど、私を必要としてくるような人はいない。だから……」
両親はともかく、友人がいないのはきっと自分のせいでもある。
確かに、友人ができにくい環境下に置かれてはいたが、それだってもっと努力していればなにかが変わっていたかもしれない。
そういった部分を怠ってきた自覚はあったため、この言い方はずるい気もした。
「もしよければ、聞かせてくれないか。あの日、凜花の魂があんなにも傷ついていた理由を」
それがいつのことを言っているのか、すぐにわかった。
聖と嵐山の池で出会ったときのことだろう。
凜花はわずかにためらいつつも、彼を見つめる。
優しい眼差しの聖が、興味本位で尋ねているわけではないのは伝わってくる。
戸惑いを抱えつつも、彼に聞いてほしいと思った。
ずっと誰にも言えずにいた、胸の内を――。
凜花が両親を亡くしたのは、五歳のときだった。
ある日曜日、親子三人で動物園へと出かけ、楽しい一日を過ごした帰り道のこと。
対向車線を走っていたワゴン車が、急に凜花たちが乗っていた車に突っ込んできた。
凜花とともに後部座席に乗っていた母親は、咄嗟に身を挺して凜花を庇った。
父親も大怪我を負って病院に運ばれたが、両親は程なくして息を引き取った。
ただ、凜花はこの頃の記憶が曖昧で、事故のこともよく覚えていない。
恐らく、精神的なショックも大きかったのだろう。
交通事故で両親を亡くしたということ以外、ずっとなにも知らなかった。
のちに、高校を卒業するまでお世話になっていた児童養護施設の職員から、施設を出る直前に詳細を聞いたのだ。
児童養護施設は、凜花にとっては息苦しい場所だった。
生きる場所があったのはありがたいことだったのかもしれないが、施設の職員に疎ましがられていた凜花にとって居心地が好いとは言えなかったからである。
これからひとりで生きていくのは不安だった反面、それでもようやく施設を出られることに当時は心のどこかで安堵感もあった。
そして、就職先のハヤブサ便で出会ったのが凜花よりも四歳年上の茗子だった。
美人で勝気な性格の彼女は、気が強そうな見た目とは裏腹に優しく接してくれた。
なにもわからない凜花に、業務を一から教えてくれたのは茗子である。
わからないことがあれば丁寧に説明して、ミスをしたときにはなにがいけなかったのかを教えてくれ、理解できないでいると根気よく伝え直してくれた。
凜花にとって、茗子は両親以外で初めて頼れる存在となり、彼女も凜花をとても可愛がっていた。
茗子の態度ががらりと変わったのは、凜花が仕事を辞める半年ほど前のこと。
最初は無視をされ、その理由がまったくわからなかったが、半月ほど経った頃に彼女に『なにか気に障ることをしたのなら謝りたい』と言うと怒鳴りつけられたのだ。
『この泥棒猫!』と……。
ドラマでしか聞いたことのないセリフを、まさか自分が浴びせられる日が来るとは思ってもみなかった。
しかも、心当たりがまったくなく、凜花の戸惑いは相当のものだった。
そんな凜花に、茗子は付き合っていた恋人から『凜花ちゃんを好きになったから別れたい』と切り出されて振られたことを、心底悔しげに口にした。
彼女の恋人は一流企業に勤めており、それをよく自慢されていた。
凜花は、幸せそうな茗子を羨ましく思ったことはあったが、彼女の恋人には数回しか会ったことがなく、連絡先も知らない。
茗子に紹介されて何度かふたりと食事を共にしたことはあったが、それだって毎回彼女に誘われて同行していたようなものである。
茗子の手前、できるだけ愛想よく振る舞ってはいたものの、彼女の恋人とはふたりきりで話したこともなく、好きになられる理由もない。
だから、ある日突然始まったいじめの原因を知っても信じられなかった。
ところが、数日後にはそれを証明するように、彼女の元カレが会社の前にいた。
その日は、幸いにして茗子は休みだった。
『君を待ってたんだよ。前からいいなって思ってたんだ。よかったら、俺を恋愛対象として見てもらえないかな』
凜花はもちろん断った。しかし、彼がそう言っていたことを、現場を見ていた茗子の取り巻きが彼女に報告したらしい。
茗子のプライドの高さは、同僚なら誰もが知っている。事情を知った彼女がどういう風になるのかは、想像に容易かった。
以来、無視だけにとどまっていたいじめが、ヒートアップしていった。
私物のポーチを、汚水が張られたバケツに浸けられていた。
アイシャドウが粉々に割られていた。
一か月の間に、制服を二度も弁償することになった。
自転車のタイヤに釘を刺されていた。
いじめがつらかったのはもちろんだが、裕福とは程遠い凜花にとってこれらの被害による出費はとても苦しく、生活を圧迫した。
それでも、ただ黙って耐え抜いた。
きっと、いじめなんていつか終わる……と一筋の希望を信じて。
両親どころか身寄りもいないことで、学生時代にもいじめを受けてきた。
最初は小学生のとき。
持っている私物のほとんどが誰かのおさがりで、ボロボロだったり他人の名前が記されていたりしたことをからかわれたのがきっかけだった。
泣けばヒートアップし、みすぼらしい服を嘲笑うクラスメイトが増えていった。
担任に話せば『みんな凜花ちゃんと仲良くしたいだけ』と言われ、施設の職員に言えば面倒くさそうにされた。
凜花のいた施設の職員たちは、あまり仕事熱心ではなかった。
暴力こそなかったものの、周囲よりも鈍くさく泣き虫の凜花を疎ましがり、凜花がなにかを言うたびに煙たがった。
さらには、施設の子どもたちも大人を真似るように凜花を仲間外れにするようになり、学校ではいじめを助長させるようなことを言ったりもした。
子どもは無邪気で残酷である。
施設の職員たちが凜花を疎ましがる姿は、同じ施設で育った子たちにとっては日常的な光景になり、いつしかみんなが凜花を蔑むようになった。
いじめというのは、ターゲットになる者がいる間は自分には被害が回ってこない。
そんなこともあってか、同じ施設に住む子どもたちも常に凜花を笑い者にした。
凜花は、頼れる大人にも出会えず、ただ耐えるしかなかった。
不幸中の幸いだったのは、施設でも学校でも暴力は振るわれなかったことである。
仲のいい友人はできなかったし、施設では冷たくあしらわれ、クラスでもいない者として扱われたこともあったが、施設を出る日を夢見てじっと耐え続けた。
だから、優しくしてくれる茗子と出会ったときには、とても嬉しかった。
それだけに、彼女の態度にはひどく傷ついた。
確かに、自分が面倒を見ていた後輩を理由に振られれば、いい気はしないだろう。
プライドは傷つき、苛立ちだって芽生えるに違いない。
ましてや、凜花は茗子のように美人でもなく、取り立てて秀でた部分もない。
仕事では無遅刻無欠勤だが、そんなものは特に自慢できる話でもない。
彼女にしてみれば、なにもかもに納得できなかったに違いない。
凜花は一度だけ謝ったが、その翌日には制服が破かれていたため、二度と謝罪の言葉を口にしようとは思わなくなり、茗子との和解は諦めた。
施設にいたときは、社会に出れば今よりも少しはマシな環境になると思っていた。
大人になってからさらに環境が悪化することになるとは思わなかったが、どこにでも幼稚で醜い人間はいるものなのだ……と学んだ。
茗子には、いつも取り巻きがいる。所長を始めとした上司も彼女をとても気に入っており、凜花の味方をしようという人間はいなかった。
なぜ凜花のロッカーの鍵を茗子が開けられたのかは、仕事を辞めると話をしに行った日の玄信の言動でわかった。
彼女が上手く言いくるめ、所長から借りたのだろう。
制服の話をしたときも、あの更衣室で騒ぎがあった日も、所長の顔色が変わった理由はそういうことだったのだ。
ただ、自分にひとりも味方がいなかったのは、環境のせいだけとは言えない。
凜花自身がなにかにつけて諦め、人間関係を構築してこなかったせいでもあると、心のどこかではわかっていた。
耐えるだけだった過去の振る舞いが、社会人になってから自身をより苦しめるなんて思いもしなかったが、自分にも非はあったのだろう――。
すべてを話し終えた凜花は、いつの間にか涙を浮かべていた。
泣くのはずるいと思うのに、ずっと苦しかった胸の内を吐き出せたからか、涙が勝手に零れていたのだ。
「……そうか」
聖が眉を下げ、親指で凜花の頬を伝う涙を拭う。
「ずっとつらかったな」
その優しい手つきと声音が、傷だらけの凜花の心を癒していくようだった。
悲しげに歪んだ瞳と目が合い、凜花よりも彼の方が傷ついているように見えた。
「でも……帰る場所がないのはともかく、必要としてくれる人がいないのは自分自身のせいでもあるから……」
「そんなことはない」
自分自身を責める凜花に、聖がきっぱりと否定する。
「凜花を助けなかった大人には大きな非があるし、凜花を傷つけた奴らだってそんなことをしてもいい理由などない。だから、凜花は自分を責めなくていいんだ」
「聖さん……」
「それに、俺が凜花を必要としている。凜花の帰る場所ならここにあるよ」
柔和な瞳が凜花を見つめ、優しい手つきで髪を撫でられる。
そんな風に言ってもらえるのは嬉しいのに、凜花の中には不安が芽生えた。
「それは……私が凜さんの生まれ変わりだから?」
聖は困ったように微笑んだが、すぐに凜花を真っ直ぐ見つめた。
「確かに、最初はそうだった。凜花を凜の生まれ変わりとして見ていた。だが、凜花と過ごすうちに、魂は凛と同じようでいても全然違う者なんだと思うようになった」
「え……?」
「凜花は凜花だ。俺はお前に惹かれている」
真摯な双眸が本心であることを語っている。
凜花の胸の奥が高鳴り、心がじんわりと温かくなった。
「俺は凜花が生まれたときからずっと、凜花の魂を感じていた。そして昔、一度だけ会ったこともあるんだ」
「えっ……! いつ……? 私はそんなこと、覚えてない……」
凜花が目を丸くすると、彼が着物の袖口に手を入れてピンク色のリボンを出した。
「これに見覚えはないか?」
ピンク色のリボンは、龍神社の池のところで撮った家族写真に写っている凜花が髪につけていたものである。きっと、母親が結ってくれたのだろう。
「俺と凜花が初めて会ったのは、凜花の五歳の誕生日だった。凜花は両親とともに家族旅行であの場所に来たのだ。もっとも、俺が引き寄せたようなものだがな」
聖は小さな笑みを零すと、リボンを凜花の手に乗せた。
「凜花はあの日、池に落ちて魂だけが天界にやってきた。あの池は普通の人間が使えるものではないし、いくら俺のつがいでも子どもだった凜花の体には大きな負担がかかり、肉体と魂が離れてしまったんだ」
リボンを見つめる彼が、懐かしげに瞳を緩めながらも眉を下げる。