天界に来て初めて向けられた、敵意。
凜花は、ただ紅蘭を見上げたままでいることしかできなかった。


「紅蘭」


ふと、厳しくも優しい声音がこの場にいる者たちの鼓膜を突いた。


「聖……」


横を向いた彼女の唇から零れた名前に、凜花は自然と安堵する。


「……玄信の仕業ね。余計なことを」

「そう言ってやるな。玄信は俺の命に従っただけだ」


程なくして現れた聖は、凜花に柔和な眼差しを向けた。


「ただいま、凜花」

「おかえりなさい……」


凜花も笑顔を返すつもりだったが、上げたはずの口角が引き攣ってしまう。
彼は眉を下げ、紅蘭に向き直った。


「紅蘭、この部屋へは決まった者しか入室を許可していない。今日は大目に見るが、いくらお前でも次はないぞ」

「……悪かったわ」


彼女は謝罪したが、凜花への不躾な態度については謝る気はないようだった。


「今日のところは帰ってくれ。玄信、紅蘭を頼む」

「御意」


いつの間にか廊下にいたらしい玄信が、「紅蘭様」と静かに促す。紅蘭は不服そうにしつつも、彼の言う通りに踵を返した。


「紅蘭」


直後、聖の冷たい声が静かに響いた。


「お前がどう思おうと、凜花が俺のつがいであるという事実は変わらない。こんなことは二度とするな。凜花を傷つけるのならば、いくら紅蘭であっても許さない」


ピリついた空気が周囲を包む。何者にも異論を唱えさせないような雰囲気は、龍神である彼の器がもたらしたものだったのかもしれない。


決して怖いわけではない。
しかし、聖の振る舞いは、畏怖の念のようなものを感じさせた。


「凜花、怖い思いをさせたか? すまなかった」

「いえ……」


紅蘭が立ち去ってすぐ、彼は凜花の傍に寄り、頭をそっと撫でてくれた。優しい手つきに、心が癒されていく。
けれど、凜花の脳裏にこびりついてしまった光景は消えない。