聖の本心が聞けたことが嬉しい。
確かに、この光景を初日から見ていたら恐怖心を抱いていたかもしれない。
しかし、今はそんな風に思うどころか、空を舞うように飛んでいる龍たちを美しいとすら感じた。
赤、青、黄色、緑……龍の体は色とりどりで、まるで蝶のようにも見える。
なにより、凜花が知っている龍たちはみんな怖くはなかった。
玄信は見た目や話し方こそ厳しいが、下界に降りたときになんとなく心根の優しい人だと感じた。主に対する忠義の厚さもよくわかる。
桜火を始め、蘭丸と菊丸、他の臣下たちも優しい。
もっとも、凜花が聖のつがいであるから……という理由なのはわかっている。
ただ、それでも今は龍に対する恐怖心みたいなものはなかった。
「龍って、みんな体の色が違うんですか?」
「厳密に言えば違うが、似た色の者はたくさんいる。たとえば、赤系なら火の力を、青系なら水の力を持っている」
「黄色や緑は?」
「黄色は雷、緑は大地だ」
「あっ……でも、聖さんは銀色でしたよね?」
「俺は龍神だからな。龍が操れるすべての力を持っているんだ」
「龍神って……」
そういえば、初めて会った日、そんなことを言っていた気がする。
もうずっとそれどころじゃなくて、忘れていたけれど……。つまり彼は、〝龍の中で最も力のある者〟ということなのだろうか。
「えっと、一番偉い人ってことですか?」
「まぁそうとも言うか。すべての龍を統べる者であることは間違いない」
聖が、凜花を外に出したくない理由がなんとなくわかった。
龍の世界がどういうものかはわからないが、人間の世界でも権力争いみたいなものはあって、上にいる者を蹴落とそうとする者はいる。
凜花はそんな環境とは無縁だったが、彼の気持ちは少しだけ理解できた。
「龍って姿が似ているんですね」
「俺たちから見ればそうでもないが、凜花の目にはそう見えるだろうな。だが、銀色の龍は俺だけだ。だから、俺が龍の姿になってもすぐに見つけられるだろう」
「ふふっ、そうですね」
冗談めかしたように微笑まれて、凜花は自然と笑ってしまう。
そんな凜花の笑顔を、聖は嬉しそうに見ていた。
「ほら、街が見えてきた」
「わぁっ……!」
凜花の視界に入ってきたのは、まるでマンガで読んだ江戸時代の花街のようだった。
和風の家のような建物が並ぶ道を、着物に身を包んだ人たちが行き交っている。店も並んでいるようで、賑わっているのがわかった。
「なにが見たい?」
「なんでも見たいです! あっ、蘭ちゃんと菊ちゃんにお土産も買わないといけませんよね」
「ああ、そうだったな」
街に入ると、人々の目が聖に向く。すると、彼の姿を見た者は頭を垂れ、凜花のことを一瞥した。
「聖様よ」
「じゃあ、お隣が噂の?」
「ああ、つがいだろう。見たところは力が強そうでもないな」
「それより、どうして街に? お供は車夫だけか?」
どこからともなく聞こえてくる声が、凜花を不安にさせる。
直後、凜花の右手が優しく包まれた。聖が手を握ってくれたのだ。
「凜花。周囲の目や声は気にしなくていい。俺といれば危害を加える者はいないが、不安なら俺だけを見ていろ」
美しい顔が湛える自信に満ちた笑みには、蠱惑的な魅力があった。
凜花の鼓動が大きく跳ね、ドキドキと騒ぎだす。途端、人々の視線よりも目の前にいる彼の存在に心が奪われた。
「いい子だ」
外野がどれだけ凜花を見ていても、聖の声ばかりが鼓膜をくすぐる。
彼は凜花を慈しむように見つめると、人力車から降りて街を案内してくれた。
街にいる者たちは聖に気づくと、驚いたような顔をしていた。
しかし、彼の傍では滅多なことは言えないのか、さきほどのように凜花について言う者はいない。
好奇の視線にさらされてはいたが、凜花を気遣ってくれる聖のおかげで街での時間を楽しんだ。
屋台のようなものが出ていたり、茶屋があったりと、まるで下界と変わらない。
彼は茶屋で団子を買い、凜花に食べさせてくれた。
屋敷で口にする料理もだが、天界の食べ物は和食に近く、どれも口に合う。
この団子には、天界にしかない果実の果汁が加えられているそうだが、フルーティーでとてもおいしかった。
ふと、街の雰囲気が嵐山に似ていることに気づいた。
「なんとなくですけど、ここは嵐山に似てますね」
「ああ、向こうとこちらは鏡のようなものだ。まったく同じではないが、あそこに見える橋も下界のものとよく似ているだろう」
言われてみれば、川にかかっている橋は渡月橋のようだった。振り向いた先にあった山は今来た道だが、凜花が嵐山で迷い込んだ山と瓜二つだ。
「下界との共通点なら、街にも屋敷にもたくさんある」
「あれは?」
前に視線を戻した凜花は、石造りの建物を指差した。
石垣が積み上げられた先にあるのは、城に見える。
「あれは城だ」
予想は当たっていたが、城壁は雲にかかりそうなほど高く、天守閣は見えない。
「どうやって登るんですか?」
「龍なら飛べばすぐだ。俺もいつも飛んでいく」
「じゃあ、聖さんはあそこでお仕事してるんですか?」
「ああ、そうだ。凜花も連れていってやりたいんだが、城には龍の力がない者は入れない。だから、つがいの契りを交わしたあとで案内する」
つがいの契り、と言われても凜花にはやっぱりピンと来ない。
けれど、目に映るすべてのものに懐かしさのようなものを抱いている。初めて来る街も、見たことがないはずの城にさえも……。
「下界に戻りたいか?」
聖が不安げに眉を下げている。凜花は少し考えてから、首を小さく横に振った。
凜花の中に不安はあった。ただ、今の凜花には行くところがない。
そのせいか、帰りたいというような感覚にはならなかった。
なによりも、彼の傍にいると安心感がある。心が不思議なほどの温もりに包まれ、不安や恐怖心が溶けていくようなのだ。
「少し不安ですけど……そんな風には思ってないです。つがいとか契りとかはまだ考えられませんが、今はここにいたいって思ってます。でも……」
橋の欄干に手をかけ、流れる川を眺める。
「聖さんは龍神なんですよね? それがどういう人なのか私にはまだよくわかりませんが、街にいる人たちの雰囲気を見れば偉い人なんだってことはわかりました」
先が見えない川は、どこまで繋がっているのか……。見えない場所がまるで自分自身の未来のように思えて、凜花の中の消し切れない不安を煽るようだった。
「俺が怖くなったか?」
「いいえ、怖くはありません。ただ……」
眉を下げた聖に、凜花はなんとか微笑む。
けれど、不安を隠し切れなかったせいで、泣きそうな顔になってしまった。
「私がそんな偉い人のつがいだなんて……。私にはなにもないし、凜さんの生まれ変わりだって言われてもやっぱり実感はありません。そんな私が、聖さんの傍にいてもいいんですか?」
「言っただろう。凜花は俺のつがいだ。誰にも異論は唱えさせない」
聖が力強い眼差しで凜花を見つめる。
真っ直ぐで迷いのない瞳に、凜花の鼓動がトクンと高鳴る。
「なにより、俺が凜花に傍にいてほしいんだ」
彼の声音はとても優しかった。
それなのに、なぜか泣きそうにも聞こえた。
微笑を浮かべた聖が、凜花の頬にそっと触れる。
「なにも心配しなくていい。凜花は俺が守るから」
彼の真摯な言葉を信じていたい。
そんな気持ちになった凜花は、ただ黙って小さく頷いた。
街へ降りてから二週間が経った。
凜花は相変わらず家から出ることを禁止されているが、働きたいと申し出た凜花の気持ちを汲んでか、聖は屋敷内のことだけはしてもいいと許してくれた。
ところが、家臣たちの誰に手伝いを申し出ても断られてしまう。
みんな、凜花を大切に思うのはもちろん、主のつがいに自分たちの仕事を手伝わすことなどできない……という感じだった。
家臣たちは、凜花が凜の生まれ変わりだからこそ、大切にしてくれているだけ。
それをわかっていても、今までの生活とは比べるまでもなく居心地が好い反面、どうしても心から寛ぐことはできなかった。
会社は辞めてしまったし、嵐山に訪れたときには身を投げ出すつもりでいた。
あのときのことを思えば、仕事すらなくなった今は失うものもなにもないからか、天界にいることに多少の不安はあっても帰ろうとも帰りたいとも思わない。
ただ、今の生活には不満に近い感情が芽生えていた。
至れり尽くせりのこんな生活を続けていくのは、どうしても気が進まなかった。
聖は相変わらず毎日城に出かけていくため、顔を合わせる時間はとても短い。
とはいえ、彼は少し前まで城に住んでいたのだとか。
この屋敷も聖のものではあるが、凜花が来る前まではたまに様子を見に帰ってくる程度だったらしい。
毎日帰ってくるのは、今は凜花がここにいるから。
桜火からそのことを聞いたとき、凜花は喜んでいいのかわからなかった。
凜花がいなければ、彼は余計な手間を増やさずに済んだはずなのだ。そう思うと、簡単に喜びをあらわにするのは憚られた。
ただ、城にいた桜火とは違い、ここに住んでいる蘭丸と菊丸は聖が帰ってくることを心待ちにしている。
それを知ったときは、心が救われた気がした。
「姫様―、お庭に行くです!」
「姫様、菊たちと遊ぶです!」
「お庭にハクの実がなったです!」
「聖様が食べていいって言ってくださったです!」
「姫様も!」
競い合いように話す蘭丸と菊丸を、桜火がたしなめようとする。しかし、凜花がそれを制し、彼女に庭に出てもいいかと尋ねた。
桜火は、いつも通り自分も同行することを条件に頷いてくれた。
庭に出て蘭丸たちについていくと、どこからともなく甘い香りが漂ってきた。スイーツのような甘さではなく、果実のような匂いがする。
後ろにいる彼女が、ハクの実の香りだと教えてくれた。
「姫様、これがハクの実です」
「おいしいです」
蘭丸と菊丸は、待ち切れないとばかりに木に登っていく。
真ん丸で真っ白な実は、りんごのような形をしていた。
「姫様、どうぞです」
「菊たちの一番好きな実です」
自分たちの好物を先に譲ってくれる優しさに心が和む。
少し気が引けたが、凜花が食べるのを待っている様子をふたりを見て「ありがとう」と言って受け取った。
一口かじってみると、果汁がじゅわっと口の中に広がった。柔らかな実は甘く、桃のような味がする。
とてもおいしくて、思わず頬が綻んだ。
「おいしい! 蘭ちゃん、菊ちゃん、ありがとう」
「えへへー」
「菊たちは、姫様の守護龍だから天界のこといっぱい教えるです!」
「聖様にお願いされてるです!」
誇らしげに笑う蘭丸と菊丸に、凜花が小首を傾げる。
「守護龍?」
「お守りするお役目です!」
「菊たち、こう見えて強いです!」
えっへんと言わんばかりに胸を張る菊丸に、蘭丸も得意げな笑顔になる。
「えっと……」
「守護龍とは、その人を守護する者のことです。蘭丸と菊丸はまだ子どもですが、この年にしては龍の力が強いので、聖様が姫様の守護龍に……と」
「そうだったんですか」
戸惑う凜花に、桜火が補足するように説明してくれる。
初めて聞いた話だったが、当のふたりはハクの実を食べることに夢中だった。
彼女は蘭丸たちに聞こえないように声を潜めた。
「というのは、蘭丸たちへの理由付けです。もちろん、なにかあればふたりも姫様をお守りしますが、一番は姫様が安心して過ごせるようにという聖様の計らいです」
「え?」
「玄信様や私では遊び相手にはなりませんでしょう? 姫様のお相手には幼すぎますが、それでも少しは心が休まるだろう……とお考えになったようです」
「そうだったんですね」
見えないところでも与えられていた聖の配慮に、凜花の心が温かくなる。
凜花は、これからどうするべきか考えられずにいたが、やっぱり彼の傍にいたいという気持ちは変わらない。
そして、聖のことをもっと知りたいという思いが強くなっていた。
彼と番うかもしれないのなら、なおのこと。
街に行ったときの聖の言葉は、自然と信じられた。
一方で、このままずっとここにいてもいいのか……という思いはまだ残っている。
街で屋敷以外の人に会ったことにより、日が経つにつれて彼のつがいであるという事実に不安が芽生えてもいた。
正直に言えば、凜花は少しずつ聖のことが気になり始めている。
結婚なんて自分には遠いことのように感じていた上、相手が人間ですらないということに戸惑いが消えないが、彼のことをもっと知りたいと思うようになった。
自分が聖の恋人だった凜の生まれ変わりだということにも不安はあるが、ときおり感じる懐かしさのようなものが彼女の記憶なのだろうか……。
「姫様、もっと食べるです」
「ハクの実、好きになったですか?」
胸に燻ぶる鈍色の感情を、蘭丸と菊丸の明るさが救ってくれる。
凜花は笑顔を見せ、聖が帰ってきたらふたりを守護龍にしてくれたことへの感謝を告げようと決めた。
天界での生活は、毎日が穏やかだった。
今のところ、凜花を狙う者がいそうな雰囲気はなく、聖が話していたような危険性はなさそうである。
もっとも、そう思うのは凜花が屋敷から一歩も出ていないからだろうけれど。
街に行った日からひとつ変わったことがある。それは、庭に出ると空を飛んでいく龍が見えるようになったことだった。
あの日、凜花の反応を見た彼が、龍の姿を見せても大丈夫だと判断したのだろう。
空高く舞うように行き交う龍は、相変わらず蝶々のようにも見えるし、鳥のように見えることもある。
ただ、間違いなく言えるのは、色とりどりの龍たちは美しいということ。
凜花は、ファンタジーの中にしか存在しない絵空事だと思っていた生物を見るたびに不思議な気持ちになったが、やっぱり怖くはなかった。
きっと、屋敷にいる臣下たちが親切だからに違いない。
ここには、凜花を疎ましがる者はいない。いじめる者も、邪険にする者も。
本心ではみんながどう思っているのかはわからないが、少なくとも桜火や蘭丸と菊丸からはそういった感情は伝わってこないし、とても大切にしてくれる。
それが聖の力のおかげだとしても、凜花にとって温かい環境に置いてもらえるというのは夢のようでもあった。
(でも、このままなにもしないでいるわけにはいかないよね……)
うっかり、ため息が漏れてしまう。
「お待ちください、紅蘭様!」
そんなとき、廊下の方から大きな声が聞こえてきた。
「許可を得た臣下以外の者が凜花様の部屋に近づくことは、固く禁じられております!」
自分の名前が出たことによって、凜花は何事かと身構えてしまう。
昼寝をしていた蘭丸と菊丸が目を覚まし、寝ぼけ眼で凜花を見る。
足音が近づいてきたが、傍にいた桜火が「大丈夫です」と優しい笑みで安心させてくれた。
「入るわよ」
ふすまが勝手に開く。
その向こうに立っていたのは、美しい女性だった。
少し吊り目がちだが、長いまつ毛に縁取られるような大きな二重瞼の目。しゃんと伸びた背筋に似合う、すらりと長い手足。
中でもひと際目を引いたのは、ウェーブがかかった金色の髪である。毛先まで艶があり、思わず見惚れるほどに綺麗だった。
「紅蘭様、お戻りくださいませ。いくらあなた様と言えども、ここへの入室は……」
「だから、まだ入ってないでしょ」
若い臣下が困ったように諭すが、紅蘭と呼ばれた女性は強気な態度を崩さない。
「紅蘭様、聖様は不在です。どうかお引き取りを」
桜火が笑顔を見せると、紅蘭はつんけんした表情で「知ってるわ」と返す。
「私は聖のつがいとやらを見に来ただけだもの。聖が会わせてくれないから、わざわざ会いに来てやったんじゃない」
ふすまを開けてからずっと、紅蘭の瞳は凜花を見つめたままだった。
「あなたが凜花?」
「は、はい……」
圧倒されるような美しさを前に、凜花はたじろぎながらも頷く。すると、彼女が眉をひそめた。
「本当にこんなみすぼらしい女が凜の生まれ変わりだっていうの?」
「紅蘭様」
「冗談でしょう? あの子とは似ても似つかないじゃない」
凜花を隠すように立ち上がった桜火が、紅蘭の前に立つ。
けれど、紅蘭は桜火の肩を押し、身を乗り出すようにして部屋に足を踏み入れた。
「あなたが凜の生まれ変わりだと聖は言うけど、私は認めない」
紅蘭の双眸からは、燃えるような怒りが滲み出ている。
「あなたは顔が少し似てるだけ。それ以外はまったく似てないわ」
まるで憎むように睨まれ、凜花の中に恐怖心が芽生えた。
「おやめください、紅蘭様」
「凜は本当に聖のことを愛してた。聖だってそう……。千年経っても忘れてないくらい、凜を愛してた。……いいえ、きっと今も愛してるわ」
「紅蘭様!」
制止する桜火の言葉は入っていないとばかりに、紅蘭は冷たく言い放っていく。
「ふたりは魂で求め合ってたの。あの子だからこそ、私は諦めたのよ」
その言葉に、呆然としているだけだった凜花が目を大きく見開く。
グッと眉を寄せた紅蘭からは、聖への思慕が見え隠れしていた。
彼女はきっと、彼に恋情を抱いているに違いない。色恋沙汰に疎い凜花でもわかるくらいには、表情から伝わってきた。
天界に来て初めて向けられた、敵意。
凜花は、ただ紅蘭を見上げたままでいることしかできなかった。
「紅蘭」
ふと、厳しくも優しい声音がこの場にいる者たちの鼓膜を突いた。
「聖……」
横を向いた彼女の唇から零れた名前に、凜花は自然と安堵する。
「……玄信の仕業ね。余計なことを」
「そう言ってやるな。玄信は俺の命に従っただけだ」
程なくして現れた聖は、凜花に柔和な眼差しを向けた。
「ただいま、凜花」
「おかえりなさい……」
凜花も笑顔を返すつもりだったが、上げたはずの口角が引き攣ってしまう。
彼は眉を下げ、紅蘭に向き直った。
「紅蘭、この部屋へは決まった者しか入室を許可していない。今日は大目に見るが、いくらお前でも次はないぞ」
「……悪かったわ」
彼女は謝罪したが、凜花への不躾な態度については謝る気はないようだった。
「今日のところは帰ってくれ。玄信、紅蘭を頼む」
「御意」
いつの間にか廊下にいたらしい玄信が、「紅蘭様」と静かに促す。紅蘭は不服そうにしつつも、彼の言う通りに踵を返した。
「紅蘭」
直後、聖の冷たい声が静かに響いた。
「お前がどう思おうと、凜花が俺のつがいであるという事実は変わらない。こんなことは二度とするな。凜花を傷つけるのならば、いくら紅蘭であっても許さない」
ピリついた空気が周囲を包む。何者にも異論を唱えさせないような雰囲気は、龍神である彼の器がもたらしたものだったのかもしれない。
決して怖いわけではない。
しかし、聖の振る舞いは、畏怖の念のようなものを感じさせた。
「凜花、怖い思いをさせたか? すまなかった」
「いえ……」
紅蘭が立ち去ってすぐ、彼は凜花の傍に寄り、頭をそっと撫でてくれた。優しい手つきに、心が癒されていく。
けれど、凜花の脳裏にこびりついてしまった光景は消えない。