翌朝起きると、桜火から聖がつきさきほど帰宅したことを聞いた。
持ってきた服に着替えて居間に行くと、いつもの場所に彼が座っていた。


「おはよう、凜花。よく眠れたか?」

「おはようございます……って、その怪我どうしたんですか!?」


聖の綺麗な顔に、大きな引っかき傷のようなものがある。


「……ああ、これか。少し諍いがあって、止めに入ったら食らってしまった。顔だけ治し忘れたな」


苦笑交じりに答えた彼が、右手で頬のあたりに触れる。
生々しい傷はすぐに癒えていき、大きな手が退けられたときには肌には傷ひとつ残っていなかった。


「顔だけって……他にも怪我したんですか?」

「たいしたことはない。蘭と菊でも治せる程度の怪我だ。さぁ、食べよう」


凜花のことを起こしに来ていた蘭丸と菊丸は、いつも通り聖に纏わりついている。
聖の言葉が気になりつつも、凜花は彼とともに朝食を摂った。


「あの……お願いがあるんですけど」

「なんだ? 凜花の願いなら喜んで聞こう」


食後、凜花が意を決すると、聖が嬉しそうに瞳を緩めた。


「仕事とかバイトをさせてもらえませんか?」

「仕事? なにか欲しいものがあるのか? それなら、俺が用意する」


凜花は首を横に振り、彼を真っ直ぐ見つめる。


「欲しいものはありません。ここにいれば食べることにも困りませんし、服なんかは持ってきたものと用意してくださった着物で充分ですから」

「なら、どうして働きたい?」

「ここ数日、することがなくて……。お屋敷の中やお庭を回るだけだと、自分がダメ人間になりそうっていうか……。それに、今までは働くことが当たり前だと思ってきたので、突然することがなくなるとどんな風に過ごせばいいのかわからなくて……」

「なるほど」

「私は天界のことはまだなにも知りませんし、雇ってもらえるのかもわかりません。でも、このままなにもせずにいるのは嫌なんです……」


凜花が必死に訴えていたからか、聖はひとまず最後まで話を聞いてくれた。
けれど、彼の顔が困ったような笑みを浮かべる。


「凜花は苦労性だな。それに、凜と同じようなことを言う」


複雑そうな表情と言葉に、凜花の胸の奥がチクリと痛んだ。
上手く表現できないけれど、心がモヤモヤする。こういう感覚をどう呼べばいいのかわからず、凜花は戸惑いながらも見ないふりをした。