「姫様、お召し物はこれだけですか?」

「あ、はい……」


あれから、凜花たちは凜花が住んでいたアパートに来ていた。
ハヤブサ便が所有するこのアパートは寮であるため、退職と同時に出ていくしかなく、早々に荷造りをすることになったのだ。


とはいえ、凜花が持っているものはとても少ない。
服も日用品も最低限しかなく、三人いれば運べないこともないだろう。家電は最初からここについていたものだから、そのまま置いていけばいい。


「あの……さっきのことなんですけど……」


玄信に話しかけたつもりだったが、「ああ」と頷いたのは桜火だった。


「あの者たちは男女の関係にあったようですね。妻がいるというのになんと不届き者でしょう。龍だったら、つがいによって八つ裂きにされていますよ」


彼女の口から飛び出した物騒な言葉に唖然とする。あながち嘘ではなさそうなところが、少しだけ怖かった。


「そのこと……どうしてわかったんですか?」

「龍は、人間とは比べ物にならないほど五感が優れているんです。私もあの場に入ったときから、あの者たちの関係には気づいておりました。玄信様が手を離されたのは意外でしたが、まぁあのふたりの態度では仕方がないですね」

「当然だ。姫様のご命令は、聖様のご命令に等しい」


つまり、あのとき凜花が止めなければ手遅れになっていたかもしれないということだろう。
これにはさすがに恐怖心が湧き、今後のことに対する不安も大きくなってくる。


玄信たちが凜花に優しくしてくれるのは、聖からの命令があるからに他ならない。
もし、彼に見捨てられてしまえば、今は自分を守ってくれているふたりが手のひらを返してくることもあるに違いない。


「姫様」

「っ……は、はい……」

「今は不安もおありでしょうが、天界では聖様や私たちがあなたをお守りします。ですから、ご安心ください」


玄信の声音には、やっぱりどこか厳しさがある。けれど、凜花を見つめる瞳には嘘がなさそうで、不思議と不安が萎んでいく。


「そうですよ、姫様。我々が命に代えても姫様をお守りしますので、早く戻りましょう。きっと、聖様がお待ちです」


凜花の中の恐怖心や不安が完全になくなることはない。
この先どうなるのかと考えると、途端にそれらの感情が押し寄せてきそうになる。
ただ、不思議と後悔はなかった。
むしろ、桜火の言葉で脳裏に聖の優しい笑顔が浮かんだときには、早く彼に会いたいと思ったほどだった。