龍神のつがい〜京都嵐山 現世の恋奇譚〜

お祝いラッシュが落ち着いた頃、紅蘭がやってきた。
彼女とは、火焔のことで責められた日以来ずっと会っていなかったため、凜花の中にはいささか気まずさがあった。


「あんた、本当に聖とつがいの契りを交わしたのね」


ところが、紅蘭の方は言い方こそきついものの、以前ほどの冷たさはなかった。


「はい」

「そう」


彼女は祝福の言葉は口にしなかったが、かといって凜花に突っかかる気もないようだった。


「火焔からみんなを庇ったんですって?」

「え? い、いえ……私はそんな……」


確かに、菊丸を返してもらうため、自分の身を差し出した。
しかし、結果的には火焔の炎に包まれただけで、なにもできなかった。
聖が来てくれなければ、あのままどうすることもできなかっただろう。


そんな気持ちから、凜花は戸惑いがちにかぶりを振ったけれど……。

「龍相手にやるじゃない」

紅蘭はつっけんどんに言い、微かに笑みを見せた。


「紅蘭さん……」

「……悪かったわ。あんたのこと、気に入らなかったのもあるけど、あんたなんかに聖のつがいが務まるはずがないって思っていたの」

「はい」

「でも、今は……ちょっとだけ、そうでもないのかなって思うわ。言っておくけど、本当にほんのちょっとだけだから!」


プライドが高いであろう彼女にとって、それは全力の謝罪だったのかもしれない。
大人に見えていた紅蘭が可愛く思えて、凜花はつい笑ってしまった。


「ちょっと、笑わないでよ」

「紅蘭こそ、それで謝っているつもりか?」

「聖に関係ないでしょ。これは女同士の話なのよ」


黙って聞いていた聖が見兼ねて口を挟んでも、彼女はフンッと彼から顔を逸らす。


「紅蘭さん」

「なによ」

「私は、凜さんのようにはなれないと思います。私は私だし、魂がどうであっても凜さんの真似をしようとも思わないから」

「……それで?」

「でも、いつかもし心から認めてくれたら、お友達になってください。私、ひとりも友達がいないので」

「は?」


眉を寄せた紅蘭に、凜花は苦笑を零す。

凜花にとっては、桜火や風子は姉のような存在で、良き相談相手。
蘭丸と菊丸は弟みたいで、玄信は厳しい父親という感じである。


料理係たちも臣下たちも、気安く話してくれるようにはなった。
とはいえ、やっぱり凜花が聖のつがいである以上、彼らにとっては一線を越えることはできないのか、一定の距離は感じたままだった。


だからこそ、凜花は欲しかったのだ。
少しくらいきついことを言われるようであっても、対等に見てくれる相手が。
これから天界で聖のつがいとして生きていく凜花には、きっと必要な存在だろう。


「ちょっと」

「はい」

「聖の妻になろうって奴が友達もいないなんてありえないわ。私が第一号になってあげるから、聖に恥をかかせないで」

「えっ?」


相変わらず、口調は優しくない。


「あんた、色気もなんにもないから私が鍛えてあげる」


それなのに、紅蘭の表情は今までで一番柔らかくて、凜花は自然と笑みを零した。


「はい。よろしくお願いします」

「言っておくけど、私は他の奴らみたいに優しくないわよ?」

「いいえ。きっと、紅蘭さんは優しくしてくださると思います」


断言した凜花に、彼女が眉をひそめる。


「……聖からなにか聞いた?」

「紅蘭さんのおばあ様が人間だってことなら聞きました」

「げっ……! 聖、勝手に言うんじゃないわよ!」

「紅蘭のおばあ様の許可は得てある」


不本意そうな紅蘭に反し、聖は飄々としている。彼女はため息をついた。


紅蘭の祖母が人間だと聞いたのは、あの事件のあとのことだった。
彼は、屋敷から城にやってきた凜花の傍にできる限り寄り添い、色々なことを教えてくれた。


実は、龍のつがいに人間が選ばれるのはごく稀にあるのだという。
現在も天界には数名の人間がいて、龍王院の中では紅蘭の祖母がそうだった。


人間の血を受け継げば、龍の血が薄くなり、必然的に龍の力も弱まる。
そのため、人間の血が入った家系は疎まれることもあるのだが、そんな紅蘭に優しく接していたのが凜だったのだとか。

そして、紅蘭自身は人間の血が混じっていても堂々としているようだった。
それを聞いたときから、凜花は彼女に対して少しだけ親近感を抱いていたのだ。


「……なによ? 私に人間の血が流れているのがおかしい?」

「いいえ、ちっとも。今度、紅蘭さんのおばあ様にも会わせてください」

「嫌よ。それでなくても、おばあ様は聖のつがいが人間だと知ったときから大喜びしていたのに、あんたと会ったら手がつけられないほど喜ぶに決まっているもの」

「ダメですか?」

「……気が向いたら考えておく」


聖が小さく噴き出し、凜花もクスクスと笑う。


「紅蘭様、姫様には敵わないです」

「姫様はすごいお方です。ね、桜火様、玄信様」

「ええ、そうですね」

「我が主が選ばれたお方ですから当然だ」


蘭丸と菊丸の言葉に照れくさくなった凜花だが、桜火と玄信にまで褒められて心がむずがゆくなってしまう。
褒められることに慣れていないせいで、途端に頬が真っ赤になった。


「こら、凜花。俺以外の者の前で頬を染めるな。お前が顔を赤くしていいのは、俺とふたりきりのときだけだ」


その上、聖に無茶な注文までつけられて、凜花は首まで朱に染まっていった。


「まったく、可愛いつがいだ」


彼の瞳が緩められ、凜花の頬にくちづけが落とされる。


「ひ、聖さん……! みなさんがいるんですよ!」


驚く凜花だったが、聖は艶麗な笑みを向けてくる。


「心配するな。玄信と桜火は優秀な臣下だ」


玄信と桜火を見ると、ふたりはそれぞれ蘭丸と菊丸の目を覆いながら素知らぬ顔をしていた。紅蘭だけは呆れたようにため息をついている。


「蘭も見たいです!」

「菊もです!」

「お前たちにはまだ早い。私に勝てたら見せてやろう」


騒ぎ出す蘭丸と菊丸は、玄信の言葉に膨れっ面をする。
まごつく凜花に、聖がククッと笑った。


そのまま今度は唇を奪われたが、優しいキスに胸の奥が高鳴ってしまう。
凜花は、柔らかな幸福感に包まれながら、うっとりと瞼を閉じた。

城も屋敷も、すっかり元通りになった。


三日三晩続いた祝いの祭りは、人生で一番楽しかったかもしれない。
城での生活に少しずつ慣れていった凜花は、ときどき屋敷に行っては料理係たちと賑やかな時間を過ごしたり、蘭丸と菊丸と庭で過ごしたりしていた。


そうしているうちに寒い冬を超えて、暖かい陽気が降り注ぐ春の終わりが近づいてきた。


「凜花」

「はい」


ふすま越しに聖の声が聞こえ、凜花が返事をする。
部屋の中に入ってきた彼は、ふわりと微笑んだ。


「綺麗だ。今まで見たものの中で、なによりも誰よりも美しい」


素直に褒める聖に、凜花の耳まで朱に染まる。
花嫁衣装に身を包んだ凜花は、可憐な花のように美しかった。


赤い反物から作られた着物には、凜の花がいくつもあしらわれている。
凜花の顔が真っ赤になったことによって、凜の花がいっそう映えた。
白い肌とは対照的な口紅が塗られた唇は、まるで彼を誘っているようだった。


「このまま誰の目にも触れない場所に閉じ込めておきたいくらいだ」

「ッ……」


つがいの契りを交わしてからというもの、聖は昼夜問わず容赦なく甘い言葉を紡ぐようになった。
恋も知らなかった凜花は、彼の甘やかな攻撃に毎回ドキドキさせられている。


嬉しいのに恥ずかしくて、幸せなのに胸が苦しい。
恋とはこんなにも目まぐるしい感情に襲われるのかと、凜花は契りを交わしてから数え切れないほど驚かされた。
そして、それは今日も変わらない。


「とはいえ、あまり遅いと玄信がうるさいからな」


聖は不本意そうだったが、笑顔のまま凜花の頬にくちづけた。


「さあ行こう」

「うん」


凜花が彼の手を取り、ふたりはみんなが待つ大広間へと向かった。


「姫様、綺麗です!」

「とっても可愛いです!」


臣下が大広間に続くふすまを開くと、多くの人の中から真っ先に蘭丸と菊丸が立ち上がった。
同時に、大きな拍手と歓声のような声が沸く。


一番いい席に座っているのは、桜火と風子、そして蘭丸と菊丸である。
風子の腕には、生まれたばかりの赤ん坊がいた。


玄信との子どもは男の子で、ふたりから一文字ずつ取って風玄(ふうげん)と名付けられた。
蘭丸と菊丸が奪い合うようによく面倒を見ており、凜花も頻繁に抱かせてもらっているが、その可愛さにすっかり心を奪われている。
ときには、聖が風玄に嫉妬しているほどである。


紅蘭は今日も美しく、傍らには彼女の祖母もいた。
紅蘭の祖母はとても優しく、下界のことをいつも嬉しそうに語ってくれ、凜花も同じようにたくさんのことを話した。
人間同士ということもあり、相談相手にもなってくれている。

凜花は、今やすっかり人気者である。
桜火の他に世話係がつくことになったときには、立候補者が後を絶たなかったのだとか。そこから選ばれた三人の女性は、みんな優しく美しかった。


蘭丸と菊丸は、相変わらず凜花の守護龍として務めを果たしている。
玄信との稽古の甲斐があって、少し強くなったようだ。


城での日々は、不安や悲しみといった負の感情を抱く暇もないほどに慌ただしく、けれど毎日が温もりに溢れている。
心が癒されていっているからか、凜花の中にあるつらかった記憶も日に日に薄らいでいき、今はあまり思い出すこともない。


そんな日々を経て迎えた今日、聖と凜花は大切な人たちに囲まれて祝言を挙げる。
すでにつがいの契りは済ませたが、みんなの前で改めて婚礼の議を執り行うのだ。


玄信によって進められる祝言は、滞りなく進んでいく。
聖と凜花には多くの祝福の言葉が贈られ、大広間には始終笑顔が絶えなかった。


「それでは、指輪の交換と契りを」


玄信が差し出したのは、黒塗りの漆器でできた箱。
そこには、聖の龍の鱗から作られた指輪が収まっていた。


指輪は彼の鱗同様に美しい銀色で、凜花のものには龍真珠があしらわれている。
真珠が人魚の涙と言われるように、天界では龍真珠は龍の涙だと言われている。


実際は、天界に咲く龍の花の花芯から採れるのだが、採取できるまでに何年もかかる上に龍の花は滅多に開かないため、とても貴重なものだった。
しかも、凜花の指輪に施されているのは大きく艶やかで、この二千年で一番美しいものだという。


ふたりは互いの薬指に指輪をはめると、自然と微笑み合った。


「凜花」

「はい」

「身も心も魂も我と共にあれ。唯一無二の、我が愛しきつがいよ」

「はい。私のすべては愛するあなたとともに――」


真っ直ぐな双眸が、凜花を見つめる。
深い愛と優しさに満ちた瞳に、凜花の胸の奥が甘やかな音を立てた。


聖が小さく頷くと、凜花は穏やかな笑みを零し、瞼を閉じる。
直後、凜花の唇と彼の唇がそっと重なった。


聖と凜花がつがいの契りを交わしたあの丘は、焼け跡にもまた草木が芽生えるようになった。
夏には一面に凜の花が咲くだろう。


風に揺れる春の花にまぎれて、ふたりを祝福するように凜の花が芽吹いた。
聖と凜花がそれを知るのは、あの丘に足を運ぶ明朝のこと。


夏の匂いが微かに混じった春の優しい香りに包まれる中、くちづけを交わしたふたりの心は幸福感で満ちていた――。





【END】
Special Thanks!!


*Date*
2022,07,31 執筆開始
2022,08,19 執筆完了
2022,08,20 ノベマ!公開開始
2022,08,23 ノベマ!全編公開


河野美姫

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