龍神のつがい〜京都嵐山 現世の恋奇譚〜

「やめてっ! 私が菊ちゃんの代わりにそっちに行くから、菊ちゃんを放して!」

「なりません、姫様!」


玄信が止めるが、凜花は足を踏み出す。
彼も臣下たちも深手を負っているようで、伸ばした手は凜花に届かない。


「ほう。お前がその気なら、こいつは返してやるよ」


片手で摘まむように菊丸を持った火焔が、うっすらと笑う。


「だが、今すぐに来なければこいつを投げ捨てる」

「っ……」


凜花は恐怖心を抱えながらも、さらに歩を進める。
足が震えて走ることはできなかったが、できる限り早く歩いて彼に近づいた。


「物わかりのいい女は嫌いじゃない。……約束だ」


言うが早く、火焔が菊丸を振り上げる。


「菊ちゃんっ……!」


凜花が咄嗟に手を伸ばしたが、菊丸の体は勢いよく宙を走った。


「クッ!」


跪いていた玄信が、体で菊丸を受け止める。
菊丸は意識を失っていたのか、声ひとつ上げなかった。


「菊ちゃん!」


思わず菊丸のもとに駆けだそうとすると、火焔が龍の右手で凜花の身の回りに火を放つ。


「おっと、お前は返さない」

「姫様! 火焔、姫様には手を出すな!」

「黙れ、役立たずの老いぼれが! お前が聖の右腕だと? どいつもこいつも笑わせる。聖はどれだけ腑抜けになったんだ」

「貴様……!」


立ち上がるとする玄信に、火焔は左手も龍に変化させ、火矢を飛ばした。


「ぐぅっ……!」

「あまり俺を怒らせると、せっかくこの女が命に代えて守ろうとしたそのガキに当たるぞ? この女はここで俺に焼かれてもらう。凜と同じように、な?」


たちまち火の手が上がり、すぐに凜花の背丈ほどになった。


「皮肉だな。ここはあいつが……凜が一番好きだった場所だ」


ハッと吐き捨てるように笑った火焔は、火の中にいる凜花を見つめながら丘一帯へと視線を遣る。
冬にもかかわらず、この丘には一帯に白い花が咲いている。
蘭丸たちは、凜花のためにこの花を摘んできてくれるつもりだったのだろう。