黒尾(くろお)くん」


放課後の美術室。静けさと少しの冷たさを含んだ空気に、芯のある声が落ちた。

動かしていた手を止め、その声に導かれるように首だけで振り返る。今朝寝違えた首が地味に痛くて、ちょっとだけ身体の向きを変えるべく椅子に座りなおした。


黒の双眸が僕を捉えている。光が差し込んでいるのか、人より潤いのある目なのか、はたまた泣き出しそうなのか。別にどれでも良い。「なに?」と短く返事をすると、そこに居る人物の瞳が揺らいだ。寝違えた首が痛む。早く帰りたいな、と頭の片隅で思った。



「…黒尾くん、あたしのこと、何も言わないの」
「なんの話?」
「っ、…見たでしょう、昼休み」
「昼? さあ、眠くてあんまり覚えてないかも」
「そういうのいいからっ!」


彼女の───白井文花(しらいふみか)の声が乱れた。肩を揺らし、眉の形を変え、ぽたりぽたりと意図せぬ涙が流れている。潤んでいた瞳は泣き出しそうだったからだと、その瞬間答えにたどり着くことができた。



「白井さんは、わざわざそれを確認しに来たの」
「そ、そうだよ…っ、バラされたら、雪ちゃんをこまらせちゃうから。あたしが無理やりしたことなの、雪ちゃんはなにも悪くないの」


彼女は昼休みからずっとその涙を我慢していたのか。確認するのが怖いのに、わざわざ放課後 僕に直接話をしにきたのか。

きみは強い。きみのことを素直に尊敬する。涙を拭う彼女を、僕は心の中で賞賛した。