前夜祭も含めた三日間の学際は無事に終了した。
詩も非常に楽しんでいたようで、俺も去年に比べる十分に楽しめたと思う。ただ、それも終わってしまい、いよいよ今日で詩が消えてしまう最後の日になった。
 昨夜は寝付くことが出来ずに目覚めてしまった。

「おはよう」
「おはよう、クマ酷いけど寝てないの?」
 詩が布団から上半身だけ起こして俺の顔を見るや否やそう言ってクスクスと笑う。

「寝たよ」
「嘘だぁ。だってクマ酷いもん」
「詩だって寝返りを繰り返していたように思ったけど」
「うん?私もほとんど寝てないよ。勿体ないから」

 詩は哀愁を帯びた表情のまま布団を畳み、隣の使われていない部屋に戻しにいった。
今日は朝から母親が仕事でいない。そして俺も今日は学校がある。
 本当は一秒でも長く詩と一緒にいたいのに、詩は俺が学校へ行かないというと怒るだろう。

「ごめん、俺…やっぱり今日は学校行かない」
「…どうして?」
「詩と最後まで一緒に過ごしたい」
「うーん。サボるのはダメだよね。私だって蒼君と一緒にいたいけど、でも…ちゃんと学校に行かないと!」
「…分かった」

 そういうだろうと思った。
母親は幸いにも今日は祖父母宅に泊まるようで、もしも家に帰ってくるならばこっそり夜に二人で家を抜け出そうと思っていた。
 何故ならば、最後の日に詩は星がみたいといったから。

「じゃあ、学校行く。でもすぐに帰ってくる」
「うん、いってらっしゃい」
 最後のその時まで詩と一緒にいたい、一分一秒でも長く一緒にいたい。

でも…―。
 明日になれば詩のいない毎日になる。詩と出会う前の日々に戻る。そう、戻るだけなのに。
どうしてこうも胸が苦しくて辛いのだろう。
その答えは簡単だ、俺が初めて人を好きになってしまったからだ。たった一か月なのに、彼女の存在は俺の中であまりにも大きくなり過ぎていた。
 
 朝食を二人で取ってから詩を家に残して俺は学校へ向かった。
学際後の教室の雰囲気は独特だ。浮ついた空気感がまだ漂っている中、二年生はこれから勉強モードに突入する。若干の緊張感と浮ついたそれが混在する。
 三年生は言わずもがな受験勉強に向けて一直線だ。たまに三年生の教室のある廊下に行くとそこからでも感じるぴりついた空気感にいずれ自分もそれを経験するのかと思うと胃の奥が重くなったのを思い出す。
 自分の席について頬杖をつきながらボーっとしていると、机の上に影が落ちる。
視線だけを上に向けるとそこには橋本さんが立っていた。

「昨日はお疲れさま」
「うん、お疲れ」
「詩ちゃんはもう本州に戻ったの?」
「あー、確か明日にはいくとおもうよ。それがどうかした?」

 橋本さんの目が眼鏡越しに揺れた。
俺は出来るだけ感情を抑えるように喋った。

「そうなんだ。短い期間だったけどとても助かったし、詩ちゃんとてもいい子だったから…。出来ればもう一度会いたいなって」
「うん、それは俺も思うけどもう今日は準備で忙しいって言ってた」

 そうだよね、と言った橋本さんはいつもの口調ではなくどこか弱々しく感じる。
橋本さんは何かに薄々気づいている。
 まさか詩が既に亡くなっていることを想定しているとは思えないが、俺と詩の言っていることに矛盾があることを感じているのは確かだと思う。

「また詩ちゃんに会うことがあれば言っておいて。楽しかったよって」
「分かった。伝えておくよ」

 一限目から数学で、久しぶりにみた数学の担当であるおじいちゃん先生がクラスに入ってくる。学際明けの一発目が数学というのはかなりヘビーだ。
俺は教科書を開いた。ペラペラと数Cの二次曲線のページを捲りながらも先生の話など一切頭の中に入ってこない。

「え~では、次のページの問三を早速解いてみましょう」

 シャープペンを握って問題を目で追うのにそれらが歪んで見えなくなる。
靄がかかるようにそれは視界を覆ってそのうちぼたぼたとノートに水滴が落ちる。
 授業中に泣くなど俺の中で前代未聞だ。ありえない。泣きたいほど悲しいことなどこれまでなかったのに。

 詩が消えてしまうことが怖い、辛い、どうにかなってしまいそうだ。
例えば、神様が本当に存在するのであれば俺の寿命を半分あげてもいい。
だから彼女に存在していてほしい。出来るならば時間を戻して、詩が死ぬ直前に俺の寿命を半分あげていい。涙がどうしても止まってくれない。