ある風雨吹き荒ぶ嵐の夜のことだった。
古城を訪問する一人の客がいた。

「………あら?」

玄関扉の前に付けられた、装飾の施された2頭立ての箱型馬車を確認したティーは、掃除の手を止めて出迎えに向かった。


「ーーー嵐の中、よくお越しくださいました。主人に御用でございましょうか?」

馬車の窓にはカーテンが引かれている。その中から、客人の返事があった。

「北東領主のマスカラ・バルトールです。
交渉の件で参りました。“無情王(むじょうおう)”に目通り願えますか?」

貴族のようだが、落ち着いた丁寧な口調だ。
その客人の名を、ティーは予め主人から聞いていた。
「仕事の件で訪問がある」「北東領を治める領主だ」と。

「バルトール様、お待ちしておりました。」

ティーは旦那様の仕事の詳細を知らない。
時折身分の高い貴族達が訪問しては、何やら重要な「交渉」をする。
そして、皆一様にして旦那様のことをこう呼ぶのだ。「無情王(むじょうおう)」と。

その呼び名を聞くたびにティーは言いようのないモヤモヤを抱く。

ーーー旦那様はちっとも無情なんかではないのに…。そりゃあ、いつもツンツンしてらっしゃるけど。

馬車から降り立ったマスカラ・バルトールは、貴族の証である、金の刺繍のサーコートを身に纏っている。彼はどこか浮世離れした、温和な顔付きの青年であった。
この国ではありふれた金髪に、主人のものとは少し深みの違う青い瞳。その容姿を見た時ティーは、自身の中で印象深い「先代のご主人様」と、バルトールを重ねた。

「ーーーお嬢さん?どうしました?」

「……あっ、も、申し訳ありません!どうぞこちらへ。」

ティーは慌ててバルトールを先導し、いつも客人を案内する、塔の応接間へと向かう。

人気の無い、薄暗い古城の中を案内されながら、バルトールは当然の疑問を口にする。

「……時に、この城に他の使用人は?」

「わたくし一人ですわ。(あるじ)の意向なので。」

「そう、ですか……。
それは大変ではありませんか?若い女性がお一人だけなんて。」

その優しい気遣いに、ティーは感激を抑えられなかった。

普段あの幼い主人は、彼女の身の心配なんてこれっぽっちもしてくれないのだ。「広い広い古城の管理」と「主人の世話」を、年頃の女性一人に任せる無茶ぶり。
使用人生活を10年も続けているティーにとっては慣れた日々だが、こうして改めて「一人の女性」として扱われるのはなんとも言えない感覚だ。

「…お、恐れ入ります。」

マスカラ・バルトールという男は不思議だ。
これまで目にしてきた貴族とは違う。横柄な態度を取らず、物腰柔らかで紳士的。

ーーー旦那様には黙ってるけど、わたしこういう紳士的な(かた)もタイプなのよね…。レディファーストというか、身を呈して守ってくれそうな…。

「そういえば、まだ貴女のお名前を聞いていませんでしたね。」

自分の世界に浸かり始めていたティーは、バルトールの言葉にハッと意識を呼び戻す。
応接間へ向かう足を少しだけ遅めながら、会釈とともに名を名乗った。

「ティエルナ、と申します。この城にいらっしゃる間は、何なりとお申し付けくださいませ。」

「………。」

ティーは気づかなかったが、この時バルトールは小さな声で「ティエルナ…」と呟いていた。その響きをしっかり記憶するかのように。