「聞こえているよ、ティー。」
声が聞こえると同時に、閉じられていた瞼がパチッと開かれ、主人の青い瞳と目が合ってしまった。
ティエルナ…ティーは驚きのあまり息を止める。さっきまでの独り言もすべて聞かれてしまっていたというわけだ。
「……イエ、あの、旦那様。よ、よくお休みになられたようで、何よりですわ!」
「“おっかない主人”の目覚めだ。もっと喜ぶといい。」
「うぅぅ…。」
小さな旦那様は無表情で、寝起きとは思えないくらい淡々と、澱みなく話した。
ひとつ伸びをしてから、その場に立ち上がる。背丈もやはり10歳の少年らしく、小柄で可愛らしい。ティーは自分との身長差にうっとりしてから、
「朝食の準備が整いましたが、お疲れですよね。軽いものになさいますか?」
主人の皺くちゃになった上着を脱がせながら訊ねた。
「…いや、貰う。昨晩は交渉が長引いて何も食べてないんだ。」
ティーが彼の顔を覗き込めば、可愛いらしい目元にうっすらと浮かんだ隈が確認出来た。
自分が介助をしていないため、当然入浴もまだだ。
「…旦那様。お仕事熱心なのは大変よろしいんですが、健康第一。ご自身のお体第一ですよ。何かあれば、わたしを呼んでくださればいいのに。」
「君は使用人だろう。主人の仕事に口を出さないでくれ。」
「………はい。」
そうピシャリと言われてしまっては返す言葉もない。
この小さな主人は、仕事の話をするのを何より嫌がるのだ。
ティーがメイドとしてこの古城に住み込みで働くようになったのは、先の大戦が終戦して間も無くだった。
人口の多い町や主要都市は、竜による破壊の爪痕が現在も残っているという。
対してこの古城は山岳地帯の国境付近に位置していて、険しい山々に囲まれて人間の住める環境ではない。そのため竜による被害も少なかったのだ。
終戦当時は職を失い路頭に迷う者が多かった中、まだ13歳ほどの少女だったティーが働き口を見つけられたのは、不幸中の幸いだった。
当時のティーを雇い入れたのは、あの幼い旦那様ではない。同じ金髪に青い瞳ではあったが、もっと穏やかな雰囲気を醸し出す、壮年の紳士だ。
それがつい2年前、近しい続柄であるという今の幼い旦那様が、この古城と、そしてティーの新しい所有者となったのだ。
ティーとしては、
「こんな小さな子一人に仕事とやらを任せて大丈夫なのか?」
「以前の旦那様はどこへ行ってしまったのか?」
「なぜわたし以外に使用人を雇わないのか?」
など疑問は尽きなかった。
しかし、自分はあくまで雇われの身。
今の主人とはきちんと意思疎通が取れて、衣食住も整っており(なお自分で整える必要あり)、賃金もきちんと支払われている。主人の身の回りの世話をし、古城を管理する以外に、自分がしゃしゃり出ることは許されないだろう。
だからせめて、今の雇い主であるこの可愛いらしい主人の健康はわたしが守らねば。そう心に誓うのだった。