かつて幼い少女だったティーは、人竜大戦に巻き込まれ、家族を竜に殺された。
自身も襲われ、生き延びたが今も心には深い傷が残る。
そして今、大切なご主人様までも…。

嵐の夜。視界に(そび)える金の鱗の竜は、当時の恐怖を呼び起こすには充分な要素となってしまった。
ティーは目を大きく見開き、止め処なく涙を溢れさせながら、

意識を失ってしまった。


フィクシオはティーの姿を見下ろしながら言う。

【誰もいない地で、せめて苦しまぬよう殺して差し上げます…。】

それはフィクシオにとって、憎むべき人間に対しての最上の情けだった。

フィクシオの背後で、塔を突き破る者があった。

体に降りかかる雨を一瞬で蒸発させてしまう熱気。炎の光すらも反射しない、鎧を思わせる真っ黒な鉄の鱗。
フィクシオよりも何倍も肥大した体。
瞳を赤く血走らせた、黒い竜がそこにいた。

その竜を目に映した時、フィクシオは、

【あぁ…!お会いしとうございました。
無情王!“モンストロ様”…!!】

青い目に涙を浮かべて歓喜した。


【私のティエルナを返せ…!!】

モンストロは、フィクシオの前脚に捕われたティエルナから視線を逸らさない。
怒りに突き動かされるまま、竜特有の鋭い牙を剥き出しにし、フィクシオへ襲い掛かる。

【…ガァァ!!】

フィクシオが不気味な呻き声を上げた。
回避する暇もなく、モンストロの牙は、敵の前脚の付け根部分を捉えていた。

深く深く金の鱗に突き立てられた牙。さらに傷口からは、先ほどフィクシオの体から出火したのと同様に、高温の炎が吹き出す。
それがさらにフィクシオを苦しめた。

痛みに叫ぶフィクシオと、
なおも咬合(こうごう)を強めるモンストロ。

やがて炎の牙は、フィクシオの前脚を完全に切断した。

古城の上空に、フィクシオの叫び声が響き渡った。

切断され、緩んだ指の間から解放されたティーの体を、モンストロがすかさず受け止める。

【ティエルナ…!!】

ティーはまだ生きていた。
しかし呼吸は浅く、虫の息だ。いつ死んでしまうかも分からない。

小さく弱い人間と、強大すぎる黒い竜。
そのあまりに不釣り合いな対比を目の当たりにして、フィクシオはなおも叫んだ。

【…なぜ人間のために、貴方は仲間を傷付けるのです…!?なぜ…っ!
私を助けてくださらないのに…!!】

前脚を失った痛みも忘れ、意識のすべてがモンストロへ注がれる。
あれほど信頼していたのに。憧れていたのに。今自分の目の前にいる、人間なんかのために変わり果てた竜を、到底受け入れられない。

モンストロは庇うように、ティーを自身の背後へと隠した。


【…私が守りたいのは、“ティエルナ”だ。
ティエルナが…二度と苦しむことのない世界を作ることだ。】


竜の立場を捨てて、人間の少年の姿に身をやつしても。
竜と人間の、終わらない憎しみ合いの矢面に立つことになっても。

例え、自分の仲間だった“竜”を殺す選択を取ることになっても。

それが引いては、人と竜の争いを防ぐことに繋がるのなら。

【…やはり、私を選んではくださらないのですね…。】


モンストロはもう言葉を返すことなく、フィクシオに向かって口を開いた。
腹部から湧き上がる熱が喉を伝い、口から溢れ出て、炎の息吹となって放出される。

その熱はモンストロの鉄の体を、瞬く間に赤く染め上げる。


【ガァァッ、アァァ…!!】

モンストロの炎は、フィクシオの金の体を包み込み、みるみる溶かしていった。

金の鱗は剥がれ落ち、熱によって雨粒のように小さくなり、やがて溶けて消えていく。
炎の中で苦しむフィクシオの目は、ずっとモンストロだけを映す。

かつて憧れていた存在を目に焼き付けながら逝ける。死にゆく彼にとって、それは唯一の救いだった。
竜は美しい。恋焦がれずにはいられない。人間の味方をする彼を、結局憎み切れなかった。

【モンストロ様……貴方もいずれ分かります。
人間は貴方を永遠に憎むでしょう…。
貴方を愛せるのは、私達…竜だけです…。】

その言葉を最後に、フィクシオの体は灰も残さず、跡形もなく消えてしまった。


フィクシオの最期を見届けたモンストロは、一人胸の内を吐露する。

【……一度刻まれた憎しみが消えることはないよ、フィクシオ。
その憎しみを稀釈するには、途方もない時間と、途轍(とてつ)もない慈愛が必要だ。

私は命を奪った責任を負いながら、生きていくしかないんだ…。】

モンストロにとっての慈愛の対象が、ティエルナという一人の女性だった。

ただそれだけのこと。