三連休も明け、一学期の残り少ない今週最初の登校日を迎えた。

 うちの学校はローファーだからそこの時間が削れてまだ助かる。踊り場を抜け、教室の前に着いた時には既に制服のカッターシャツが、汗でにじみ出ていた。心臓も激しく動き吐息も漏れる中、深呼吸一つで落ち着かせ、ドアを開ける。一番先に光景に入ったのは、祭り事件簿と言わんばかり、その命運に関わった程であろう彼女こと、中野和葉が存在していたことだ。

 あの時の姿とはまるで違い、普段の姿。艶の入り綺麗に切られた黒髪に、アーモンド状のくっきりとした目元。その周りに数人の人の集いができ談笑している。

 すると、僕がドアのレールをまたぐと同時にだるまさんが転んだが始まった。

 一斉に僕の方へとむき出し、目を向けられまるで転校生気分。不思議にも思ったが察せる。

 噂というのは風のように吹かれるもの。

 それでも躊躇せず自席へ向かう。

 先に安否を知っているから、今さら何も思う必要ない。そもそもあの行動は自分ではないのだと思っているし僕は自分自身目を瞑った。二度はないと思うから。

 しかしどうもこの生暖かいような風が流れたようなクラスの異様な雰囲気に無理ある。周囲から雑音がする中、一人の影が僕の机に差し込んだ。

 通りがかりだと思い最初は無視しようと考えたがそれは無理ある。

「桑原君」

 と明らかに僕は呼ばれた。声の方へ視線を上げると、長いまつ毛と黒目が僕を見下ろすようにしていた。

「おっはよーございます! 桑原君! グッドモーニング!」

「…なぜ二度も呼ぶ?」

「朝の挨拶は何より一番大切だよ? しっかり一日を迎えるから!」

「それが君のルーティンってやつ?」

 そう!と大袈裟な相槌を立て、軽く笑い出す彼女。初めてまともに会話する僕にも対しても弾むような。それ故彼女がクラスで人気な部分が出ているのだろう。

「うん。君のそのルーティンはどうでもいいとして」

「うわ! そんな事言わないでよ失礼でしょ!」

 片側の頬をよく膨らまし、笑みを浮かべながらも軽く僕の発言に不貞腐れた。

「それは失敬。で、何かよう?」 

「何でしらを切るような雰囲気出すの? まぁそーゆー謙虚な態度も今はおいといて。一昨日は………」

「あぁ、別に」

「ちょっと! まだ私何も言ってないじゃん。口挟まないでもらえる?」

 言葉を遮ったのはともかくとして思いの他図々しい。

 ごほんと話の論点をリスタートするよう、小さい偽の咳を入れる彼女。

「こういうのはちゃんと言わないと思って。助けてくれてありがと。私あの日朝から貧血気味で無理しててそれで………」

「それは災難だったね」

 重苦しいように言うのが雰囲気として伝わる。少しトラウマにも残っているようだ。それは仕方ないだろう。意識が飛びかけたなんて自分でも驚くはず。ほんと普段良く口調が多い彼女でも以外な一面だった。

「うん。あっでももう大丈夫だから心配しないでいいよ!」

「別に心配もしてないし助けたとかじゃないけど、うん」

 助けたはともかく心配はちょっとは当てはまり、隠した。

「えぇ、もしかしてほんとはあの場でただ私を見殺す気だった?」

「そんなことまさか」

「ふぅん、そっ」

「僕はただ当たり前の事をしただけ。君が今無事でいるならそれでいい」
 
 結論はそう。あの姿を見ても、回復してるならよっぽどだ。

 すると彼女から変な感嘆が聞こえ出し、見ると見事に顔が火照らせていた。

「熱でもある…?」

「ち…違うよ! これはえっと……その……きょ今日も暑いからさ! ほら三十度超えてるし!」

 かなりの挙動で窓の向こう側の青しかない浮かぶ日差しを指し言った。確かに今日の天気は三十度を上回る。でもそれは午後からだったはず。

 熱中症かのように赤くなった頬を全力で冷ますよう手を大きく振ってカモフラージュし、否定する彼女にああそうと適当の意のまま返した。彼女の赤くなった理由よりも、周りの目というのもしばし気になり早く会話を切り上げたい気持ち大きい。

「あっ、今私の事馬鹿は風邪をひかないから大丈夫かってそんな反応でしょ?」

「自身持って言うのならそうかもしれないね」

「君思った通り卑屈だね」

「言っとくけど君と僕こう見えても初対面だよ? よくそんな事」

 すると頬を冷ました彼女の表情をぼくへと 近づけながら言った

「あれぇ? もしかして忘れたぁ? 前も一度、今みたいに楽しく話した事あったじゃん!」

 まるで自信の渦中というペースに吸い込まれているような気がする…。キャッチセールスみたいな感じか?

 これが楽しい会話だと思うのは恐らく彼女だけ、別につまらんとかそういうネガティブ思考を抱いているわけでもないが楽しいという概念が見当たらない。

「君と僕の記憶ではまるで違いの差が激しいのかも」

「アハハー、辛辣ー! 今のは乙女の心に傷ついたわー!」

 顔を引いた彼女は芸人がやるような大袈裟なリアクションを取り教室中に彼女の高い笑い声が響く。僕はそれを肩を下げ身を潜めた。

「ようするに私どうしても君にお礼したくてさっ。よかったら放課後にでも………」

 お礼? 一体彼女は何を言っているんだ? 僕はただ当たり前の事をしただけ。そしてあの行動は僕ではないと確信した。そうでないとおかしい。だから礼も何も僕には必要不能。

 危うくペースに乗せられるところだった僕は気を取り直し。

「別にそういうのは………」

「放課後用事ある…?」

 人の話よりも自分の目的を優先してき食い気味のように聞いてくる…………。まじまじ見つめられ僕からしたら、それが窮屈にも感じる。

「ごめん実は………」

 これから先全て悟り、言葉が出る前にあえて申し訳なさそうな雰囲気を出した。あくまで気持ちだけ受け取る、それでいい。決めた掟だから。

「え、君部活やってないよね? いつもスタスタ帰ってるし」

「授業終わってやる事ないのに、学校に留まる必要なんてある?」

「ないよね、じゃあ今日の暇なんだ。暇暇っと」

「最後の何? そもそも僕礼なんていらないんだけど」

 突如ホームルーム開始のチャイムが教室で鳴り、同時に担任である今年赴任の新米教師がやってきた。

 教壇の前で立ると次々席に戻る散らけた生徒。そしてまだ席に着こうとしない彼女に担任の目がいった。

「あ、おはよぉー! かずちゃん!」

 担任を綽名でそうやって呼ぶのは、彼女の特権だ。担任も新米という事で僕らと世代も近く、そんな事で一々怒る事もない。頑固な教師とは違いいわばフレンドリーな感じもする。

「あれ中野? 貧血で倒れたって聞いたんだが……もう大丈夫なのか?」

 担任にも風の話が周っているのか。当たり前だが彼女のあっけらかんな姿を見て、いつもと同じだが、状況を知って理解が追い付けず驚いている。

「はーい! もうピンピンしてまーす! 桑原君のおかげで!」

「…………」

 僕の名を大きくも上げられ、周囲の視線がより痛く、キツクなった。

 肩身が狭すぎて凝ってしまいそう。

「そのようだな。でも重症とかならずにほんと良かった。ありがとうな。えっと……桑原?」

 なんで疑問形? でも担任とも関わった記憶も日直当番で日誌を持っていくそれぐらいしかないから存在認識が薄いのであろう。

「あ…はい」とさり気なく頷き声を控えた。

「うーん……でも中野。元気なのはいいが先生もう始めたいから席着きな。周りを見て見ろお前だけだぞ!」

 確かに皆自席に着いている。無論僕は初めから。そして僕の机の横にまだ彼女は起立していて、皆が国会の会議かのように僕を見ている。

「え?! みんないつの間に、もしかして瞬間移動??」

 彼女が首元で綺麗に切られた髪を靡くかのように首を左右に振り、わざとにしか見えない驚く様子。

「お前が遅いだけだ」

 担任の一言に尽き、クラス中に笑いの渦がし出す。何このコント。

 笑いが溢れた教室から彼女が僕を見だし、雑音トークに紛れるよう、控えな声で言った。

「じゃあ、放課後いい?」

 そうだった。ほんの数分忘れた。言うなら今しかない。無理だと。優しさなんていらない。心を鬼にしてでもいい。僕はただ掟を破るわけには………

「返事!」

「う…うん」

 彼女の妙な圧力で遂同意してしまう。彼女は都合よく廊下側の離れた自席へと戻り、五分遅れのホームルームが始まった。


 二限目の休み時間。次の授業は音楽で移動教室。彼女や他のクラスメイトも次々教室を出る中、僕も教科書とそこらで売ってる安物の無地のペンケースを持ち立ち上がる。

「なぁなぁ桑原!」

 また明らかに僕を呼ぶ声がし出した。それも後ろからと。

 振り向くと、そこには席が後ろの野球部がいた。

 すまないが名前は曖昧。僕はそんなレベルだ。

「中野さん助けたみたいだってな! 俺も祭り行ってて遠くからだけど見てたぜ! すげーな!」

 ミリ単位の肌と一致した坊主頭で何も隠すところもないその瞳には輝きという何かを持っていた。

 それを僕の目へと当てるかのように飛ばしてくる。

「別に当たり前の事をしただけだよ」

「へー! 謙虚なんだな! でもそんなのヒーローじゃん!」

「謙虚って……別にヒーローなんかでもないよ」

 難しいはずでもない言動に理解がつかなかったのか、ポカン顔を浮かべ、首を傾げつつ見つめてくる彼。

 どいつもこいつも。ヒーローなんてそんな扱い受けたくなかった。皆の思考と意見にここまで逆らうとなると、意地っ張りでほんとひねくれだと思うが、ヒーローなんて思われたら、まるで自分が好きで動いたみたいになる。好きで動くわけにもいかないし、そんなこと考えたくもない。

 本音を言うと、嫌でもあった。だってそういう場面を目にするということは、必ずしも、苦しむ誰かの存在が必要不可欠となる。

 野次馬共もそうだけど、目にしたことないものは想像で、興味深々となる。そしてあるいは感傷に傾くことも。

 彼は悪気はないとしてもやはり人なんてそんなもんだ。

 俗から見て特定の人物が何か変わったこと行えば、称賛を受けたり、それに反する憎しみや嫉妬心を持つ者も生み出される

 席に着く前からも、妙な視線を飛ばしてくる者もいたはず。それは普段の僕を見てそう思ったんだろう。

 僕には要求部分なんて存在しないのに、時の流れかのようにそう勝手に進んでいく。

 自分の立場ならどうなんだと思うきっと混乱するであろうし、動揺して身動き取れなくなるのもいると思う。

 掛け時計と教室に残ったのが僕らだけを悟り、少し急ぎみで教室を出た。

 人なんて助けたいとは思わない。

 夏も終わりし、鈴虫が湧きだす頃。中学三年の僕は、兄から借りたあの愛機で、一人夜の街を駆け巡っていた。夜にかかる涼風、音沙汰の低い街並み、それが心地よく感じる程だった。

 けして非行や暴走行為なんて事していない。親の目を盗んで、僕はその時期兄から乗り方などをレクチャーされていた。いわば合意の元。非ならお互い、無論今は免許持ち。

 そしてその晩、とある夜景を見に行くため家を出た。

 喧騒が消えた繁華街を抜け、更に薄暗い一本道を進んだその時、僕の心境は大きく変化した。

 今にでも鮮明に思い出す。街灯が点々と消滅しそうな元に、一人の女性が這いつくばっていた。

 本当にドラマかのようだった。咄嗟にブレーキをかけ、駆け寄るとなんとそれは僕と同い年近い女の子であった。肩甲骨辺りまで伸びた、艶のある黒髪、上下スウェットでまるで寝間着。そして…………何より一番印象強いのは吐血であった。その少女の付近には、暗い地面でもわかる真っ赤な吐血が広がり、口元にもそれが渇いた後があった。

 意識はしておらず、僕はその場でかなり焦った。状況が読めず、そして見えず。おまけに当時持っていた携帯はバッテリー切れというなんとも悲惨というか、過酷というか。そんな状況でどうもならないと諦めそうになった途端、這いつくばった少女の白く小さな柔らかい手がしゃがむ僕の足首をよわよわしく掴んだ。

 助けて―――――――と、そう懇親を込めた声で言った。

 その一言で、僕の心と身体が同時に動かされた。まずは、どうにかしてでも助けようと、僕は一つしかないヘルメットを少女に被せ、タンデムした。

 無免、ノーヘル。そして心境も迫られ夜中という理由もあり、人の目を盗み、信号を全部無視するほど、加速させた。

 この時点で前科四犯だ。それでも僕は少女の安否を優先した。当時はこう思った。今だけは僕が救急車だと。

 夜間救急医療病院に着き、バイクから降ろし、少女をおぶりながら必死に走り、受付に着いた途端息切れした僕を見たひとりの男性が慌てだして、先生を呼んだ。

 少女は息をしていないかのように、眠り、僕はそれを不安という感情で胸から込みあがりそうになった。

 そんな僕を見て心配するよう無言で背中を摩ったその男性の表情を今でも覚えている。しかめるかのように内に寄せた眉。結んだ口。そして潤いそうな目。あれは僕の表情だったのかもしれない。

 薄暗くなった病院の廊下を担架を押しながら駆けてきた、医者と看護師が懸命に動き出し、少女はどこかへ運ばれていった。

 僕の心情を探られ、一つの待合室へと移動させられた。

 その前に事情聴取があった。かなりの不信も抱かれたし疑われた。しかし僕は携帯のバッテリー切れを証明に、後は上手い嘘で胡麻化した。今思うと本当に良くない行動をし過ぎたし、むしろ最低でもある。

 そこに何十分いただろう。ただただ僕の終始落ち着かない鼓動と、掛け時計の秒針が動くたび何かに迫られた感じがした。

 医師や看護師が後程来るとの事だったがそれが一向に来ず、心情が大分落ち着いてきたころ、様子を見ようと一度出た。

 音沙汰のないしーんとした廊下をゆっくり歩くものの、靴裏の音が響きゾッとした。

 そして曲がり角を抜けた矢先、

「きゃっ…!」

 そんな甲高い声がした上、僕は誰かとぶつかりそうになった事に気づいた。

 咄嗟にその人の腕を取り、体勢を戻す前に見覚えのある感覚と思って首を上げると、なんとあの朦朧だった少女が驚いて目を丸くしながらいた。

 こっちが驚いた。状況も読めない上イレギュラーが重なり、頭がおかしくなりそうだった。

 すると少女は嬉しそうに口角を上げ、見つけたと言った。アワアワとする情けない僕に少女が次々と言葉を投げ、次第に僕も表情が落ち着けた――――――――

 しかし僕はあの場から突然逃げ出した。それは僕の一方による行動だった。あの少女が突然僕の一言で泣き出したから。そこから自身の胸にそれを留め父親がいなくなったその日を境に僕は二度と乗る事を辞めた。