草原を風が駆け抜けた。はら、と前髪が視界に舞い込んできて、リトは手を止めた。さっきまで弾いていたアコースティックギターを傍らに置き、ふうっと空を見上げる。気づけば、真上にあった太陽はずいぶんと西に傾いてきていた。またこんな時間まで、練習に没頭してしまったらしい。ちらほらといた遊んでいる子どもたちも、帰り支度を始めているのが見える。そろそろ戻らないと、本格的に暗くなる。いや、でももう少しだけ、と考えていると、あぐらをかいたリトの上に影が落ちた。
「お兄ちゃん、すっごく上手だねー!」
 きらきらとした目で見つめてきたのは、遊んでいた子どもの一人のようだった。
「お、そうだろ。ありがとな」
「ねーねー、私の『楽譜』みえるー? 弾いて!」
 リトが手を止めるのを待っていたらしい少女の無邪気な言葉に、苦い笑みを浮かべる。楽譜、か。
「ごめんな、俺それはできねーんだ」
 そう言うと少女は残念そうな表情を浮かべた。
「そっかー、上手だからできると思ったのになー」
 できたらいいんだけどな、とリトは少し俯く。
「お兄ちゃん?」
 俯いた顔を覗きこんでくるから、ごめんごめん、と彼女の頭を撫でた。
 と、そこへ、クレスタ、と少女を呼ぶ母親の声が響いた。
「あ、お母さん」
「あ、じゃないわよ。もう、遅くまで何してるの。ってあら?」
 少女を呆れ気味に叱っていた母親は、リトとその右手が触れたギターに気がつくと、途端に申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさいね、この子一度自分の『曲』を聴いてみたいって聞かないのよ。楽器を持っている人がいると誰でも話しかけちゃうの。あんまり、気にしないでね」
 それじゃあ、と焦るように会釈した母親に少女は手をひかれていった。
 また、風が正面から吹き抜けて、リトの髪をみだす。
 そのざわめきに乗って、この町に音使いはいないって言ったでしょ、と母親が少女に言い聞かせているのが聞こえた。
 音使い。音楽を紡ぎ、奏で、人を救う者。
 そしてこの町に音使いはいない。でも。
 リトは両脚にぐっと力を入れて立ち上がった。
「クレスタ!」
 大声で呼びかけると、少女は不思議そうに振り向いた。
「今はまだちがうけど、俺、絶対なるから。音使い」
 にかっと笑いながら、髪を乱雑に耳にかける。
「だから、その時また聴きにこいよ!」
 少女は少し驚いてから、たちまち顔を輝かせて、うん、と嬉しそうにうなずいた。
 空の橙色が辺りをほのかに染めていく。