鮮やかな雲が、風と共に流れていく。
夕暮れを舞いながら俺は、周囲の魔力濃度が高まっていくのを感じていた。
『魔剣、始動。秩序封印、解除』
それは、魔力の暴風雨だった。
俺の周りにだけ、嵐が巻き起こっている。
『何があっても絶対振り落とさないからな、ゴシュジン!』
『防御はお任せあれですわ! 根性ッ!』
ベルとルーチェは飛行し、敵を少しずつ減らしていく。
俺とヒナは魔力を通わせて、ただひたすら集中していた。
『――――原点回帰。
形天海、不要。帯着土、否定。不確定凝固光、完全無効』
魔力は高鳴る。渦を巻く。
幻想的。もしくは蠱惑的なまでの魔力粒子が、俺たちの世界の全てだった。
『帰還域世観から、不帰還域世観へ。
密接世界域の膜を持ってして、全ての物質を無に帰さん』
かつて。
世界が歪みに満ちたとき、一つの剣が産み落とされたという。
それは世界を滅ぼし、時に世界を救い、混沌も秩序も、善も悪も超えたところに、概念として穿たれていた、至高にして究極の一振り。
「いしきが……」
流れ込んでくる。
神々。よりも、更に前の時代なのか。
断片的な魔剣の記憶が、俺の頭の中を駆け巡る。
魔王――――のような、ナニカが見える。
一振りで破滅。一閃で殲滅。
一刺しで消滅し、一夜にして壊滅を与える魔の剣が、そこにはあった。
「――――関係ないね」
過去に何があったのか。どんな扱いをされていたのか。また、どんな封印を迎えたのか。
そんなものは、すでに俺たちには関係が無い。
魔剣ヴァルヒナクトは新生され、
今はこうして、俺と共に面白おかしく生きている女の子だ。
こんなにも、あまりにも可愛らしい、幼女なのだから。
「その名は、魔剣・ヴァルヒナクト!」
『世界に陰りと混沌と、そして――――』
きらめきと共に。
彼女は高らかに、勝鬨を上げた。
『おにいちゃんに、勝利をもたらす希望の剣だ!!』
俺は。
魔力を纏い、竜の背中に悠々立って、
剣を構えた。
風景が。空間が。
とてもスローモーに見える。
迫り来る爪も。邪悪な翼も。
魔力の残滓も。遠くの風景さえ。
全部が等しく止まって見えたような気がした。
「おぉぉぉぉッ!!」
咆哮を上げる間さえも、時間は止まっているように思える。
自分の瞳孔が開きっぱなしなのが分かる。
体中の血液が沸騰したように熱く、その中で、内側で、更に何かが回る。
今までに感じたことの無い、魔力の昂り。魔力の流れ。魔力からの――――支配。
頭の先から爪の先まで、きっちりくっきりと神経が通っているみたいで。その神経すべてに、さらさらの魔力が流れているような、そんな感覚。
――――器用に。
小器用に。
いつものように、魔力を使い分ける。
罠解除の要領で、ルーチェに。初級攻撃魔法の要領で、ベルに。回復や解毒魔法の要領で、ヒナに。
鋭敏になった肌感覚と、日常的に使ってきた魔力が、親和性良く回り始める。
配分。使い分け。切り替え。
約四十年間使い続けてきた身体と思考の癖は、とてもありがたいことに、意識的と無意識的の間で、上手いことソレを実行してくれていた。
時間は――――まだ動かない。
鮮明なのは、意識だけ。
止まった時間の中で、感覚と意識だけが、光速で動き出しているのを感じる。
「オォォォッッッ!!」
もう何体目かも分からない、ガーゴイルを両断する。
しかしながら恐ろしい。一撃でも、一体でも切り損ねたら、即アウトになるゲームをしているようなものだ。
今沸き上がる熱量に名前をつけるなら、間違いなく『勇気』である。
それくらいに今俺は、危うい綱渡りをしていると自覚している。
「けれど――――」
ベルもルーチェも、勿論ヒナも。
俺の味方で、力になろうとしてくれている。
だから俺も、前だけを見据える。力を、行使し続ける。
「はぁぁぁぁッ!」
両手で握りしめる魔剣を振るう。
一撃一撃が途轍もない膂力。
一斬一斬が並外れた破壊力。
次々と襲い来る魔物たちを、それを上回る速度で動き、一刀の下に切り伏せていく。
すでにベルの速度は最大だ。
目まぐるしすぎて目が回る。
超高速戦闘の世界に、今、俺はその身を置いている。
ルーチェの魔法支援により、視野は異常なほど広がり、この広大なまでの空にいるのに、隅々まで情報が頭に入り込んできた。
とにかく、今の俺は強い。
人でありながら、ヒトではなくなったかのように。
こいつらが見ている世界。
ヒナが見ていた世界。
そしてこれから、俺が見ていくかもしれない世界だ。
「おっ、お、お、お、お、お、お………………ッッ!!」
のう の しょり が、
おいつか ない。
ヒトの身でありながら、ヒトではないモノの力を振るっているのだ。そりゃあ、のうも、からだも、だめになる――――
『ゴシュジンッ!』
『旦那様ッ!』
「……お前ら!?」
ヒナの力に押しつぶされそうになっていた俺の意識を、彼女らの声がせき止めた。
『おにいちゃん! 大丈夫だよ! 使って!』
「ヒナ……」
『何があっても、おにいちゃんを闇には引き込まないから!』
一瞬の後。
闇抱きが思い起こされる。
「……はは、大丈夫だ、ヒナ」
『おにいちゃん?』
「闇に染まろうがなんだろうが、俺はお前らと一緒にいるからな!」
――――あぁ、
元気は出た。
気力は戻った。
いいさ。やってやる。ここでやらなきゃリーダーじゃねえよ……!
「一滴残らず……、もっていきやがれぇぇぇぇぇぇぇッッ!!」
最後の力を、全て魔剣へと注ぎ込む。
黒く。
黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く……どこまでも黒色の魔力が唸り、膨大に膨れ上がったかと思うと。
それはまるで暴発するかのように魔力エネルギーを発して、全てのガーゴイルたちを消滅させた。
邪悪とも言えるどす黒い一筋の魔力光は、街の空を漂い、次第に霧散していく。
「………………あ、はは、は、やったの、か?」
あまりの威力に変な笑いが出てしまう。
その一瞬の後、手に残った熱が、任務達成への実感に変わっていった。
静かに空を舞いながら、俺はひと時、勝利の余韻に浸っていた――――
『あ、ヤバイぞゴシュジン』
「ん? 何が?」
ベルの言葉に俺が首を傾げると、後の二人も『あ、本当だ。まずいね』『そうですわね』と続いた。
『ベルたち……、今ので完全に力使い切ったみたい。この姿維持できなくなる』
「はい!?」
『もう……、無理だぞ~……』
疲労感のある声と共に、ぽんっという可愛らしい音がして――――三人の姿は、ニンゲン状態に戻った。
服は着ているな。あぁよかった。安心した。……などと思っている場合では無い。
ここは街よりはるか上空。
そう、空の上。
鐘付き塔よりも更に上へと上昇している高さなのである。
「………………は、」
人は……、この高さの落下から、耐えられるものではない。
だから。
「おにいちゃ――――」
「……大丈夫だ!」
俺は落下しながらも、冒険者バックから、みんなに上級者用アイテムを渡した。
「みんな! その石に魔力を通して、砕け!」
「うん――――!」
四つの音が、こだまする。
手に持った石が柔らかく砕けると同時。
俺たちの身体は淡い魔力に包まれ、ゆっくりと中空を舞っていた。
「わっ……! す、すごいですわ!」
「おぉ~……。翼で空を飛んでるときとは、また違う感覚だぞ」
「はは……。念のために、財産つぎ込んどいてよかったよ……」
それは。
飛翔の加護。
上級ダンジョンなどに発生する、飛行しなければたどり着けないような場所へ行くための、
――――とても高価なマジックアイテムである。
「最後の最後……、役に立ったな……」
苦い経験と共に、中空を舞う。
だんだんと降下しながらも、俺は隣を舞っているヒナと、手を繋いだ。
「ヒナ……」
「……えへへ」
彼女の脈動が伝わってくる。
眼鏡の奥の大きな瞳と、目が合った。
「ありがとう、おにいちゃん。信じてくれて」
「当たり前だろ、ヒナ。お前は俺の、仲間なんだから」
手は、重なる。
更に二つ重なって、四人になる。
魔剣と魔竜と魔法と、人間。
俺たちが救った街へと、
四人でゆっくり、着地した。
「さぁて……、なんて説明したもんか」
取り囲む喧騒。
向けられる視線。
降り注ぐ歓声。
帯びた熱。
ぼろぼろに薄汚れた身体で、しっかりと地面に立って。
俺は苦笑しながら、
前へと進んだ。