「…………」
狐輪家との婚約が成立してから数日、羚は出先で、衣夜への贈り物を悩んでいた。
「坊ちゃん、悩んでおられるのですか?」
使用人の直家が、羚の買い物姿を覗う。
羚が幼い頃から仕えている彼は、とても信頼出来る人物だった。
──父上は忙しいだろうし、兄上は笑ってきそうだからな。結婚をして、子供もいる同性の直家の方が聞きやすい。
「自分で渡すと言ったのに、情けないな。まさか女性への贈り物でここまで悩むとは思っていなかった……」
「よろしいじゃありませんか」
「どういう事だ?」
直家は嬉しそうな表情をしながら、まるで懐かしむように語る。
「昔から悩むことなく何でもこなしてきた、坊ちゃんが悩むなんて、それだけ大切な事なのでしょう?」
「まあ。確かに……」
「ゆっくり選べばよろしいかと。時間はあるのですから」
「そうだな」
羚は結果的に、簪を贈ることにした。
「簪ですか、いいですね」
「ああ。彼女らしいものを見つけられたからな」
男性から女性へ、簪を贈るのには求婚の意味がある。
最近では、西洋の文化も入ってきたので指輪を贈るのが多いらしいのだが、羚は指輪よりも衣夜に似合うものを、と簪を選んだ。
──受け取ってくれるだろうか。喜んでくれると、いいのだが……。
「変わられましたな」
「何がだ?」
「今まで、お仕事で帰らない日もございましたのに、お休みしてまで来られたものですから」
羚はそういえば、と思い出す。
自分の出資で作った会社を、もっと大きくしたい一心で、ずっと働き続けてきた。
今でこそ、大きい会社にはなったが、まだまだやるべき事があると、変わることは無かった。
だが、それも全て衣夜に出会い、変わった気がする。
「そうだな。こんなに、短期間で変わったのも、彼女に取り込まれたからだろうか」
「ほほっ。まだ結婚もしていませんのに、もう惚気ですかな」
ハッとして、手のひらで口を覆う。
「ほほほっ!」
直家の愉しそうな笑い声が、街に響き渡った。