「本当に狭いし暗いな。お前はここでどうやって生活していたんだ?」
 黙々と荷物を選別する咲耶の隣で暁はここに初めて来たときと同じく、物珍しそうに部屋の中を物色している。ついてこなくてもよかったのに!とは声には出さず咲耶はひたすら手を動かしていた。


 中村と結婚する寸前、暁に連れ出され車に乗せられた咲耶は、そのまま彼の家へと連れていくと言われ目を剥いた。抵抗したかったが、調子が悪そうだと指摘され自分が体調を崩していたのを思い出した。

 気が抜けたからか悪寒がして、たしかに体調が良くないのは火を見るより明らかだった。早く横になりたい気持ちが増していく。ここは素直に暁の申し出を受けた方が良さそうだ。どっちみち、このまま伯母の家に戻れるとも思えない。

 しばらくぼんやりしていると声をかけられドアが開けられる。暁に手を差し出され、おずおずと重ねたら引かれるようにして車を降りた。

 暗すぎず明るすぎない程よい照明に照らされた完全屋内のスペース、まるで高級外国車が並ぶショールームだった。車にそこまで詳しくない咲耶でも知っているブランドのロゴマークをつけた車が悠々と停められている。

 あたりに視線を飛ばしていたら暁に手から肩を抱かれ、支えられながら先へと促される。
 大きなエレベーターに乗り、どこまで上るのかと不安になりそうなほど乗っていると、直通で行き着いたのは、咲耶の想像をはるかに超えた広さの部屋だった。

「ここに……住んでるの?」

 おそらく辿ってきたルートからマンションの一室だとは予想していたが、どこかのお屋敷だと言われても違和感がない。モダンな雰囲気で窓から差し込む光がキラキラと反射し、大きなソファが置かれているリビングだけで生活できるほどのスペースがありそうだ。平面的な圧迫感がまったくない。

「そうだ。誰かを連れてくることはめったにない。光栄に思うんだな」

 相変わらず一言多いと思うが、いちいち言い返す気力もない。さらに案内されたゲストルームは白と茶色を基調とした暖かみのある雰囲気だった。
 
 ベッドに横になる前に着物を脱がなくては。着せてもらった身なので、そこまで詳しくはないがなんとか脱ぐことはできそうだ。咲耶は覚束ない手つきで帯びに手を伸ばす。続けて力を入れ硬い感触の帯を引いた。

 ところが、固く結ばれた帯はそう簡単にほどけそうもない。見えない分どうすればいいのかまごついていると、突然パリッとした低い音とともに、締めつけている前側の帯がわずかにたゆむのを感じた。反射的に帯を押さえ、いつのまにかすぐ背後にいる男に声をかける。

「なっ、なにするの!?」

 目を見開き、咲耶は首だけ動かしてうしろを見た。対する暁は手を止めず何食わぬ顔で答える。

「あまりにももたついているから、脱がせてほしいのかと。にしても不器用だな。それとも誘っているのか?」

「ち、違う!」

 否定して今度こそ咲耶は抵抗しようとするが、暁は手際よく帯をほどいた。着物にも手をかけられ、さすがに咲耶はパニックを起こしそうになる。

「待って」

「騒ぐな。どうせ肌着は着ているんだろ」

 その通りではあるが、異性の前でそんな心もとない姿で平然としていられるほど図太くも割り切ってもいない。しかし焦る咲耶をよそに、肌襦袢一枚になるまで脱がされ身震いする。熱があるからか、たんに肌寒いからか。

 ぎゅっと自分を抱きしめるように腕を回し、うしろにいる暁を睨みつけようとした。すると不意に視界が歪み、足下が床を離れる。

「ひゃあ」

 完全に油断していたので暁に抱き上げられたと気づくのに数秒遅れた。とっさに咲耶が彼にしがみつく体勢をとったのは本能だ。

「熱いな」

 暁の一言に体温が上昇した気がする。薄い布越しに伝わる手のひらの感触や温もりに、心臓が早鐘を打ち出した。
 暁は咲耶をベッドの端に下ろすと、腰を屈めて彼女に視線を合わす。続けて咲耶の頭に手を伸ばし、花の髪飾りをそっと取った。

「まったく、どこまでも世話が焼ける」

「ごめん」

 あきれた口調の暁に、思わず謝罪の言葉が口を衝いて出た。よく考えると、咲耶が頼んだわけではなく、暁が一方的にしているだけとも言えるのだが、そこまで咲耶の頭が今は回らない。
 するとあからさまに暁の顔が不快そうに歪み、続けて彼はさらに頭を沈め、咲耶の足袋を脱がしにかかった。

「ちょっ」

 そこまでしなくていいと拒否しようとするが、足首を持ち上げられはだけそうな肌襦袢を押さえる方に気を取られる。その間にあっさり足袋は脱がされ、素足が空気に触れた。
 次の瞬間、咲耶は信じられない光景に目を見張る。暁が咲耶の爪先におもむろに唇を寄せたのだ。

「なっ」

 すかさず足を引っ込めようとしたが、想像以上の力で足首を掴まれていて逃げられない。咲耶の抵抗を嘲笑うかのようにさらに暁は足の指から甲へとゆっくりと舌を這わせた。

 これには咲耶も面食らい、本気で足に力を入れる。ざらりとした舌の感触は初めてで、自分は今、なにをされているのか。現実逃避をしたい。血が沸騰しそうだ。

「や、やだ」

 しかし暁の力のほうが強く、咲耶はされるがままだ。ちらりと暁をうかがうと、不意にこちらを見上げていた彼と音が鳴りそうなほどの勢いで視線が交わった。
 硬直する咲耶をよそに暁は余裕たっぷりに微笑み、見せつけるように咲耶の白い足に赤い舌を添わせる。

「やめて!」

 耐えられず叫ぶと、その勢いで咲耶はうしろに倒れ込んだ。
 頭と背中にベッドの柔らかい感触があり、わずかにスプリングの振動を感じたあと、視界に広い天井が映る。そこへ咲耶をうかがうように暁が覆いかぶさってきた。金の虹彩が散った漆黒の瞳が咲耶を捉える。整った顔立ちも相まって吞み込まれそうだ。

 しかし咲耶は怯まずに暁を睨みつけた。すると暁の口角がニヤリと上がる。

「そうそう。お前はそうやって反抗的な目で、強気な態度をとっていたらいいんだ」

 そう告げると暁はさっさとベッドから体を起こす。虚を衝かれ、固まったままでいる咲耶は目を瞬かせた。

「そこに新しいシャツがあるから着替えたかったら勝手にしろ」

 ぶっきらぼうに言い放ち、暁は部屋を後にする。咲耶はのろのろと起き上がりベッドのサイドテーブルに置かれている真新しいシャツに手を伸ばした。
 今になって心臓がうるさい。指先に力を入れ、たどたどしくも肌襦袢の紐をほどきなんとか着替えていく。

 さっきから暁に触れられた足が火傷したかのようにじんじんと熱を帯びている。一体なんのつもりか。
 とはいえ追及は無用だ。おそらく嫌がらせ以外のなにものでもない。暁は自分を嫌って憎んでいる。彼自身そう言っていた。
 そもそもどうしてこんな流れになったのか。回らない頭で咲耶はきっかけを思い出す。

『まったく、どこまでも世話の焼ける』
『ごめん』

 そう言ったあと彼はなんとなく不機嫌そうな顔になった。

『そうそう。お前はそうやって反抗的な目で、強気な態度をとっていたらいいんだ』

 そこである考えが過ぎる。
 もしかして気落ちしている自分を励ましてくれたのか……そんなわけない、都合のいいように捉えすぎだ。本調子ではない今は、思考も鈍っている。着替え終わった咲耶は、頭を真っ白にしてベッドに潜り込んだ。