翌日、咲耶の調子はどうも悪かった。艶やかな黒髪は着物に合わせて大胆にまとめ上げられ、花の飾りが添えてある。着物は桜色で、様々な吉祥文様が描かれた値の張るものだ。公子が用意したのか、中村か。咲耶にとっては、どちらでもいい。ただメイクといい着物の柄といいまるで咲耶の趣味ではなく派手すぎだ。

 ホテルの中にある美容室で着付けとヘアメイクを済ませ、咲耶は何度もため息をつく。寒気が止まらずもしかすると熱が上がってきたかもしれない。とはいえ、今の自分の体調を伝えたところで、公子も先方も今日の段取りを変更したりしないだろう。かえって罵られそうな予感がするのでじっと耐えるだけだ。

 昨日雨に打たれたのがよくなかったのかもしれない。なにより突然現れた暁と名乗る悪神に不幸にすると宣言されてしまった。どう考えてもすがすがしい気持ちにはなれないだろう。

 まさかこの体調の悪さも彼の仕業……じゃないよね。

 そのとき控え室にノック音が響いた。返事をする前にドアが開き、現れたのは咲耶の従姉である佐知子だ。

「あら、素敵。咲耶、結婚おめでとう」

 まったく気持ちがこもっていない祝辞を無表情で受けとる。誰が主役なのかと言わんばかりに真っ赤なドレスを身にまとった佐知子はニヤリと口角を上げた。

「よかったじゃない。あなたみたいに身寄りがない子を妻にしたいだなんて中村社長は懐が広いわね。咲耶にはもったいない人よ」

「なら代わって差し上げましょうか?」というのは声に出さなかった。頭がフラフラして声を出すのも面倒だ。どうやら手筈が整ったらしい。
 咲耶はゆっくりと立ち上がり、覚悟を決め控室を後にする。佐知子に続き向かったのは、ホテル内にある料亭の一室だ。そこで先方と食事をした後、婚姻届を出す予定になっている。お見合いと結婚がほぼ同時という段取りに、そこに咲耶の意思などまったく反映するつもりがないのがよくわかる。

「ちょっと顔色が悪いわよ。そんな顔で中村社長の前に出るつもり?」

 店員に案内された個室前までやってきて、佐知子がくるりと咲耶の方へ振り返った。こんなときでも佐知子が心配するのは咲耶自身の体調ではなく相手に与える印象だ。この結婚がうまくいけば中村不動産とつながりができて、父の会社にとって大きなプラスとなる。咲耶の幸せなどどうでもいい。むしろ不幸になってしまえとさえ思っている。ちょっと顔が整っているからって、昔から親戚もクラスメートも、周囲の注目は咲耶に向けられることが多かった。それが佐知子は気に食わない。従姉の立場が余計に嫉妬心を掻き立てる。けれどそれも今日で終わりだ。

 佐知子の指摘に、咲耶は大きくため息をつき背筋を伸ばして真っすぐに前を見据えた。
 それで納得したのか、佐知子は個室の扉を開けるよう従業員に指示をした。

「お待たせしました、中村社長」

 そこには中村社長と机を挟んで佐知子の両親が座っていた。窓から見える庭園は立派で、宴会ができそうなほどの広さがある。

「咲耶、挨拶しなさい」

「此花咲耶と申します」

 佐知子に促され、うやうやしく咲耶は頭を下げた。その姿に中村は鼻の穴を大きくし、興奮気味に声をあげる。

「これは、なんと。えらい別嬪さんやな」

 その顔を見た瞬間、咲耶の背中に嫌なものが走った。年齢は聞いていたが、中村はあと十才ほど上だと言われても違和感がない。背が低く小太りで、スーツを着ているというよりは、スーツに着られている印象だ。
 ひとまず中村の正面に咲耶は腰を下ろした。その途端、公子が饒舌に語りだす。

「見た目と若さだけですよ。この子は幼くして両親を亡くし、かわいそうだからって周りが甘やかして本当に世間知らずなんです。結婚していろいろと教えてやってください」

「それは不幸な人生を送ってきたんやね。同情するわ」

 咲耶は視線を落とした。心臓がバクバクと煩く、つい顔をしかめる。中村はそんな咲耶の様子を照れているのだと勘違いし、下卑た笑みを浮かべた。

「でも自分の不幸に酔ったらいかん。結婚してあげるけれど、それとこれとは別や」

 あくまでもこの結婚はしてあげる側であり、自分の方が立場が上だという意味を込め中村は告げた。さらに咲耶の隣に座っていた佐知子がわざとらしく咲耶に寄り添う。

「哀れな身の上なのに、中村社長に見初められて咲耶も幸せね」

 かわいそう、不幸、哀れ。

 投げかけられる言葉の数々に咲耶は唇を噛みしめる。胸の奥が焼けるように熱くて、湧き起こる感情が怒りなのか悔しさなのか、名前がつけられない

『今あるものを大切にして、前を向いて感謝しながら生きていくの。そうしたら幸せは向こうからやってくるから』

 父を亡くしてつらかったとき、母が入院したとき、母のこの言葉で前を向こうと頑張った。母を亡くして公子の家に引き取られてからも、両親に誇れるようにと咲耶なりに自分の人生を歩いてきた。

 私、本当にこのままでいいの? でも逆らったところで……。