沈黙。付き合いたての恋人のような絶妙な気まずさだ。静寂を破ったのはギルバートだった。


「ミサ、私は明日、父と決闘します」

「へ?」

 間抜けな声で反応する私に、ギルバートは続ける。

「貴女が人間であることが、父に知られてしまいました」

 公衆の面前でトリカブト中毒を起こし、あんな大騒ぎになれば無理もない。いよいよ、人間界に帰らなくては。次の満月はいつだっただろうか。

 明日が新月だから、あと15日。私はその間に処刑されるのだろうか。

「人間の女に現を抜かすなど、王位継承者としてふさわしくないと」

「国王陛下はギルバート様の王位継承権を決闘によって剥奪しようとしているのですか」

「いいえ、決闘は私から申し込みました」

 どういうことだか分からなかった。狼男の生命力は知らないが、人間の目からは瀕死の重体にしか見えない傷だ。

「どうして、そんなボロボロの体で」

「愛する女性を侮辱されて、怒らない男がいるとお思いで?」

 私は妖界の住人ではない。人間の中でも、日本人はニホンオオカミを滅ぼした蛮族だ。人狼からの心象はすこぶる悪いだろう。平民で育ちも良くない。「人間の女」以上のふさわしくない理由はいくらでも羅列できる。

「私が勝てば、現国王は退位し、私が新たな王として即位します。私の願う、人間も人狼も妖も皆が平等な世界では貴女は自由です。そうすればもう、貴女は仮面でその美貌を隠す必要も無い」

「負けたら、ギルバート様はどうなってしまうのですか」

「どうなるのでしょうね。我が一族がこの国を統治し始めてから、国王に決闘を挑んだ者はいませんから前例がない。ただ、私は王位継承権をチップとしてベットしました。負ければ全てを失うでしょう。処刑されるかもしれませんね」

「なんで、そんなに飄々としているのですか」

「私は法で民を縛ることは好きではありませんが、貴女を守るための法となれるのならば、手段は選びません。大丈夫です。私は必ず勝つと誓います」

 ああ、この人は。相手は史上最恐の狼男なのでしょう? 優しい貴方が実の父に刃を突きつけられるのですか?どこからその自信は来るのですか?

「でも、明日は新月で……純粋な身体能力での勝負になるのなら深手を負っているギルバート様が不利でしょう?」

「そういえば、その話の途中でしたね」

 ギルバートは自分の顔を指さした。

「我々王族は他の人狼と似ていないでしょう?皆がハイイロオオカミに近い人狼であるのに対して、我々はニホンオオカミの同胞なのです」

 私は狼の生態には詳しくないのであまりよく分からなかったが、言われてみればギルバートは他の人狼とは毛色が違うような気がする。

「ですから、妖力発動時の呪文がミサには少し日本的な響きに聞こえたかもしれません」

「ダークムーン・デュエルを新月決闘と呼ぶのも同じ理由ですか?」

「はい。話が逸れましたが、なぜ我が一族が決闘の日時を新月の日と定めたのか、それは我が一族が特殊な血筋だからです。多くの魔族、特に人狼は満月の日に妖力を最大火力で発動できますが、我々一族は新月の日にこそ真の力を解放できるのです」

 妖術を見せてほしいといった子供に対して、「明日」と言った意味が分かった。私は満月の日に見た妖術・騎花繚乱こそがギルバートの真骨頂だと思っていたが、私を魅了したあの妖術はギルバートの力のほんの一部でしかなかったのだ。

「それを利用して、私の祖先は新月の日に前王朝を倒し、この国の権力の全てを手に入れました。そして、満月の日に奪い返されないようにと決闘は新月の夜と法律で定めたのです。満月の夜に人間界への列車を送るのも、ありあまる力やフラストレーションを発散させる場所として人間界を選ばせているのでしょう。人間界に魔女狩りが存在した頃は、満月の日が終わり、人間界で妖力が弱まったことで人間の手で命を落とした民も少なくありません。そして、百年ほど前、ニホンオオカミが人間界で絶滅してからは列車を送る目的は人間を攻撃するためへと変わりました。私の一族はそうして、国内の不穏分子を処理するとともに人間に復讐してきたのです。私の祖先は、祖父は、父はそういう男です」

 なぜ異世界のこの地で日本語が通じたのか。なぜ西洋と東洋両方の文化がこの地で入り混じっているのか。今まで気にも留めなかったけれど、それは日本と妖界に深い因縁があるからに他ならない。

 ギルバートが立ち向かう巨悪。敵は想像以上に手段を選ばない相手のようだ。そして王族がニホンオオカミの同胞ともなれば、日本人の私に向かう憎悪は計り知れない。

「私の生命力であれば次の新月までに怪我を治癒することは可能でしょう。しかし、父は満月の日に貴女が帰る前に惨殺する。彼はそういう男なのです。ですから、私がその前に玉座につくしか貴女を守る術がないのです」

「どうしてそこまでしてくれるんですか……?」

 私は自分が恐怖で泣いているのか罪悪感で泣いているのか分からなかった。ギルバートが私を抱きしめる。昨日までは感じなかったが、彼からはトリカブトの香りがする。嗅覚が鋭敏になったからだろうか。

「あなたの魂に惹かれたからです。理屈ではないのですよ」

「どうして理屈じゃなく、命を懸けられるんですか?」

「確かに国中の民が私を愚かな男だと笑うかもしれません。命を粗末にする王子だと。でも、おかしいかもしれませんが、私は負ける気がしないのです。貴女のためなら純銀の槍が降ってもその中で立っていられる気がするのです。ですから、貴女だけは信じてくれませんか?」

 満月の夜に感じた強大な妖力よりも強い力。私を守ってくれる騎士様。ギルバートが勝つと言ったのだから彼は勝つのだろうと、今なら信じることが出来る。

 ただ、一つ気がかりなことがあった。

「ギルバート様、一つだけお願いがあります」

 私のためにここまでしてくれるギルバートのことだ。ギルバートが法となれば、私を誤って殺しかけたあの子はどうなってしまうのだろうか。

「あの女の子を許してあげてください。きっとわざとではないと思うから」

「やっぱり、ミサは心優しいですね。私が見込んだとおりだ」

 ギルバートは慈愛に満ちた笑みを浮かべて、私の髪を撫でた。

「もちろんですよ。今回のことは貴女をお守りできなかった私の落ち度であり、あの少女のせいではありません」

 私はほっとした。

「では、私からも一つだけわがままを」

 勝ったら恋人になってほしいと言われたらきっと受け入れてしまうかもしれない。

「私が勝ったら「ギル」と呼んでいただけますか?」

 思わず拍子抜けしてしまった。

「おかしかったですか?愛する女性には敬称でなく、愛称で呼ばれたいものですよ」

 キョトンとする私にギルバートが微笑んだ。