コツ、コツ​───────。

夕暮れの中、雛子は西棟の階段をゆっくり上っていた。
周囲は誰もおらず、雛子の足音だけが響いている。

「やあ雛子ちゃん。こんな時間に、奇遇だね」

ふと、前方からそう声をかけられた。
階段を上った先にいたのは三津島だ。

「三津島さん。こんばんは」

雛子はふわりと笑って、彼の元へ駆け寄る。

「ねえ雛子ちゃん。最近困ってることとかない?なんだかここ最近の雛子ちゃん、元気がないみたいで心配だよ」

「そんなことありませんよ。私はいつだって元気ですから」

笑ってみせるが、なかなか彼は引き下がらない。
どうにかして雛子から悩みを聞き出したい様子だ。

「本当にそう?辛いことがあったらすぐに話してよ、僕は雛子ちゃんの味方だからね」

その言葉を待っていたように、雛子は堰を切ったように話しだす。

「三津島さん・・・・・・実は最近、修一郎さんから好きだって言われて、付き合おうって脅迫されててすっごく怖いんです!助けてください、三津島さん!」

ぎゅっと三津島の服の裾を握ると、三津島は興奮したように息を荒らげた。

「雛子ちゃん・・・・・・!僕は、僕はぁ!」

「きゃっ」

そのまま雛子の体をきつく抱きしめる。
凄まじい豹変ぶりに言葉も出ない。
雛子の小さな悲鳴すら聞こえていないように、自分の世界に入ってしまっているようだった。

「ああ・・・・・・なんて柔らかい体なんだ。想像通りだよ。はあ、雛子ちゃんの香りで頭がおかしくなりそうだ」

これが、雛子に親切で優しい上官、三津島貴一の本性だった。
雛子は冷めた目で三津島を眺める。
この男は、ずっとそういう視線で雛子を見ていたのだろうか。
優しい振りをして、内心は薄汚れた欲望に塗れている。
雛子の表情にも気づかず、三津島はぺらぺらまくし立てた。

「このところ、他の男に目を向けてるようだから心配してたんだよぉ。雛子ちゃんは僕のものなのに、綾代みたいな陰気な奴と仲良くしちゃってさぁ。雛子ちゃんがあんまりそういうことを続けるものだからお仕置しようと思ってたんだよ、僕」

お仕置・・・・・・つまり、あの夜の出来事だ。
あの時修一郎の助けが無ければ、一体何をするつもりだったのか、考えるだけでおぞましい。

「でも安心したよ。やっぱりあいつが無理やり雛子ちゃんに迫ってただけで、雛子ちゃんもちゃあんと僕のことが好きでいてくれたんだね。僕がいるからにはもう大丈夫だよ、綾代を殺そう。そしてこんなところ辞めてさ、二人で幸せになろうよ。そうすれば雛子ちゃんは他の男と関わらなくていいし、僕と一生二人きりの幸せな世界でいられる・・・・・・!」

「三津島さん・・・・・・」

「ひ、雛子ちゃん!」

雛子が三津島の首に腕を回すと、より一層三津島が興奮した。
雛子の甘い吐息に、悦びが止まらない様子だ。

ああ、なんてざまだろうか。

雛子は絶望の気持ちで、彼を軽蔑する視線を背後(・・)から送った。

「​─────ばァか」