私は壁に靠れ、息をついた。殴られるだけでも化け物と罵られるだけでも、接触できる限り可能性はあるのだ。

しかし今はどうだ。小さく切り取られた箱に閉じ込められ、誰とも接することができない。

 菊臣さんはどうしているだろう。体調は回復しただろうか。藍一郎さんは落ち着いただろうか。

 お綺は——お綺は、無事だろうか。

 そういえば、藍さんが彼女に敵意を剥き出しにしたのは意外だった。彼女は藍一郎さんがここを継ぐのを望んでいる。

それではお綺と結婚させてしまえば、この家はまず藍一郎さんのものになるだろうに。同じ女性として、彼の意識が向くのを嫌がったか。

 ああそうだ、お綺。菊臣さんが、向こうでなにやらうまくいっていないらしいとにおわせたことがあった。きっと藍さんのことだろう。

 藍さんはなにを考えているのだろうか。私としては、彼女が藍一郎さんとお綺の結婚を妨げてくれるのならそれはありがたいが、彼女が傷つくというのはちょっと我慢ならない。

 私はゆっくり立ち上がり、木の枠に手をかけた。全身の力をかけて押しても引いてもなんともならず、藍さんの妖力に苦笑する。

彼女は刀であろうに、なぜこんな檻を作れる。ああ、どこかからちょうどいい木を切ってきたのだろうか。

 しかし随分立派に組み上げたものだ。蹴っても殴ってもびくともしない。

 もっと濃く、父方の血を引いていれば。半妖なんて中途半端な存在でなければ。

 悔しく思うのも莫迦らしく、深く息をついて気を落ち着ける。

 藍一郎さんと藍さんは、私をここに置いてから久菊さまの部屋を使っているのだろう。

 しかし、なぜ菊臣さんはなにもいわない。まだ体調が回復していないのか。ああ、それではこの家はあの二人の独擅場だ。

 宿の者は無事だろうか。あの二人、咎める者のいないのをいいことに暴れまわったりはしていないだろうか。

 一助、と見っともなく一つの名に縋ると、正面の襖が開いた。

 「これはえらい騒ぎだねえ」と暢気な声。

 驚いて飛び出した声はあまりに不恰好だった。

 「君、寺から動けるのかい」

 「藍一郎がなにか魂を連れてくるかい?」そんなことはないだろう、と彼はのんびり笑った。

 「全く、旦那がいなくなってしまっては我々はどうすればいいのやら」と彼はこちらに寄ってくる。

 私は木枠を強く握った。「一助、君これをどうにかできないかい」

 「それで呼んだのかい。我は破壊を愛する魔物じゃあないんだよ」

 「藍さんの妖力で作られてる。彼女を説得できないか」

 「なんだかすごいことになっていたよ。強いものを感じたんで、なにかと思ったらあの女でね。残念だけど我にどうにかできるようなものじゃあないね」

 いいながらも、彼は枠に手をかけた。尖った爪の伸びた指先がぐっと木に絡みつく。そして、「頑丈だね」と笑った。

 「笑い事ではないよ。じゃあいい、一助、お綺は無事かい」

 「あや? なんだい、君の恋人かい」

 「宿にいる女性だ。若い女性」

 一助はしばし私の眼を見詰めた。「ああ、」といってにやりと笑う。

 「無事なようだよ。そうだね、その娘はかなり勝気な性格だろう」

 「そうかな」

 「あれなら問題ないさ。それより、この閉じ込められている君の状況の方がずっと大きな問題だ。どうするんだい、藍も藍一郎もまだ君を認める様子はないよ」

 「どうにか毀せないか、」

 「そうだねえ。ああ、紅蘭紫菊といったか、あれは君に友好的なんじゃないのかい。呼べば助けてくれそうなものだが」

 「そうだ、菊臣さんはどうなんだ」

 「旦那の件で疲れたようでね、ちと体調を悪くしたね。でも、もう平気だ」

 「そうか、」

 体から力が抜けるのを感じた。お綺も、菊臣さんも無事。それだけで満ち足りるようだった。

 「おっと」と一助はいった。「誰かが我を呼んでいるようなんだが、どうしようか」

 そうだな、と彼は思い出すようにいう。「君の思ひ人と、宿の古株の鳩が一羽かな」