それから藍一郎さんは落ち着いていた。藍さんが泣くこともなくなった。

 藍さんは藍一郎さんよりも正直だった。あやかしという、魂のままの姿だからかもしれない。

 藍さんの眼つきの鋭いのに気づいて、私は警戒した。実際、藍一郎さんは私を菊臣さんの部屋に帰しはしなかったし、寒菊と呼ぶことはおろか私とほとんど口を利かなかった。食事の支度を共にできるようになったことを密かに喜んだのが酷く恥ずかしくなった。

 どうにかして菊臣さんを守らねばならない。私も菊臣さんの考えに異論はない。藍一郎さんさえ納得してくれたなら、それほど望ましいことはない。

手っ取り早いのは無論、藍一郎さんにこの家の将来を返し、魔除けにここへ置いてもらうか、要らないということなら大人しく出ていくことだ。

 しかし、あやかしに囲まれたようなここにいれば彼らへの詛いが藍一郎さんを蝕み続けるという菊臣さんの考えは私にも理解できるのだ。忘れろとはいわない、ただ彼は、あやかしとは距離を置くべきだ。

 そう考えられるうえに、藍一郎さんは菊臣さんの安全と幸せを望み、その菊臣さんは藍一郎さんのあやかしと離れたところでの幸せを望んでいるとあれば、どうにか藍一郎さんに納得してもらい、私がここを継ぎたい。

 藍一郎さんが望むのなら、いつまでもここを守ろう。いつか穏やかな心持ちで帰ってくればいい。そこで望むなら、私はここを離れよう。その先から、藍一郎さんから菊臣さんから災いを遠ざけよう。せめてもの恩返しをしよう。

 だから今だけは——。

 ふと冷静になってしまえば、途端に恐ろしくなる。実際には、自分は彼らのことなど一つも考えていないのかもしれないと衝動的な想像が膨らむ。私は飽くまで、両親を探すためにここを利用したいだけなのかもしれない。

 そう思えてしまえば、ここにいることに果てしない絶望を覚える。逃げ出したくなるような恐怖に駆られる。

 これほど二人の幸福を願いながら、その根源は個人的な慾望。そんなにも恐ろしい、醜いことがあるだろうか。いや、あってはならない。そんな者は、あの清い兄弟のそばにあってはならない。紛い物、化け物と詛われて当然だ。

 止せ、止せと自らにいって聞かせる。妙なことは考えるな。私はただ、彼らの幸せだけを思えばいい。手前の慾は、僥倖に恵まれたとき、密かに満たせばいい。決して他者を巻き込んでは、傷つけてはならない。