もう少しだ、と醜い考えがよぎる。

 「藍一郎さんは優しい人です。彷徨う魂に触れるには、あまりに優しい。貴方はどこか、穏やかな土地で百姓でもするのが向いていましょう」

 「黙れ、……化け物、」

 「化け物の始末は、化け物にこそふさわしくはありませんか」

 彼は激しくかぶりを振る。「認めぬ、……俺は、……俺が、」

 「菊臣さんのことは、決して傷つけません。社に宿る神にでも、偉大な先人の御霊にでも、誓いましょう」私は彼の鎖骨の辺りに手をかけた。「……なにより、清らかな貴方さまの御心に」

 「嫌だ、……黙れ、」

 手の重みに従うように、畳へ手を放る。

 「菊臣さんを守るためとあらば、幾度でも、喜んで命を差し出しましょう。幾度でも死に損ないましょう」

 「黙れ化け物、」

 「私のことなんぞ認めなくていいのです」

 「手前のような化け物の戯言を聞く趣味はない」

 「どうか、私を忘れて下さい。そしてどこか、平和な土地へ逃げて下さい」

 「生家を捨てよというのか!」

 「私は菊臣さんを守るため、手段は選びません。いつか彼がここを離れたときにも、必ず駆けつけましょう。私は藍一郎さんに、菊臣さんに、幸せになって戴きたいのです」

 「手前はこの家を滅ぼすだろう……」

 「藍一郎さんがお望みであれば、幾らでも守りましょう」

 重みを纏った拳が胸を叩いた。

 「百年、二百年。千年ですか」

 「化け物の分際で生意気なことをいうな!」

 「私の偽りは貴方の腕を攫んだ瞬間に終わったのです」と答えた声は、理不尽にも大きくなった。声を上げたいのは彼の方であろうに。しかし、私の中に彼へ偽りの言葉を吐こうなどという考えが失せていたのも事実だった。

 「人ならざるものの血を通わせながら、人間であるなんて、……それ以上、私は貴方になにを偽りましょう、」

 「仮にも人の血も継いでいる手前だ、いつしか死ぬのだろう」

 「後継ぎを残しましょう」

 「なぜそこまでする、」

 「恐れ多くも、私にとって日暮の皆さまは家族です」

 また一つ、拳が胸に落ちた。生々しい音がした。

 「なぜだ、……なぜ絶望しない! なぜ傷つかない! なぜ俺を嫌わない、なぜ俺から逃げようと思わない!」

 「罪のない者を、なぜ嫌わねばならないのです」

 「嫌えよ。憎め、恐れろ。……そうでなければ、俺はなぜ手前を殴っている。……なぜ手前の体に藍の菊を咲かせた!」

 「貴方への偽りの代償ならば、死のうが生まれようがこの身に刻んでおきましょう」

 彼はまた一つ、私の胸を殴った。

 「……全く、手前は誠の化け物だ、」

 「今生の限り、藍一郎さんを、菊臣さんを守りましょう」

 「気に入らない、」と彼は小さくいった。