玄関は、いっそ一つの部屋と形容したくなる広さだった。正面には屏風に描かれた絵のような美しい中庭が広がっており、廊下は廻廊となっているようだ。

 藍一郎さまが鳩司を呼んだ。「はい」と鳩司が切れのある声で応える。

 「綺の部屋はそちらか」

 「そのつもりです」

 「父がいったのか」

 「いえ。しかし、宿の方で働くものと認識しましたので」

 藍一郎さまは一瞬険しい顔をすると「綺の部屋はこちらで用意する」といった。

 鳩司が頭を下げるより先に美傘が「いえ」と声を発した。鳩司の腕の中にいたときと同じ、深紅の着物に身を包んだ女性の姿に戻っていた。

 「こちらで御用意致します」

 藍一郎さまの表情が先ほどよりも険しくなったとき、彼を制するように「そうだね」と菊臣さまが声を発した。「それがいいよ、宿の方なら、わざわざこちらから通うのでは大変だ」と。

 「こちらには医者もいる」という藍一郎さまに、菊臣さまは「あちらにもおります」と食い下がる。

 藍一郎さまは振り捨てるように菊臣さまを睨み、なんでもないようにこちらを向き直る。「時折こちらに遊びにくるといい」と、旦那さまに似た穏やかな笑みを浮かべる。

 「そうですね、のんびりとお茶でも飲みましょう」と菊臣さまは懐っこい笑みで頷く。「藍一郎の茶はうまいのです」という彼の声に、藍一郎さまもどこか満足げに微笑む。

 頭を下げた鳩司に倣って歩きだす。

 「綺」と呼ばれて振り返ると、「またな」と哀しいほど優しく微笑む藍一郎さまがいた。