朝、爨へいってみると、藍一郎さんがいた。今までとなにも違わないその背中は、なにもかもが違っていた。

 「生きてたか」と呆れたように笑う声がした。

 「やはり化け物ってのはそう簡単にはくたばらぬか」

 「……申し訳ございません」

 「謝るくらいなら寒菊を返せ」

 「……私は、ずっと私でした」

 「俺は手前を殺しはしない。勘違いするなよたわけ、寒菊を見つければすぐに殺す」

 「……私はもう、貴方の中で寒菊に戻ることはないでしょう。名無しの放浪者に戻ったのです」

 藍一郎さんはこちらを向くと、私の服の襟を攫んだ。右手には包丁が握られたままだ。

 「では出ていくか。祀られることも鎮められることもないまま、醜く醜く彷徨うんだ」

 「私は、……貴方を救いたいです」

 「なら寒菊を返せ」と叫んだ眼が、透明な感情をこぼした。

 「返せよ、そうしてすぐに出ていけ。二度と俺の前に現れるな」

 「理性というのは、あまりに脆弱なものです。衝動というのは、あまりに激しいものです。……私は激しい衝動に脆弱な理性を毀し、寒菊という名を捨てました」

 「黙れ」と痛々しい声が叫ぶ。「化け物の戯言に耳を貸す趣味はない」

 「本当にふざけていますね。私は貴方の純情を利用したのです」

 「寒菊は生きているのか」

 「……久菊さまに寒菊と名づけられた、両親を探す男なら、確かに生きています」

 「どこにいる」

 「ここに、」と答えたときには頬を打たれていた。「手前は寒菊じゃない」と純情な青年は泣き叫ぶ。

 「結局、……魂なんだ。こんなにも忌まわしいのに、人間も結局、魂なんだ……」

 「……私は確かに、名前を持たずに十七まで過ごし、久菊さまに寒菊と名づけられました。それからおよそ三年間、藍一郎さんや菊臣さんと、兄弟として過ごしました。

私はその中で、密かに誓いました。貴方には、藍一郎さんには自らの種族について明かすことは止そうと。私は人間ではないから。藍一郎さんからお母さまを奪った、あやかしという種族の血が通っているから。

明かしてしまえば、藍一郎さんを苦しめることになろう、傷つけることになろう、そう考えました」

 「黙れ、」

 「しかし、罪というのはおよそ、衝動が引き起こすものです」

 「黙れ」

 「理性とは脆弱なものです。私は思わず、貴方の腕に手を伸ばしました」

 「黙れ!」

 「瞬間、私は偽りに穢れた事実を貴方に突きつけました」

 「黙れ」と一層昂った声が叫んだ。

 「……それでは、寒菊が人間ではないかのようではないか、」

 「人間ではないのです。かといって、あやかしでもない。私に流れる血は四種です」

 藍一郎さんの酷く哀しい眼が見返してくる。

 「私の両親は、共に半妖です」