雪を寄せ集めるのが済むと、私たちは早々に着物の裾を下ろし、箒をしまって室内へ戻った。藍一郎さんの部屋はすっかり静かになっている。
私たちは部屋に入ると、火鉢に当たった。「冷えましたね」と弱く笑う菊臣さんに「そうですね」と答える。
「茶でも飲みますか、」と提案とも宣言ともつかない調子でいって、菊臣さんは立ち上がった。「藍一郎兄さんの入れたものほどうまくないですが、勘弁して下さいね」といって部屋を出ていく。いつかの藍一郎さんと違って、開けた襖は閉めてくれる。
戻ってくると、菊臣さんは土瓶を火鉢に載せた。私も菊臣さんも、その注ぎ口から白い熱の湧いてくるのを待ち望んだ。
菊臣さんはちらと、壁の藍一郎さんの部屋のある面を見た。
「兄上の部屋、静かですね」
「ええ、藍一郎さんの気持ちが伝わったことを願います」
「寒菊兄さんは、怖くないのですか」
「なにを恐れるのです」
「もしいつか、藍一郎兄さんに知られることがあれば、そのときには寒菊兄さんがここのあやかしたちと同じ扱いを、……いえ、それ以上に惨い扱いを受けるのですよ、」
「ええ、そうでしょう」
「怖く、ないのですか」
「怖いことはありません、当然のことですから。私は確かに、藍一郎さんを騙しているのです。秘め事や偽りというのは、時に愉快なこともありますが、殆どの場合、残酷なものです。私はその残酷さを藍一郎さんへ突きつけている。その償いを恐れる理由など、ありますか」
私は続けて冷えた空気を吸い込んだ。
「恐れというのは、潔白な者が抱く感情です。そうですね、たとえば藍一郎さんが私のことを疑ったとき、潔白な彼は、私の罪を恐れるのです」
「……藍一郎兄さんの怨恨の矛先が向けられることが怖くて、黙っているのではないのですか」
「いいえ」と私は迷わずに答えた。「私は、私の純粋な人間でないことを知って、藍一郎さんを哀しませたくないのです。彼は私の弟です。弟の怯えた顔を見たい兄があるでしょうか」
しばらくの沈黙のあと、土瓶の注ぎ口が白い熱をゆらゆらと宙に溶かした。菊臣さんは沈黙を守ったまま、茶器に湯を注いだ。火鉢に戻された土瓶は、残った湯の熱を白く染めて宙に吐き出す。
私は土瓶の吐く熱を眺めながら「なにより、」といってみた。
「私は自分の種族があまり好きでないのです」
「半妖ですか」
「ええ。人間でなければあやかしでもない。人間でありながらあやかしでもある。中途半端なのですよ、人間として生きるには障礙がありますし、あやかしを名告るには力が足りない。無力なあやかしなら、余計なものを持った人間として生きようと思ったのです。ないものをあるというより、あるものを隠す方が易いように思ったのですよ」
しかし、と私は苦笑する。「それも誤りのようですね。余計なものというのはとても邪魔になります。いっそのこと、使えないと蔑まれながらあやかしとしていた方がよかったかもしれません」
「そんな、」と菊臣さんは声を揺らす。
「兄上は間違っていません。兄上は兄上ではありませんか、どうしてそんなにも、種族に拘るのです。僕は兄上が好きです。優しい兄上が、あんまり世を知らない兄上が、僕は好きです。兄上が人間であろうとあやかしであろうと、僕は貴方に出会えたことを誇らしく思います」
「ありがとうございます」と答えながら、私はなんだか淋しいような気持ちになった。私は半妖でなければ、菊臣さんたちに会うことはなかったのだ。
「私も、今は半妖に生まれたことを誇りに思います」
半妖という不完全な存在であるおかげで、こんなにも美しい少年に出会えたのだ。
私たちは部屋に入ると、火鉢に当たった。「冷えましたね」と弱く笑う菊臣さんに「そうですね」と答える。
「茶でも飲みますか、」と提案とも宣言ともつかない調子でいって、菊臣さんは立ち上がった。「藍一郎兄さんの入れたものほどうまくないですが、勘弁して下さいね」といって部屋を出ていく。いつかの藍一郎さんと違って、開けた襖は閉めてくれる。
戻ってくると、菊臣さんは土瓶を火鉢に載せた。私も菊臣さんも、その注ぎ口から白い熱の湧いてくるのを待ち望んだ。
菊臣さんはちらと、壁の藍一郎さんの部屋のある面を見た。
「兄上の部屋、静かですね」
「ええ、藍一郎さんの気持ちが伝わったことを願います」
「寒菊兄さんは、怖くないのですか」
「なにを恐れるのです」
「もしいつか、藍一郎兄さんに知られることがあれば、そのときには寒菊兄さんがここのあやかしたちと同じ扱いを、……いえ、それ以上に惨い扱いを受けるのですよ、」
「ええ、そうでしょう」
「怖く、ないのですか」
「怖いことはありません、当然のことですから。私は確かに、藍一郎さんを騙しているのです。秘め事や偽りというのは、時に愉快なこともありますが、殆どの場合、残酷なものです。私はその残酷さを藍一郎さんへ突きつけている。その償いを恐れる理由など、ありますか」
私は続けて冷えた空気を吸い込んだ。
「恐れというのは、潔白な者が抱く感情です。そうですね、たとえば藍一郎さんが私のことを疑ったとき、潔白な彼は、私の罪を恐れるのです」
「……藍一郎兄さんの怨恨の矛先が向けられることが怖くて、黙っているのではないのですか」
「いいえ」と私は迷わずに答えた。「私は、私の純粋な人間でないことを知って、藍一郎さんを哀しませたくないのです。彼は私の弟です。弟の怯えた顔を見たい兄があるでしょうか」
しばらくの沈黙のあと、土瓶の注ぎ口が白い熱をゆらゆらと宙に溶かした。菊臣さんは沈黙を守ったまま、茶器に湯を注いだ。火鉢に戻された土瓶は、残った湯の熱を白く染めて宙に吐き出す。
私は土瓶の吐く熱を眺めながら「なにより、」といってみた。
「私は自分の種族があまり好きでないのです」
「半妖ですか」
「ええ。人間でなければあやかしでもない。人間でありながらあやかしでもある。中途半端なのですよ、人間として生きるには障礙がありますし、あやかしを名告るには力が足りない。無力なあやかしなら、余計なものを持った人間として生きようと思ったのです。ないものをあるというより、あるものを隠す方が易いように思ったのですよ」
しかし、と私は苦笑する。「それも誤りのようですね。余計なものというのはとても邪魔になります。いっそのこと、使えないと蔑まれながらあやかしとしていた方がよかったかもしれません」
「そんな、」と菊臣さんは声を揺らす。
「兄上は間違っていません。兄上は兄上ではありませんか、どうしてそんなにも、種族に拘るのです。僕は兄上が好きです。優しい兄上が、あんまり世を知らない兄上が、僕は好きです。兄上が人間であろうとあやかしであろうと、僕は貴方に出会えたことを誇らしく思います」
「ありがとうございます」と答えながら、私はなんだか淋しいような気持ちになった。私は半妖でなければ、菊臣さんたちに会うことはなかったのだ。
「私も、今は半妖に生まれたことを誇りに思います」
半妖という不完全な存在であるおかげで、こんなにも美しい少年に出会えたのだ。