私が外出着をとると「お出かけですか」と声がかかった。

 「藍一郎さんと散歩に」

 「くれぐれも気づかれないで下さいね」

 私は菊臣さんを振り返った。「では、一緒に出ませんか」

 菊臣さんはわかりやすく眼を泳がせた。「いえ、僕は。藍一郎兄さんに誘われたのでしょう」と弱った声がいう。

 「知ってしまえば知らぬふりなどできません。誤解を解きましょう」

 「なんのことですか、」

 「藍一郎さんは菊臣さんを大切に思っています。一つ、互いの胸の内に触れ合ってみるのは如何ですか」

 菊臣さんは脣を嚙んで俯いた。「紫菊」と呼ぶ声の、ほんの短い残響の止まぬうちに、どこからともなく深紅の鞘に入った小刀が菊臣さんのそばに降ってきた。なるほど、これはかなり頑丈な隔たりがあるようだ。

 私は初めて同じ部屋で着替えるときにいわれた通り、衝立を持ってきて、それに背を向けて帯を解いた。

 『相手が兄上だからではありません。どんな麗人にも醜男にも見せられない、醜い体なのです』——。二つの衣擦れの音に紛れ、記憶の中に菊臣さんの声が響く。

 「僕は、」と静かな声がした。

 「兄上が——藍一郎兄さんが好きです。優しい兄です。器用で、なんでも要領よく進めます。立派な男だと思います。尊敬する者の名を挙げるのなら、きっと父上の名と共に、兄上の名を挙げるでしょう」

 私は適当に帯を結び、羽織を重ねた。同じような音が、衝立の向こうから聞こえてくる。

 「ただ、今は……兄上が怖いのです、いつまた、あのときのようになってしまうかと思うと」

 「そうしてでも、菊臣さんを霊魂から守りたかったのだと、私は感じました」

 菊臣さんは笑うように呆れたように、息をついた。

 「父上にそっくりです。どうも言葉が足りない。言葉よりも行動や態度で示そうとする」

 「苦手、ですか」

 「尊敬はしていますが、どうでしょう」と菊臣さんは微かに笑った。「しかし、自分とは違います」