朝の香りが広がる、透明な日差しに照らされた神社は神秘的で美しいものだった。穏やかな風に吹かれる木々に耳を澄ませば自然と心が落ち着いてくる。
静かな時間が流れる中、息を切らした一人の少女が山を駆け上がって来た。
「コクト。私、街の人たちを説得してくる」
「ふーん」
石段の上に座り、慣れた手つきで花提灯を作っていたコクトは顔を上げずに話を聞いていた。
「あやかしたちは、この街に必要な存在だということを話して、街を活気ある場所に戻したい」
「そう簡単にいくと思ってるのか?今まで散々あやかしを嫌ってきたやつらを相手にするんだぞ」
その声は冷静で、焦るエマとは真逆の温度を纏っていた。
「分かってるよ。でも、私の気持ちは変わらないから。ちゃんと全部話そうと思う」
全部。それは、私自身のことも含まれている。
正直これが上手くいくとは限らないし、最悪な未来へ転ぶ可能性だってある。けれど、何もしないより動いた方が何かが変わる気がしていた。
半端な覚悟ではないということをどう伝えようか迷っていると、そこでようやくコクトの顔がエマの方を向いた。
「まぁ、やってみれば?」
「え……」
返って来たのは予想外の反応だった。
「止めないの?」
「どうして」
「だってコクトは、人間のことが嫌いなんでしょ?」
様子を窺うように聞いた。
一瞬だけエマと視線を合わせたコクトは手に持っていた花提灯を石段に置き、足を組んだ。
「それは俺の個人的な意見で、他のやつらはなんとも思ってない。
俺たちあやかしは、人間の住む街で不利益なことは何もないが、得するようなこともあるわけじゃない。そこにいて欲しいと望まれているなら、そうするだけなんだよ」
「じゃあ、どうしてお祭りを中止しろって……」
「ただの忠告だ。今のまま祈りを捧げたところで未来は変わらないことを言いたかっただけ」
彼は人間のことが嫌いなのに、人間のことを思って私に忠告してくれた。
そもそも、この街の人が嫌いなら、さっさと捨てて出ていけばよかったのに。
街がなくなったところであやかしたちは何も困らない。
それでも彼はここに残ることを選んでいる。
そこに理由がないとは思えなかった。
「得するようなことはないって言ったけど、それも感じ方次第だ。中には人間が好きなやつもいる。そいつらからしたら街での暮らしは楽しいものだろうな……。それと似たようなもので、俺はこの街が好きなんだ」
「コクトも?」
「勘違いするな。お前はこの街にいる人間含めての好きだろ?俺が好きなのは"街"だ」
「そんなに強調しなくても分かってるよ」
優しい風が吹いて、髪もスカートも葉もふわりと揺れる。
黒髪の隙間から見える赤い瞳には、この街がどんな風に映っているのだろう。
答えを求めるように、視線の先にいる一人を見つめた。
「俺は、ここから見える街が好きで、ずっと見続けていたいと思うほどには気に入っている。……そんな景色を作っているのは人間たちだ。だから人間にいなくなられても困る」
コクトが私を止めないのは、この街を終わらせたくないから。
雲が動かなければ雨が降らない。そうなればこの街を彩っている緑や花々が枯れ果て、作物は育たなくなり、ここからの景色は失われる。
子宝に恵まれなければ、街の時間を繋ぐ者がいなくなる。
それをコクトは望んではいなかった。
人々があやかしを追い出すことを願う中、コクトはただ一人残って街を守っていたんだ。
この景色が終わらないように。
「そんな時に、エマを見つけた。
街のやつらは切羽詰まって暗くなっていくのに、エマだけは前を向いて笑ってた。この街が好きだと言わんばかりに走ってるお前を見て、あぁ、この子なら変えてくれるかもしれないと思った。
運がいいことに祈りを捧げる花提灯を作ってたし、おまけにあやかしの子だった」
コクトは、私が彼を見つける前から、私のことを知っていた。
その事実から告げられた彼の思いを受け止めた胸がチクリと痛む。
「人間がいなければこの景色は作れない。街が残るなら、どんな手を使ってでも残すつもりでいた。
……でも、人間の心を動かすのは人間にしかできないことだ」
人間の心を動かすのは、人間にしかできない。
そう言い切ったコクトはエマに優しく微笑んだ。
「だから、ありがとな」
「えっ」
「この街を変えたいと思ってくれたこと。嬉しかった」
再び視線を逸らされ表情は分からなかったけれど、見えた耳は赤くなっていた。
「お礼なら、全部上手くいってからにしてほしいな」
それに、お礼を言わなけきゃならないのは私の方。
人間の心を動かすのは、人間にしかできない。
そうかもしれないけれど、私はあやかしであるあなたに心を動かされた。
一人では、勇気なんて出なかった。どうすればいいか分からず悩んでいた。私なんかにできるわけがないと。
でも、コクトの思いを知れたから。あなたが笑ってくれたから。
私は――