「大きな森だな……」

「はい、レインフォール家の領地の中で最も広い森ですわ」

ラルフとマリナラはレジランカから東に馬で2日ほど走った所にあるレインフォール家の領地にやって来ていた。

小高い丘から見下ろす緑豊かな森はラルフの育った離宮があるガーラ山によく似ていた。

「この冬は温かったせいでググル豚が大繁殖して、300頭ほどの群れになってしまったそうです。大変凶暴でこれまで領民が何人も怪我を負っています。
ググル豚は大変美味なので殺さず捕まえたいのですが、生け捕りとなると専門の業者に頼んだとしても高額なのでどうしたものかと思っていたのですが……」

ラルフは森の空気を吸い尽くさんばかりに息を深く吸い込んだ。

「日暮れまでにきっかり300頭を生捕りにしてください。やれますか?」

ラルフはマリナラからの問いかけに満面の笑みで応えた。

「慣れない金策に走るよりよほどいいな」

ラルフは金色の鷹のついた団服を脱ぎ捨て、マリナラに渡した。

「マリナラ殿にとって1億ダールという価格が誇りなら、剣の腕こそが我が誇りである!!」

ラルフは気合を入れるために髪をかき上げると、森に向かって一目散に駆け下りた。

途中、思い出したようにくるりと振り返り、マリナラに向かって腕を振り上げる。

「マリナラ殿!!今夜は新鮮な豚料理をご馳走する!!待っていてくれ!!」

こだまが消えぬうちにラルフの後ろ姿は見えなくなった。

「……おかしな方ね」

マリナラはラルフのことを知れば知るほど困惑するばかりだった。

優秀な祖父から事業を継承した父には全く才能がなく、借金は雪だるま式に増え、幼き頃よりマリナラは着るもの、食べるものに苦労した。

唯一の娯楽といえば祖父が残した本を読むことくらいであり、夢も希望もなんら持ちあわせていなかった。

16歳で父に婚約者を紹介され虫唾が走った。

相手は父が借金を拵えた相手であり、金と引き換えに売られるのだと悟った時、マリナラに天啓が下りた。

……なぜ他人のツケを払わせるために自分の人生を使わねばならないのか。

マリナラは自分の生き方を知らぬ誰かに決められることに耐えがたい苦痛を感じた。

幸い、マリナラには父にはない才能があった。頭脳を使い、人を雇い、金を集める。

そうやって、ひたすらに誰かに搾取されないように立ち回っているうちに5年の月日が経っていた。

媚びるのは金だけと決めていたにも関わらず、今はどうだ?

ラルフが脱ぎ捨てた団服をたたみ地面に腰を下ろして帰りを待ちわびているではないか。

(私の価値を認めてくださる殿方などいなかったのに……)

なぜ、ひとりで生きて行けるようになった今頃になって現れるのか。

ただひとつ確信を持って言えることがあるとすれば……豚の尻を喜んで追いかける王子は世界広しと言えどもラルフだけである。

マリナラは思わず吹き出した。どこからともなく込み上げてくる笑いを抑えられないでいる。

「なるほど……。これではロウグ大臣が肩入れするのも無理はないわね」

リンデルワーグ王国第4王子の肩書きに似合わぬ実直で朗らかな性格。恵まれた容姿と体格。驕りと一蹴できぬ卓越した剣の腕。

そのどれもがマリナラを魅了してやまなかった。

森からつむじ風が吹き、マリナラの黒髪を巻き上げていく。

この結婚がマリナラにもたらすものは、混沌か、祝福か、果たして……。