軍務執政官に任じられたマリナラは急ぎ足で会議場を後にした。
人質交換の期限までもはや一刻の猶予もない。旅支度を整えているジャンと急ぎ合流する必要がある。
「マリナラ殿、待ってくれ!!」
王城から出ようとするマリナラを引き留めたのは、汗だくになって追いかけてきたアサイルであった。
「これを……持って行ってくれ。使い方は袋の中に入っている紙に書いてある」
「これは?」
「僕特製の薬袋さ。大体の怪我や毒に対応出来るように薬が入っている。身分を尊重されているとはいえラルフがどんな目に遭わされているか分からないからね。お守りとして持って行ってくれ」
アサイルがぜいぜいと息を整えている間に、従者が竜の紋章の描かれた旗を持ってやってきた。
「王家の旗を掲げておけば、関所はそのまま通過できるはずだ。替えの馬も遠慮なく好きに使っていい……から……」
アサイルはとうとう力尽きて床に座り込んでしまった。従者が慌てて肩を貸し、辛うじて王子の体裁を保つことができた。
「本当は僕もついていければいいんだけど、少し走っただけでこのざまさ……。足手まといになるからやめておくよ」
食うや食わずの強行軍はアサイルの身体には酷だろう。それでも弟のために何かしてやりたいという気持ちは伝わってきた。
「我が弟の婚約者よ、ご武運を。願わくばラルフをマガンダの魔の手から救ってくれ」
「ええ。私の誇りに懸けて」
マリナラはアサイルに深々と頭を下げると貴婦人らしからぬ速度で王城の中を走り抜け、内壁との境である正面門までやって来た。
「あなたのその姿を見るのはいつ振りかしら?」
迎えにやってきたジャンの姿を見たマリナラはクスリと笑った。
「お嬢様をお守りするにはこちらの方が動きやすいので」
ジャンは声色から容姿から何もかもが変わっていた。
片眼鏡を掛けた壮年の執事はどこからどう見ても逞しい青年になっていた。
白髪混じりの茶髪は形をひそめ、煩わしい片眼鏡を外し、黒装束に身を包んだジャンはマリナラの護衛として相応しい出立ちであった。
マリナラは髪留めを外し、黒髪を編み込み三つ編みして背中に垂らした。ジャンから革靴を受け取りその場で履く。用意した馬には横鞍ではなく男と同じ鞍を乗せてある。
「さあ、サザールまで一気に走るわよ」
「はい、お嬢様」
マリナラは見事な手綱さばきを見せ、カレンザの街道を北へと疾走した。