日課の朝駆けから戻ってきたラルフは、朝日と共にマリナラの部屋を尋ねた。

「帰る前に寄りたいところがある。一緒に来てくれないか?」

「ええ、構いません……わ……」

寝ぼけ眼のマリナラはそう答えると欠伸をかみ殺した。身支度が終わるのを待ち、一緒にロンデのもとへ行く。

「いい仔ね」

マリナラが背中を撫でてやると、ロンデは嬉しそうに鳴いた。ラルフ以外の者を乗せることを嫌がるロンデだが、不思議とマリナラには懐いた。

食べ損ねた朝食が詰まっている籠を携え、意気揚々と出発する。朝霧が立ち込める中、ロンデはガーラ山を駆けて行った。

ラルフとロンデにとってガーラ山は勝手知ったる己の庭のようなものである。迷うことなく目的地まで到着すると、ゆっくりと脚を止める。

ラルフ達がやってきたのはガーラ山の麓にある湖であった。

滸にはラルフお手製の作業小屋があり、岸にある乗り場には手漕ぎボートが一艘繋がれていた。

「あのボートに乗ろう」

ラルフはマリナラをボートに導くと、櫂を大きく動かし勢いをつけた。漕ぎ手から推力を得たボートはぐんぐんと湖の中心へと進んでいく。

湖面が揺れ、風が絶え間なく背後へと流れていけば清々しい気持ちになる。早朝の空気はとりわけ澄んでいるように感じられた。

「風が気持ちいいな」

「ええ、本当に……」

「離宮に住んでいる頃はよく湖畔でピクニックをしたものだ。夏は素潜り、冬は釣りにと毎日のように通った」

湖の真ん中までやってくると、ラルフはボートを漕ぐ手を止めた。

「貴女と初めて会った時、瞳がこの湖の色に似ていると思った。レジランカに戻る前に貴方と一緒に来られて良かった」

ラルフはマリナラのウォーターブルーの瞳を見つめながら屈託なく笑った。

マリナラはエミリアに懇願され、この後数日を離宮で過ごす予定である。

ラルフはというとひと足先にレジランカに戻りそのままマガンダとの国境がある北の砦へと出発する。

2人が別れるのは出会ってから初めてのこととなる。

「マリナラ殿、私と契約してくれてありがとう」

「礼を言われるようなことは何もしておりませんわ」

無愛想としか思えないマリナラの言い方にラルフは大笑いした。

「マリナラ殿は本当に優しいな」

「私の?どこがですか?」

「金より大事なものがこの世にはあると思っているから、このような稼業をしているのであろう?」

ラルフは本人もそうとは知らなかったマリナラの本質を浮き彫りにした。

虚をつかれたマリナラは口をつぐんだ。

小鳥が鳴き、枝葉が風にそよぎ、水音ばかりが辺りを支配する。

しばしの沈黙の後に、マリナラは長いため息をついた。

「ラルフ様は……本当に不思議な方ですね。まるで何もかもを見透かされているようですわ」

ラルフは何も言わず微笑むとボートを漕ぎ、そのまま湖を一周したのだった。