「ただいま戻りました、母上。お加減はいかがですか?」

「あら、エミリアから聞いたの?足を踏み外して尻餅をついてちょっと痣ができただけで大したことないのよ」

アリスは再会の挨拶を済ませると今度は馬車から降りてきたばかりのマリナラに目を向けた。

「そちらのお嬢さんは?」

「初めまして。マリナラ・レインフォールと申します」

「私の婚約者です」

ラルフがマリナラの肩を抱きながら紹介すると、アリスは口元を押さえその場にヘナヘナと崩れ落ちた。

「母上!!」

エミリアは馬車からおろしていた荷物を放り出しすぐさまアリスに駆け寄った。

「ああ、どうしましょう……!!大変よ、エミリア!!ラルフの奥さんになる方がいらっしゃっているのにおもてなしの準備が何も出来ていないわ!!」

アリスはまるで突然世界の終わりがやってきたかのようにワナワナと震え絶望を露わにした。

「母上……」

ラルフはなんだそんなことかと心配をして損をしたような気分になった。

ラルフにとっては取るに足らないことであるが、アリスにとっては何より重要なことである。客人を、それも息子の大事な人をもてなすのに不手際があってはならない。アリスは使命感に突き動かされるようにすっくと立ちあがる。

「すぐ準備しますので夕食までお待ち頂ける?お好きな食べ物は何かしら?すぐにお出しできるとよいのだけれど……!!
ラルフ、貴方は裏庭からベリーを摘んできてちょうだい!!エミリアは直ぐにかぼちゃの裏ごしを!!」

アリスは急かすようにパンパンと手を叩いた。

「さあ、長旅で疲れているからと言って休んでいる暇はないわ!!テキパキと身体を動かしてちょうだい!!」

使用人に指示を出しながら離宮の中へと走っていくアリスを見て、マリナラは何か言いたげであった。

マリナラの心中を察したラルフは優しく肩を叩いた。

ラルフはアリスの指示通り裏庭に行くと左手に籠を持ち、慣れた手つきでベリーを摘んだ。ついでに腐食が進んでいたベンチを直し、薪も割った。離宮に住んでいる時は大工仕事と薪割りはラルフの仕事だったので、これくらい造作もなくこなせる。

エミリアはというとアリスと一緒に台所に立ち、具材を切り、鍋をかき混ぜたりとおもてなしの準備に余念がない。長旅の疲れがあるにもかかわらず、平然とした様子で動きまわっている。ラルフはともかくエミリアも相当に逞しい。

一家が夕食の準備をしている間、マリナラは客室でのんびりと紅茶を振舞ってもらっていた。

(あれが稀代の悪女と言われている国王の愛妾なのね……)

アリスは年齢よりは若々しく愛嬌があるものの、一国の王を虜にするような艶やかさはまるでなかった。

平民のような数々の振る舞いはとても国王の愛妾とは思えない。しかしながら、その表情は生き生きと輝いているように見えた。