「私に縁談?真か?」
「はい」
ロウグ大臣は明らかに困惑した表情で深く頷いた。
王妃から疎まれる妾腹の身である自分と縁を紡ごうとする物好きがいるのかとラルフは首を傾げた。
しかしながら、王国の重臣であるロウグ大臣が騎士団の詰所にわざわざやってきたということは、冗談や間違いの類ではないということは確かである。
ロウグ大臣は長い髭に隠れた口を重々しく開けると相手の名を告げたのである。
「お相手は西国クルスの第1王女、ララ姫でございます」
「ララ姫……」
ラルフはぼやけた記憶を掘り起こし、なんとかララ姫のことを思い出そうとした。
確かに何度か王城主催の晩餐会で見たことがあるような気がするが、残念ながら他の招待客と十把一絡げらでほとんど印象に残っていない。
ラルフはうむと悩ましげに唸った。
好いた相手もおらず、結婚に理想を持っていないラルフにとってこの縁談は悪くない話である。
リンデルワーグにいる限り王妃からは蛇蝎の如く嫌われ、王位継承権を持つ王子にも関わらずまともな扱いは受けられない。いっそのこと王位継承権を放棄して、婿入りでもした方がましである。
しかし、他国というのが非常に都合が悪かった。もしクルスに婿入りしてしまえば、母と妹の安寧は誰にも保障されないからだ。
母はともかく、未婚のエミリアは虎視眈々と王城の覇権を狙う貴族たちが箔をつけるのにぴったりな身の上である。自分の預かり知らない間にどこの誰ともしらぬ獣と結婚させられるなど許し難い。
自分はさておき妹は愛する相手と結婚して欲しい。それは、これまでさまざまな逆境を共に乗り越えてきた兄心である。
しばし思案に暮れた後、ラルフはボソリとつぶやいた。
「流石に断ってはまずいか……?」
ラルフの返答を予想していたのか、ロウグ大臣はこっそりため息をついた。
「だから以前から申し上げていたでしょう。早く身を固めた方が良いと」
「そうは言われてもなあ……。いつものようにロウグ大臣の手腕でなんとかならないのか?」
持ち込まれる縁談をことごとく破談にされ、ほうぼうに頭を下げ続けてきたロウグ大臣は己が贔屓にしている第4王子に厳しい視線を向けた。
「なりませぬ。クルスは我が領土の5倍はある大国ですぞ。理由もなく断れば、報復が待っているだけです」
「しかしなあ……。あの王妃が何と言うか……。最悪の場合、婿に行く前に殺されるぞ」
「殿下、もう少々お声を小さくお願い致します」
「事実であろう?あの悋気の塊のような王妃が自分の王子たちを差し置いて私が隣国に婿に行くことを許すわけがない。婿に行く前に死んでしまっては国際問題になりかねないぞ?まあ、簡単に殺されるような鍛え方はしていないがな」
「本当に頭の痛い問題でございます……」
ロウグ大臣は齢50を超えて小さくなってきた身体を益々縮こめたのであった。
当然、クルス側はリンデルワーグ王国の夫婦問題には明るくない。
たとえ和平を結んではいようとも近隣諸国は虎視眈々とリンデルワーグの領土を狙っている。付け入る隙を与えないために王妃と愛妾の不和はこれまで公にされてこなかった。
しかし、ここにきて完全に裏目に出ることになった。
白髪混じりの薄毛頭を抱えながら悩むロウグ大臣を見て、ラルフは何もかもを吹き飛ばすようにげらげらと笑った。
「いっそのこと亡命でもしようか」
「冗談でもそのようなことをおっしゃるのはおやめください!!殿下はこの国にはなくてはならないお方ですぞ!!」
「何を言う、ロウグ大臣。私の代わりなどどこにでもいるさ」
嬉々として語るラルフにはロウグ大臣の悲痛な叫びは届かなかった。
「さて、どこに行こうか。南国のバンデルでは船にさえ乗れれば出自は問わず雇ってもらえるそうだ。男がひとりで生きていくにはちょうど良さそうだな」
「殿下!!」
「そう怒るなよ、ロウグ大臣。場を和ませるための冗談だ」
ラルフが生まれてからその成長を陰ながら見守ってきたロウグ大臣には彼が本気で言っていることが分かっていた。
しかし、その一方で母と妹と置いていくほど薄情ではないことも知っていた。
悲しいことに誰よりも自由な気風を愛するラルフの肩には多くの命が乗っかかっている。それはラルフ自身もよく分かっていた。
だからこそロウグ大臣は王城の誰にも見られるようにこっそりと詰所までやってきたのだ。