ラルフは別宅に戻ると、早速婚約者に同行の是非を尋ねたのであった。
「というわけで、明日離宮に帰ることになった。急で悪いが一緒に来てもらえるか?」
「ええ、わかりました。私も一度お会いしてみたいと思っておりましたの。国王陛下を誑かしたという噂の”愛妾”に」
突然の要請にも関わらず快諾した裏には別の思惑があるようだ。
愛妾アリスが宮廷の表舞台から姿を消してから、10数年が経っている。社交界では既にアリスの人となりを知らない者の方が多い。
アリスは王城を追い出されて以来、一度も王都レジランカの城壁の内側に入っていない。まるで何かの罰のように頑なにレジランカに行くのを拒んでいる。
かつて国王は東国ライルブルとの和平交渉の末に、アイリーン王妃を娶ることになった。
絵に描いた政略結婚だったが意外にも結婚生活は穏やかなものであったそうだ。互いを慈しむ姿は理想の夫婦像そのものだった。
アイリーン王妃にとっての悲劇が訪れたのは、3人目となる王子であるアサイルを産んだ直後であった。赤子の誕生によりなにより幸せを実感していたアイリーン王妃に耳に届いたのは、愛妾アリスの存在と懐妊の知らせであった。
……アイリーン王妃が人が変わったかのように苛烈になったのは、それからだと言われている。
人によってはアリスのことを王城に禍をもたらした悪女だの、卑しい娼婦だのと吹聴している。
これらの出来事はラルフが生まれてくる前の話であり、すべて人伝に聞いた話である。結局、何が真実で何が偽りかは自分で判断するしかないのである。
「先に言っておくが、母上は貴方と違ってどこにでもいそうな普通の女性だぞ」
愛妾というのは王妃の代わりに非公式の茶会を仕切ることもあれば、公式の場に出て賓客をもてなすこともある。
とある国では自分の愛妾を他国に送り込み、言葉巧みに情報を引き出させるという稀有な例まである。
息子であるラルフが贔屓目に見てもアリスにそのような腹芸が出来るとは思えない。
実際、アリスは王城にいる時も特別な役割を務めたことはない。
「まあ、そんな所が父上の目に留まったのかもしれないがな」
「ええ。お会いできるのをとても楽しみにしております」
この世に姑に会いたいと面と向かって夫に言える妻がどれくらいいるだろう。
(間違っても母上に契約を持ちかけるようなことはしてくれるなよ……)
ラルフはアリスとマリナラの対面に一抹の不安を覚えるのであった。