「兄上、クルスとマガンダは手を組んでおります」
それは、エルバートの歩みを止めるには十分な威力だった。
「偵察から戻った副団長のキースより報告がありました。クルス国内のある砦に密かに兵が集結しております。その数、3000あまり。まもなく国境を越えマガンダと合流するでしょう」
「……馬鹿な。行動が早すぎる」
聞き捨てならない事ばかりを並べられ、エルバートは即座に身を翻した。
「クルスが兄上の思惑を知り先手を打って動いたとしか」
「ありえん」
クルスとしては王子暗殺の濡れ衣を着せられ侵略の口実を与えるくらいなら、マガンダと共謀してリンデルワーグに攻め入った方がいくらかマシである。
リンデルワーグが先に和平協定を破ろうとしたことを告発すれば言い訳も立つ。
「レインフォール伯爵令嬢が言うには……王城にはクルスと通じている者がいると。お心当たりは?」
裏切り者の暗躍に王太子は盛大に舌打ちをした。ララ姫との縁談は言わずもがな極秘事項である。他国に情報を売り渡すなど背信行為もいいところである。
「マリナラ嬢からの伝言でございます。”鼠を炙り出すならお手伝い申し上げる。報酬はご随意に"と」
「あの小娘……!!」
マリナラの得意げな顔が目に浮かぶようである。これは王太子たるエルバートへのあからさまな挑発である。
エルバートは玉座に座り直すと、不機嫌を露わにしながら宣言した。
「ラルフレッド・リンデルワーグとマリナラレインフォール伯爵令嬢との結婚を承認する」
「よろしいのですか?」
「クルスが我が国に牙を剥いた今、この縁談は最初からないものとして扱われる。お前が結婚しようと知ったことか。あの小娘と結託してリンデルワーグに仇なすようであれば即刻切り捨てるまで」
エルバートは偉そうにふんと鼻を鳴らすと、こう付け足した。
「ただし、結婚はこの馬鹿馬鹿しい茶番を収めてからにしろ。ラルフ、お前にマガンダおよびクルス連合軍の掃討を命じる。余分な兵はやらぬ。己が裁量でこの苦境を脱してみせよ」
「かしこまりました、兄上」
ラルフは結婚の許しと引き換えにエルバートからの挑戦状をしかと受け取った。
「ラルフ、クルスとの縁談が計略だと察していたのであれば、既婚者になる以外にも婿入りを回避する手段はあるはずでは?」
「ははは、何をおっしゃいます、兄上。好いた者同士が結婚したいと思うのは自然なことですぞ」
ラルフはあくまでもマリナラと恋人同士であることを主張した。
「私はただ、自分の心に従ったまで。何の問題もありません」
たとえ他の方法があったとしても、ラルフは決して選ばない。
エルバートはラルフがマリナラに本気で惹かれていることを知らない。1億ダール支払ってでも傍にいて欲しいと願っているとは夢にも思っていない。
……たとえマリナラの狙いが王家に恩を売り、都合よく威光を借りることだとしても関係ない。
契約したからには最大限利用しようとしているのはお互い様である。
何もかもを煙に巻こうとするラルフを玉座から見下ろすエルバートは悩ましげにため息をついた。
「結婚を認めたからには死ぬことは許さん」
ラルフは全てを腹の中に収めると深々と臣下の礼を捧げたのであった。