「なあ、ラルフ?父上はもう長くはあるまい。これが何を意味するか分かるか?」

ラルフは沈黙を貫いた。この国を守る第一線にいるお陰でリンデルワーグの現状は痛いほどわかっている。

「父上が在位の間は辛うじて保たれていた均衡は必ず崩れる。このリンデルワーグには他国から兵が押し寄せるだろう。侵略されぬためには、守りだけではなくこちらから打って出る必要があるのだ」

「私とララ姫の縁談はそのための囮ということですか?」

「さよう。婿にやろうとした王子の暗殺未遂となればクルスに派兵する口実にはちょうどよかろう?」

エルバートがクックックとさも愉快そうに声を上げて笑う一方、ラルフは肝を冷やした。

エルバートは王妃とその取り巻きの所業をあえて黙認し、ラルフに刺客をけしかけるつもりなのだ。

あろうことか自国の恥を隠し、クルスに罪を押し付けようとしている。

ラルフは己も知らぬ間に大罪の片棒を担がされるところだったのだ。

「兄上、私は彼女と……マリナラ・レインフォール伯爵令嬢と結婚するつもりです。ですからこの縁談、きっぱりとお断りさせて頂く!!」

ラルフはエルバートが仕組んだ縁談をはっきりと拒否した。

怒号が飛び交うことは必至と思われたが、意外なことにエルバートは至極冷静にラルフの顔をまじまじと見つめたのであった。

「ラルフ、お前は何を企んでいる?」

「何も企んでおりません」

「それではどういうつもりであの娘と結婚するのだ?」

「どういうつもりも何も私とマリナラは結婚を誓い合った仲ですから……」

「笑わせるな。あの娘が普通の貴族の女のように結婚を望むものか」

ラルフは驚きのあまり、目を見開いた。

「兄上は彼女の事をご存知なのですか?」

「国費留学生の選定と任命は私の仕事だったからな」

エルバートがしきりにラルフの行動の真意をを問うてくる理由がはっきりした。

エルバートはマリナラがただの伯爵令嬢ではないことを知っている。

マリナラが国費留学を終えた今でも名前を覚えているほどである。当時からさぞや強烈な印象を与えていたことであろう。

「留学を終えた者のうち官僚にならなったのは後にも先にもあの娘だけだ。留学費用にたっぷり利子をつけて返されては、無理強いする理由もない」

「なるほど、兄上は振られてしまったわけですね」

利子をつけて返せるだけの財力を持ちながらあえて国費留学生に応募したその目的は制度を利用して自らの顔と名前をエルバートに売ることに違いない。

マリナラの目論見はある意味成功していた。
王太子として引く手数多のエルバートを袖にした唯一の女性としてばっちり記憶に残っている。

「はっはっはっ!!なんとも彼女らしい行動ですな」

王太子の前だというのにラルフはたまらず大声を出して笑ってしまった。

実力主義者のエルバートがマリナラほどの才媛を見逃すはずがない。

あらゆる手を尽くして引き留めただろうが、それでもマリナラは捕まえることは出来なかったのだ。

さぞや悔しい思いをしたことだろう。

他人は思い通りになるのが当然という王太子の常識をひっくり返し、その鼻をあかしてやったのだ。

なんと痛快だろう。それでこそマリナラだ。

ラルフはマリナラと契約を交わしていることがとてつもなく誇らしく思えた。