(思っていたより王城の反応が鈍い……。新たな手を打つべきかしら……)
マリナラは薄い寝間着姿でジャンからの報告書を読みながらひとり考え込んでいた。
急ごしらえにも関わらずマリナラの作戦は一定の成果を上げ、王都レジランカは今や2人の話題で沸いている。
……本来ならこれは不敬罪に相当する。
美談に仕立て上げたとはいえ王族のラルフの醜聞を面白おかしく語ろうものなら、王城から大々的な戒厳令があって然るべきである。
マリナラが裏で工作しレジランカの端から端まで噂が広がるようにしたにも関わらず、未だに王城の面々は沈黙を貫いている。
(王城は庶子であるラルフ様を軽んじている……?)
マリナラは頭の中に浮き出た自身の考えを直ぐに否定した。
いや、そんなはずはない。伊達や酔狂でレジランカ騎士団団長の地位は与えられるものではない。リンデルワーグ王国の国防を担う金色の鷹の価値は低くない。
少なくともラルフの能力を知っていて重用した人物がいるはずである。
(根競べね……)
マリナラは渋い顔つきで燭台に灯る火で報告書に火をつけた。じりじりと燃え広がっていく紙束を暖炉に投げ入れる。
ラルフが用意した別宅の主寝室の小さな窓からはレジランカの市中の夜景が見える。ケルシェ村に居たら見られなかった光景である。
マリナラはふっと表情を和らげた。
「悪くないわね……」
そう独り言ちた時、これまでうんともすんとも言わなかった続き部屋の扉が小さく叩かれた。
「マリナラ殿、少しよろしいか?」
それは詰所から戻ってきたばかりと思しきラルフの声であった。
こんな夜更けにかとも思ったが、マリナラは直ぐに本来の続き部屋の役割を思い出した。
「ええ、どうぞ」
そう答えると間もなく、開かずの扉は開きラルフが姿を現した。
リンデルワーグ王国が誇るレジランカ騎士団団長はマリナラが思っていたよりも実に紳士的で穏やかで……とんだ食わせ者だった。1億ダールの契約書に即決で署名する豪胆さと、マリナラのやることを疑わず面白がる享楽性をひとつの身体に併せ持っている。
マリナラには王妃よりもラルフの方がよほど狂っているように見えた。
「この家の居心地はどうかな?」
「ええ、悪くないですわ。ダンテル殿が色々と気を遣ってくれますので」
「ダンテルは母の代から仕えてくれている古参の使用人でな。仕事熱心で己に誇りを持っている。口煩いのが玉に瑕だ」
マリナラの着ている寝間着はダンテルが用意した物である。流行りの形ではないが、上等な品である。ラルフには女性の気配が全くなく、女性物の寝間着を常備しているとは考えにくい。ダンテルが希望を捨てずに、念のため準備をしておいた粘り勝ちである。
「寝るところだったか?」
「ええ。ちょうど休もうかと思っておりました」
ラルフはマリナラを上から下までじっくりと見回し、悩まし気に頭を掻いた。無礼とも思える視線ではあるが、マリナラはそういった反応には慣れていた。
「まだ、何か?」
薄い生地から見え隠れする稜線と燭台の炎に照らされた白い肌はこれまで数々の男性を虜にしてきたという自負がある。マリナラとて男性には即物的な欲望があることは理解していた。
ラルフはしばし悩んだ末にうむと頷くと、長椅子に置いてあった薄掛けのローブをマリナラの身体を隠すように羽織らせたのだった。
「そう無闇に男の前で肌を晒すものではない。今宵は冷えるしな」
マリナラは目を見張った。意外や意外、レジランカ騎士団団長はとんでもない紳士らしい。
しかし、その目には確かに情欲が映ったのをマリナラが見逃すはずがなかった。