(やはり、美しいな……)

ラルフはジャンというあの執事が持ってきたサンドイッチを齧りながら、燭台に照らされたマリナラの顔を眺めていた。

あの狼藉者達が押し入ってくるまで正直言って何もすることがない。

燭台の灯りしかない部屋の中でマリナラは本を読み始め、ラルフはすっかり時間を持て余していた。咎められないのをいいことに真正面に座るマリナラをこれでもかと堪能する。

マリナラの息遣い、ページをめくる指先、視線の送り方ひとつ見るだけで、ラルフの頬は緩んだ。ラルフはすっかりこの状況を楽しんでいた。さぞやだらしない表情になっていることだろう。

そうしている内にページをめくった拍子に耳にかけていた髪が解れた。ラルフはそれを持ち前の反射神経で捉えると元通りに耳に戻した。

「すまない。髪が邪魔だろうと思ってつい……」

「構いません」

ちらとでも動揺するそぶりさえ見せない。男として心底どうでもいいと思われているのは明らかだった。

「……なぜ私と契約しようと思ったのだ?」

男として相手にされていない落胆よりも、無関心な男となぜ結婚しようと思ったのかという好奇心の方が勝った。

「私であれば解決策を提示できると思ったからです」

マリナラは本から目を離すことなく素っ気なく答えた。

「命の危険があってもか?」

「こういう商売をしておりますと大なり小なり敵はおります。相手の正体が分かっているだけマシです」

「1億ダールは何に使うつもりだ?」

「企業秘密です」

ラルフは問答を続けている内に、どうしたらマリナラの気を引けるのか知りたくなってきた。

「企業秘密か……。何に使ってもらっても構わんが、貴方自身の身に危険が及ぶようなことには使わないでおくれよ」

「私を1億ダールで買った御方の台詞でしょうか?」

ラルフはうっと言葉に詰まった。口達者なマリナラに剣の腕しか能のないラルフが敵うはずがない。

「どうやら……殿下のお口は私が思っている以上に滑らかなのですね」

マリナラはしおりを挟み本をパタンと閉じると、アイスブルーの瞳でラルフを睨みつけた。

「殿下、契約書はきちんとご覧になられました?」

気を引くことには成功したが、眠れる虎の尾を踏んでしまいラルフは途端にしどろもどろになった。

「あ、いや……。それがまだ……」

「我々の婚姻期間はきっかり3年です。その間、互いに余計な詮索はしないことになっております。契約履行前なので今回は大目に見ますが、あまりオイタをなさるようでしたら1億ダールの他にも追加でお金をお支払い頂くことになります」

支払いは結婚を持って1億ダールの小切手と引き換えということになっている。
ただでさえ1億ダールという大金は懐に痛手だというのに、これ以上の支払いは勘弁願いたい。

「わかった……。しかしだな!!ひとつだけ言わせてもらいたい!!殿下と呼ぶのはやめないか?仮にもこれから夫婦になるのだろう?」

「そうですね。ある程度の親密さを出すためにもこれからはラルフ様とお呼び致しましょう」

マリナラはそう言うと、再び本を開きだしたのだった。