「殿下、まずはこちらに」

主寝室の最奥の窓際には一脚の椅子と専用の脚で固定された遠見筒が用意されていた。マリナラは遠見筒を覗くようにラルフに目で合図を出した。使い方は教えてもらわなくても知っている。遠見筒はラルフにもなじみ深い道具である。
ラルフはマリナラの指示のままに恐る恐る遠見筒を覗き込んだ。
既に照準は合わせており、暗くてよく見えないが辛うじて何が映っているかは判別できた。

「これはなんだ?」

「彼らはこの別宅に押し入ろうとしている不届き者達です。これから殿下には彼らを捕まえて頂きます」

遠見筒には別宅と通りを隔てる塀を登ろうと悪戦苦闘する男達が映っていた。お世辞にも上品とは言えない風貌の男が3人程、もたもたと塀に集って不愉快極まりない。
本職のラルフからしてみれば、動き方が明らかに素人である。

「捕まえるのはやぶさかではないが……。まさか、小悪党を退治させるために私を呼んだのではあるまい?」

「ええ、その通りです。彼らには私共がひと時の逢瀬を楽しんでいるところを邪魔してもらわねばなりません」

マリナラは極上の笑みでそう言うとドレスを持ち上げ、芝居がかった口調で仰々しくラルフに一礼した。

「当然、捕まえた後は警ら隊に引き渡し、近隣の皆様にも同様の被害に遭わぬように周知致します。殿下が身を挺して悪漢から私をお守りくださった武勇伝も一緒に添える予定でございます」

知略を巡らせているマリナラほど美しい物はない、ラルフはこの時思い知った。

「……なるほど。貴方のやりたいことは概ね理解した」

「恐縮です」

よくも、まあ、こうスラスラと詭弁を弄すことができるものだとラルフは感心してしまった。

マリナラの役柄はさしずめ、ラルフと身分違いの恋に落ちた美しき伯爵令嬢といったところである。
そして、ラルフは恋人の窮地にたまたま居合わせ、悪党を成敗した英雄という筋書きである。

……これまで醜聞に縁のなかったラルフの潔癖さを逆手に取った大胆な作戦である。

この作戦が上手く行けばマリナラと以前から恋人関係にあったという既成事実が一夜にして出来上がる。

ラルフにこれまで醜聞がなかったのはそれだけマリナラとの関係が本気だったからとも思えるし、身分違い故に公にも出来なかったという言い訳もたつ。

虚実織り交ぜたことによって、なおさら真実味は増すだろう。

国王に婚姻の承諾をもらうための布石としては充分である。

しかし、その一方で気がかりな点もあった。

「彼らはどうやって雇ったのだ?」

「雇ってなどおりません。そもそもあの手の輩が契約書の通りに動くはずがありませんもの。契約に値しない者に私は1ダールとて支払いたくありません」

マリナラの言い方は辛辣そのものだった。契約至上主義のマリナラにとって、契約の意味もその重要性も理解しない人間は石ころ同然の価値しかない。

「彼らは賭場で大負けしているところにたまたま居合わせて、声を掛けただけですわ。我々はほんの少し噂を流しただけ……。レインフォール家の別宅は警備が手薄で侵入が容易い。特に西の塀は人気もなく乗り越えるのが簡単だと……。あとは勝手にあちらが動き出したのです」

ラルフはマリナラに誑かされた彼らに素直に憐れみの視線を向けた。
昨日の今日で都合よく賭場で大負けする若者が現れるわけがない。賭場で大負けしたのもマリナラの指図によるものに間違いない。
誑かされたとはいえ凶行に及ぶ彼らに同情することは出来ないが、改心できるように警ら隊に口添えをしてやろうと心に誓った。

「ここまで来るのに少し時間が掛かりそうですね。退屈をしのげる盤上遊戯(ゲーム)でもあればよいのですが、あいにくこちらの家には何も置いておりませんの」

「気遣いは不要だ。待つのは慣れている」

「そうですか。それではせめて軽食をご用意致します」

マリナラが鈴を鳴らすと使用人口で会ったあの足音のしない執事がやって来た。

「ジャン、殿下にお茶と軽食をお持ちして」

「畏まりました」