玉石街の南東に位置するレジランカ騎士団の詰所には、常時500人程が勤務についている。
何隊かは東西南北の各騎士団に演習に出かけているか、作戦行動中のため留守にしているが、全隊が集結すればその数は3000人を優に超える。
リンデルワーグ王国が誇る戦闘集団は団長を筆頭にその配下に2名の副団長、さらに部隊長、小隊長、正団員、見習いと階級が続いていく。
団長は首都を守るために団員達を心身共に鍛え上げ、統率する役目を負っている。国境線から各国の動向を注視する必要もあり、時には一昼夜街道を馬で駆け抜けることもある。
本来なら鳥の串焼きを手ずから買ってくることも、自ら妻探しをする暇などない。それでなくともラルフの元には日夜各地から大小問わず小競り合いの報告が届いてくる。
グレイをかわしたラルフはそのまま階段を上り、詰所の最上階にある団長室へと向かった。
作り付けの本棚、木製の机と椅子、仮眠用のベッドしかない簡素な設えは、華々しい活躍を見せるレジランカ騎士団の団長室というにはあまりにも質素である。
ラルフは団長室の周りに誰の気配もないことを確認すると机の上に積まれた報告書をわきに除け、交わしたばかりの契約書を懐から取り出し机に置いた。
ラルフが普段連絡用に使っている紙とは質感からして異なる桜色の上質紙は、額に入れて飾るのが相応しいような趣だった。
マリナラがつけていた甘いシトラスの香水の香りを思い出し、ラルフはしばしの間物思いに耽った。
……マリアナ・レインフォール伯爵令嬢は実に抗いたい魅力のある女性だった。
つい先ほど別れたばかりなのにもうあのブルーの瞳で見つめられたいと思っていることにラルフは自分で驚いていた。
あれほどまでに心動かされる女性に出会ったのはラルフにとって初めてのことだった。
(妻を娶る日が来るなど……思いもしなかったな……)
ラルフは何かを振り切るように契約書を鍵付きの引き出しの中に大事に仕舞いこむと、誰に聞かせるまでもなくコホンと小さく咳ばらいをした。
団長の威厳にかけても、色惚けている姿を部下たちには見せるわけにはいかない。
団長室の小さい窓からは時折、薪がはぜる音と号令が聞こえてくる。夜回りに出る小隊の足音が遠ざかっていくのをラルフはじっと聞き入っていた。
聞きなれた足音と騒々しさにホッと心が和らいでいく。
煌びやかな王城にいるよりも、騎士団で脇目も振らずに剣を振っている方が性にあっていると思っているし、実際にそうだった。
それがどうして他国に婿に行くだの行かないだのと、ふざけた事態に巻き込まれる事になったのか。
この世の巡り合わせというのは本当に不思議だとラルフはひとりでしみじみと考えるのだった。