「それでその牡丹灯籠の浅井版と圓朝版では何か違うのか?」
「わりと違いますね。簡単なところでは圓朝版は東京ですけど浅井版は京都」
「京都ねぇ。東京は何もなかったぞ」
「まぁもともと尻尾がつかめるという確証はありませんでしたし。でも行ったことに意味はありましたよ。圓朝のお弟子さんにこの御伽婢子を教えて頂きました。それから、東京でも普通についてきましたね。これでわかることとわからないことが増えました」

 俺と鷹一郎は先週、三遊亭圓朝を尋ねて東京に出向いた。牡丹灯籠といえば圓朝だからだ。
 圓朝の高座はそれは見事なものだった。最後に黒川孝助が本懐を遂げたときには涙したが、それは俺の髑髏とは関係のない話だ。そう、やはり圓朝の牡丹灯籠は俺の髑髏と関係がなさそうだ。それは確かに創作で、俺の髑髏はカランコロンなんて下駄の音を響かせることなく突然枕元に現れるからな……。

 そもそも俺と鷹一郎の東京詣での主な目的は可能性を潰すことと所々の実験だ。何しろ伊左衛門の行動の他に髑髏に至る手がかりがまるで無い。だからとりあえず伊左衛門が東京で買い付けた品におかしなものが混じっていないかを確認することと、髑髏が果たして東京まで追いかけてくるのかの確認することが目的の旅だった。

 売り先は元神津(こうづ)藩士の家で、参勤交代のために確保していた家を引き払うのに家財を売却する。そのために地元の伝で伊左衛門を頼った。伊左衛門はその藩士の家財をすべて東京の別の伝手に売り払ったものだから、伊左衛門が自宅に持ち帰ったものはない。それに扱う品物自体も座椅子、座卓に長火鉢、箪笥(たんす)長持(ながもち)衝立(ついたて)といった普通の品ばかりだそうだ。
 売り先をあたってみたが、髑髏につながるようなものはなかった。

 それから髑髏は律儀にも東京まで追いかけて来た。
 場所が離れたことで存在感が弱くなる、ってえこともなかった。髑髏は丑三つ時になると長屋や土御門神社と同じように訪れた。どこまでも追ってくる。その執念に背筋が寒くなる。

 髑髏を祓うにあたっての一番の問題は髑髏の居場所がわからないことだ。
 どこからともなく訪れて俺や伊左衛門にまとわりつく。鷹一郎はその場その場で場当たり的に髑髏を祓うことはできる。けれども祓っても再びどこかからやってきてしまうものだから、元々の髑髏の居場所を突き止めて本体を祓わなければ根本的な解決にはならない。

「それじゃ今度は京都に行ってみるか?」
「いいえ。伊左衛門さんはどこかで髑髏と会ったから気に入られたのでしょう。そうでなければついては来ないでしょうから。そして伊左衛門さんは京都には行ってはいない。だからきっと無駄足でしょう」

 そうすると結局、伊左衛門は髑髏とどこで会ったのだ。
 伊左衛門には心当たりがない。
 どこを調べればいいのか、もはや手詰まり。ぎゅうぎゅうと先細る隘路(あいろ)を追い立てられているような、嫌な気分だぜ。

「他の大きな違いは圓朝版は髑髏のお(つゆ)は生前に新三郎(しんざぶろう)に出会ってお互い恋仲になったのに浅井版は妻を亡くした新之丞(しんのじょう)が精霊祭りに死人の弥子(いやこ)と出会うのです。つまり死んでから出会う。こちらのほうが今回の髑髏に似てはいるような気はするんですよね」
「精霊祭? じゃあやっぱり夏か。けれども妙に薄ら寒い感じがするんだよな」
「死者だからではなく?」
「表現はし難いが土の中にいるみてぇに冷たく湿ったような感覚がある。吐息からそんな冷たさを感じて、骨がきしんで仕方がない」
「へぇ。浅井版では寺の浴室の後ろの御霊屋に安置された棺、圓朝版では墓に入っています。いずれも湿ってはいそうですねぇ」

 ひっそりと人知れず安置された棺。
 この時代は土葬だろう。恐らくその弥子というのは何日も新之丞のもとに通ったのであろう。暑い夏の盛りだ。10日もあれば骨になる。女は棺の中でだんだんと崩れ落ちて骨になりながらも男を探して……。
 そのように考えると途端におどろおどろしさが倍加する。俺の布団の周りに小さく張られる結界はまるで俺を閉じ込める棺のようだ、な。もし突破されてしまうとどうなってしまうのか。禄でもねぇ。

「それから最後も違います」
「最後?」
「そう。圓朝の新三郎は隣に住んでいた伴蔵が髑髏から金をもらって札を破った。だから忍び込まれて取り殺された」
「浅井は?」
「札で守られてたのにのこのこと行っちゃったんですよ。弥子の眠る寺に。それで引きずり込まれて墓の中で白骨に絡まって見つかったそうですよ」
「げぇ。俺は近寄らねぇぞ」
「いいえ。棺に入っていただきますよ。そこまでが哲佐君のお仕事ですからね」