文明開化の鐘が鳴り響き、昨明治15年に銀座大蔵組前に初めての電気街灯というものが灯り夜の闇を打ち払ったそうだが、庶民の生活の根本的なところは未ださほど変わらん。

 この話の発端は俺が逆城南(さかしろみなみ)の小料理屋で酒を飲んでいた時だ。夏の長い日もとうに落ちていたが、ぶんぶんと飛び回る蛾のようにそのオレンヂ色の提灯につられて入った店はわいわい明るく賑わっていた。
 その日、博打仲間の忠兵衛(ちゅうべえ)という男が負けに負けた俺に酒を奢ってくれていた。
 忠兵衛は三十がらみの小綺麗な気のいい男だ。それに呉服屋の(せがれ)で金を持っている。賭場で忠兵衛と出くわせば、スッカラカンになってもこの最後の晩餐だけはありつける。俺が負けた日は何故だか忠兵衛がだいたい勝つ。だから運を吸い上げているみたいで気が咎めるらしい。俺は忠兵衛がいてもいなくても大体負けるんだがな。

「それにしても今日も景気良く負けたねぇ」
「うるせぇ。負けるもんは仕方ねぇだろ」
「それにしたってお前さんは負けすぎな気がするよお? 最後の方にゃいつも胴元が気の毒そうな顔してるんだもの」
「俺だって負けたくって負けてるわけじゃねぇ」
「ははは、お祓いでもしてもらったほうがいいんじゃねえか」

 そう言って、忠兵衛はワカサギの甘露煮をつまんだまま固まった。
 ちょうど来た熱燗を忠兵衛の猪口に注ぐ。

「どうした急に」
「いやよ、お祓いといえば俺の飲み仲間に伊左衛門(いざえもん)てのがいてな、そいつのところになぁ」
「うん?」
「出るんだよコレが」

 忠兵衛が手を胸元まで上げてぷるりと振るわす。わかりやすい幽霊のジェスチャー。

「気のせいじゃぁないのかね?」
「いんや、俺も信じちゃいなかったがよ。見ちまったんだよ」
「何をだよ」
「決まってんだろ幽霊さぁ。頼み込まれて半信半疑で泊まり込んだ。何もねぇと思ってたら丑三つ時だ。まるで闇に閉じ込められたみてぇによぉ、行灯の灯がパタリと消えて」
「パタリと」
「真っ暗闇の中で伊左衛門の悲鳴が聞こえて振り向いたら見えちまったんだ」
「何が」
「女の、骸骨」

 その時だけ、騒がしい居酒屋の音がスゥと掻き消えた気がした。
 そこまで言って忠兵衛はいけねぇいけねぇと呟き、ぷるりと震えて熱燗をキュッと飲み干しぷはぁと息を吐く。
 酒の肴には悪くない話だ。

「そっから評判の神主やら霊媒やらに頼っても全然ダメでさ。伊左衛門は痩せ細ってまるで骸骨よ」
「そら気の毒だな」
「全くだ。あんたの不運も纏めて祓ってもらえるようなお人はどこかにいないかねぇ」

 きっちりついた落ちに空気は澱む。心当たりは、ある。
 なんでよりによって俺にそんな話をしちまうのかね。負けに負けて無一文になったこの夜に。碌な事にゃあならない予感。そんな空気を漂わせちゃ来ちゃうだろうよ。
 仕方なしに口を開く。

「知り合いに土御門(つちみかど)鷹一郎っていうイカレ陰陽師がいる。イカレちゃいるが腕は立つ。本気で困ってるなら紹介してみるかい?」
「イカレとは酷いですね哲佐君。けれども自分で飯の種を運んでくるとはなかなか感心ですよ」

 ほうらやっぱり。
 見上げると、上品な仙台平(縞模様)の羽織袴に紺のインバネスという洒落た姿の見慣れた優男が俺を見下ろしていた。