「僕の場合だと、祖父がピアノをやっていてね。そんな姿を見て僕もピアニストになりたいって夢見てたんだ。でも才能が無くてその夢は諦めた。その代わりに音楽の先生っていう職に就いたんだけどね」

「そうだったんですね」

「でも1番今の九音に近いのは3年前に出会った生徒かな。ちょうど僕がこの学校に初めて教師として来た時。その子も九音の家みたいに音楽一家でさ、ご両親に強制的に音楽叩き込まれてたみたいでね。そのおかげで絶対音感になって、自分の耳が嫌になっちゃったみたいなんだ。当時は心が病んでいても無理矢理音楽をやらされていたんだけど、今は無事、嫌いだった音楽から離れて好きなことやってるよ」

「先生が相談に乗ったんですか?」

「うん。でも最終的にはあの子が自分で1歩を踏み出した」

「凄いな…」



俺はその人のようにはなれないと思う。

その人のように無理矢理やらされているわけではない。

でも1歩が踏み出せない。

踏み出し方がわからないんだ。

確信に近い考えはまた気分を少し沈める。

すると田所先生は少し前のめりになって俺の目をジッと見てからこう言った。



「九音、成長するために必要なことは踏み台だ」

「え?」

「あの子が階段を登れたのはその階段までの踏み台があったからだ。それは最初からあった訳じゃない。それ以前に高校生になっても無かった物だ。でも踏み台をあの子は用意した」

「どうやってですか?」

「親を踏み台にしたんだ」

「親を…?」

「精一杯の声で、精一杯の勇気で自分の気持ちをご両親に向けて言ったんだ。その子が言うには初めての反抗だったらしい。まぁ状況が状況だから仕方ないけど、高校卒業寸前の反抗期は珍しいよな」



思い出し笑いをしている田所先生は続けて俺に話をする。



「初めて子供の気持ちを聞いた親は今まで苦しんでいた事を全く気付かなかったから凄く驚いていたってさ。でも、その後ちゃんと話し合ったら音楽の道を強制的に歩ませるのをやめさせたんだと。そしたらご両親も吹っ切れたみたいで今はその子の夢を応援している。あいつは、親に自分の気持ちを言って認めさせて、自分の道を歩いたんだ。だから踏み台。親からの縛りを解くと同時にそれを成長の材料にしたってわけだ」


田所先生は時計を1回チラッと見ると立ち上がる。

俺も釣られて見るとそろそろ1時間目が終わる頃だった。



「九音は何に縛られているかわからないけど、嫌いならとことん嫌いになればいい。好きならそのまま極め続けろ。ただ、成長するには踏み台という名のきっかけが必要になってくる。…先生からの助言だ」

「田所先生、ありがとうございます。色んな話を聞けて良かったです。少し気分転換になりました」

「なら良かった。でも言っとくがこれは俺の自論が入っている。最後はお前の考えが重要だからな?」

「はい。わかりました」

「よし!そろそろ出るか!楽しかった。こちらこそありがとう」



田所先生は俺の背中を軽く叩いて音楽室の扉を出て行く。

俺は頬っぺたをパン!と叩いてよくわからない気合を入れた。

成長には踏み台が必要。

俺が成長出来るのはいつになるのだろうか。

でも、もしかしたら今回の鈴木先輩の件が成長に繋がってくれるのかもしれない。

確信は全く持てないが、どこかそうあって欲しいと俺は願っていた。