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 その晩、浬烏はそっと華衣の部屋を訪れた。布団の上で、華衣の胸が上下に揺れている。そっと近づき、寝顔を覗く。無防備な彼女の姿に、浬烏の心は乱れた。思わず口づけをしたくなる衝動を抑え、浬烏はそっと彼女の膝裏と背中に手を差し込んだ。
 ――実行するなら、早い方が良い。
 浬烏はそのまま華衣を抱きかかえ、揺らさぬようにそっと抱き留めた。ゆっくりと羽をはばたかせ、夜空に舞い上がった。

 人の世で華衣の両親の様子を見た後、浬烏はその様子を、神に報告をした。
「お前は、願いを聞き届けるべきだと?」
「はい。華衣は元より、ここにいるべきではないのです」
「だが、離縁の条件は示した。あとは、彼女次第だ」
 思っていた通りだ。浬烏は頑なに態度を変えない神に「御意」と言い、御社を去った。
 ――このまま、さっさと彼女との子を成してしまえばいい。泣かれようが叩かれようが、そうすれば万事解決するのだ。
 そう思い、浬烏は華衣の元を訪れた。そっと襖戸を開くと、彼女は手に薄桃色の折り鶴を乗せたまま、窓の外の桜を眺めていた。その背が、とても小さくて儚く、寂しそうに見えた。
 どうして、抱いてしまおうと思ったのだろう。
 そう疑問に思うほど、浬烏は自分の考えが間違いだったと気付いた。
 抱くべきではない。簡単に抱いてはいけない。無理に抱いたら、壊してしまいそうなほど華衣は小さいのだ。
 最初の夜、彼女に頬を叩かれたことを思い出す。彼女は、自分とそうなることを望んではいない。彼女のことは大切にしたい。
 だから今夜、神に黙ってかくりよから華衣を連れ出したのだ。

 浬烏は彼女を起こさぬよう、ふわりふわりとできるだけ優しく夜空を飛んだ。彼女を起こさぬようにというだけでないのは、浬烏自身も意識していた。彼女と離れるのが惜しい。少しでも長く、彼女をこの腕に抱きとめていたい。
 すやすやと腕の中で心地よさそうに眠る華衣に、浬烏は微笑んだ。

 きっと、愛しいというのはこういうことなのだ。
 初めて知った感情に、浬烏は従った。彼女を想うならば、浬烏は彼女を手放すべきなのだ。

 浬烏は華衣の祖母の家にそっと侵入し、両親の眠る部屋にそっと彼女を下ろした。目が覚めた時、どうか彼女が幸せでありますように。

 ――リコンだよ、華衣。

 すやすやと眠る華衣のおでこに、浬烏はそっと口づける。どうしようもなく溢れる愛しさに背を向け、浬烏は一人かくりよに戻った。