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「厄介な依頼だ」
 浬烏が神の御社を訪れると、すぐにそう言われた。
 神は神社に届けられた人の願いを吟味し、人の世に下りた眷属に様子を探らせ、叶えられる望みを叶えるのが仕事だ。浬烏は神の眷属として、願い乞うた人を探り、その人となりを調べ、神に報告する。どんな願いだろうと、例外があってはならない。それが、五十年に一度眷属の花嫁をもらう代わりに人間が神と交わした約束のひとつだった。
「お前に任せるべきでないのは分かっている。だが、お前しか私の眷属がいないのも事実。心して臨むように」
「は」
 浬烏はこれほど人の世に下りるのをためらったことはない。願いの主が、華衣の母だったのだ。

 それでも、仕事は仕事だ。浬烏は仕方なく人の世に下り、華衣の祖母の家を訪れた。
 人の世を探る時は、羽のある天狗の姿ではいられない。かといって、人の姿でも彼らに顔は割れている。浬烏は烏の姿になり、その家の庭の木に止まって中の様子を伺った。
「何てことしたのよ!」
 突如、華衣の伯母の声が浬烏の鼓膜をつんざいた。家の中に集まっているのは、おそらく華衣の祖母の親戚や村の人々だろう。全員の纏う装束が黒色で、亡くなった祖母の葬儀の最中なのだと、浬烏はピンときた。
 しかし、それにしてもおかしい。葬式だというのに、悲しみの顔を浮かべているのは華衣の両親だけなのだ。周りの人は皆怒りに満ちた顔で、華衣の両親を囲んでいる。
「ごめんなさい、でも、華衣がなかなか帰って来ないから……」
 華衣の母が泣きながら言う。父はその隣で、伯母に向かって土下座をしていた。
「申し訳ございません。このようなこと、本来あってはならないこと。烏天狗様に嫁いだ娘を、誇りに思うべきところです」
「口ではそんなこと言うくせに、本当はあんたも心の内はその女と同じでしょう!」
「そんなこと――」
 父が言いかけ、母がもっと泣き出す。父が母の肩に触れると、二人に向けられる視線さ一層険しさを増した。
 神の元に届けられた願いの内容は、『華衣をこちらに返して欲しい』。きっと、華衣の母親が親戚の目を盗んで、神社に願いに来たのだろう。それがバレてしまって、今このような事態になっているに違いない。
 浬烏の胸は痛んだ。
 人が眷属と結婚することは、もう何百年も昔に人間と神が決めたことだ。とはいえ、人間は力を持たない。だから、人間なら誰しも、烏天狗との婚姻を喜び、不自由なく暮らせるかくりよでの生活を望んでいると思っていた。
 しかし、違った。華衣はかくりよでの生活は不満だらけだと言った。離婚したいと神に勢いよく申し出た。華衣の両親も、彼女の帰還を心から望んでいる。
「神様が自ら華衣を返してくれるなら、村の災いも起きないって思ったんです」
 華衣の母が力なく言う。しかし、周りの目はあまりにも険しく、その光景を見ているだけで、胸が苦しい。

 華衣も、人の世に帰ることを望んでいる。ならば、私のすべきことは――。

 浬烏はある決意を胸に、そっとその場を後にした。