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「華衣……?」
 浬烏は華衣の上に乗ったまま身体を起こし、叩かれたところに触れた。どうやら腫れているらしい。
「サイテーです! こんなの……」
 華衣は布団の上で、目元を潤ませている。浬烏は華衣の表情に、ひどく脈が乱れるのを感じた。
「こういうのは、想いが通じ合ってる者同士がすることです!」
 華衣は鋭い視線を浬烏に向ける。その表情に、浬烏の鼓動は一段と大きく跳ねた。
 ――なぜだ。
 浬烏は叩かれた頬に手を当て、自身の力で腫れを癒やした。
「離婚するなら子を成せば良い。ならば身体を重ねるべきだと、私はそう思う」
「だから、何で私があなたと!」
「人の世に戻りたいのではなかったのか?」
「それとこれとは話が別です!」
「……解せぬ」
 浬烏は全てが分からなかった。華衣が怒っている理由も、泣いている理由も、胸が跳ねた理由も、そして今こうしているうちに起きている、胸が締め付けられるような痛みの原因も。
「まぐわりたくないと言うのなら、私はお前をここから出すわけにはいかぬ。良いな」
 浬烏はそっと華衣の上から退く。そのまままっすぐに廊下に出ると、背後で襖戸をぴしゃりと閉めた。
 振り返りはしなかった。華衣の顔をもう一度見たら、自分の胸がおかしくなってしまいそうだった。
 ――私はどうしてしまったというのだ。
 小娘一人の泣き顔を見ただけで、これほどまでに胸が乱れるとは思ってもみなかった。しかも原因も分からない。浬烏は胸に手を当てた。ドクドクと速まった鼓動は未だ変わらず、浬烏はため息をこぼした。

 ◇

 華衣は一人取り残された部屋の中で、自分自身を抱きしめた。心臓がバクバクと厭な音を立て、身体が震えている。
 ――もし私が叩かなかったら、私はあのまま……。
 考えただけで羞恥と恐怖が全身を這い、身体がぶるりとひときわ大きく震えた。けれど、それが逆に良かったらしい。華衣の身体から、急激に力が抜けた。
 華衣はごろりと浬烏の出ていった襖戸に背を向け横になり、膝を抱えて丸まった。
 何をしているのだろう。全てが悪い夢なら良いのに。
 ため息をこぼし、壁にポッカリと空いた丸窓の外を見た。もう梅雨も開けたというのに、そこには桜の花びらがはらはらと散ってゆくのが見えた。空は藍色から赤色へ染まり始めている。
 そんな外の様子を見ていたら、急激な眠気に襲われた。
 ――なんだか、いろいろなことがあったな。
 華衣はとりあえず今だけは今までの恐怖と今からの不安から目を背けようと、そっと目を閉じた。