今日もただ、水面を眺める。
 紬から離れて、はや10年。
 瞬きするほどの僅かな時間のはずなのに、やけに時が過ぎるのが遅く感じるのはなぜか。

「桔梗さま」

 あぁ、ついに幻聴まで聞こえるようになってしまった。

「桔梗さま、聞こえてますか?」

 2度目の幻聴に顔を上げると、鞠の模様の着物を着た女性がニコッと笑んだ。
 ぼくを見つめる、真っ直ぐな眼は、

「紬……」

 あの時と、何ら変わりなかった。

          *

「桔梗さま、全然変わりませんねぇ」
「紬はすっかり大人だね。綺麗だよ」

 10年前と変わらない和やかな空気にホッとする。

「危ないのにあやかしの世に来るとは。きみは懲りないね」

 苦笑いをする桔梗さまに手のひらを広げる。
 しわくちゃでボロボロになった厚い和紙。

「これ、10年前のチケットで多分有効期限切れなので、監視人には襲われないと思います。
 でも、期限切れなのにこっちに来れたって不思議ですよね。……やっぱり当選者じゃないと入れないんですか?」
「当選者じゃなくとも──、いや、そうだね。そのチケットがないと来られないように変わったんだ」

 強く言い直す桔梗さまに、違和感を抱きながらも頷く。
 昔のチケットなんてズルだけど、一歩踏み出してよかった。
 やっぱり、自分から勇気を出さなきゃ、なんにも掴めないんだなぁ。
 そんなわたしを見て、桔梗さまは眉を下げた。

「ごめんよ。ぼくが一方的に突き放してしまって」
「ううんっ、大丈夫です! こうやってまた出会えたんですから!」
「そうか」

 そう言いながら、桔梗さまはわたしの髪に触れる。
 三つ編みをまとめたお団子、何かおかしいところがあったかな。
 と、お団子に何かを結ばれる感覚。

「き、桔梗さま、これ……!?」
「うん。あの時の手ぬぐいだ」
「まだ持ってたんですか……!」
「もちろんだよ。紬との大事な想い出だからね」

 久しぶりの桔梗さまの優しさに赤くなってしまって、桔梗さまに笑われてしまう。

「紬。こっちへおいで」

 桔梗さまに手招かれた先には、咲き誇る星の花。
 美しい桔梗の花は、あたり一面を埋め尽くしている。

「20年前、紬をひとの世へ帰したときに植えたんだ。また出会えたら見せたいなと思ってね」
「で、でも桔梗さま、お手紙では毎回『あやかしの世は危ないから来てはならない』って……」
「心の奥底では『会いたい』と思っていたということだよ」

 20年かけて、種を蒔いて、水をやって、いろんなことを積み重ねてきて咲いた、わたしたちの、愛の花。
 しゃがみ込んで、一輪の花を摘み取る。

「桔梗さまっ」

 くるりと振り向いて、桔梗さまに笑いかける。
 桔梗さまがしてくれたように、星の花をそっと握らせた。

「あの時くれたお守りが、挫けそうになるたびに支えてくれたんです。だから、ありがとうって言いたくて、その……」

 あのね、桔梗さま。
 ひととあやかしがずっと一緒にいることのは難しいこと、最近やっと理解できました。
 わたしは、ずっと桔梗さまのとなりでいられないんですよね。
 だから、桔梗さまにこの花をあげる。
 わたしの魂を込めてある、お守りです。
 わたしだと思って、大切にしてくださいね。
 そんなこと、到底口にできなくて。
 その代わりに、ひとこと。

「好きです」

 もう何回言ったかも分からない。
 10年間、ずっと伝えたかった。

 桔梗さまは目を細めて微笑む。
 そして、大きくため息をついた。

「先を越されてしまったね」

 桔梗さまは花を一輪、わたしに捧げる。

「紬のことを、愛している。だから、これからもとなりでいてくれないか?」

 二度あることは三度ある。
 そのことわざの通り、三回目の希望を掴んでやって来た。
 だから、四度目も五度目も、ううん、それだけじゃ足りない。
 何百回だって桔梗さまに会いに行く。

「もちろんです、桔梗さまっ!」

 10年振りに飛びついた桔梗さまは。
 やっぱり、もふもふであたたかかった。