ふと気がつくと、どうやら俺は、ディータの腕に抱かれているようだった。

荷馬車に乗せられているのか、ガタゴトと揺れている。

頭上では罵声が飛び交っていた。

「あんな魔剣で、子供に向かっていくヤツがあるか!」

「だったら、どうすればよかったんだ。お前こそ、ヘタな反射魔境かけやがって」

「死んだらどうするつもりだった!」

「そんな失敗をこの俺がするように見えるか。お前こそ、なんでちゃんと魔法の使い方を教えていない。その方が問題だ」

「これから教えるつもりだったんだよ」

「またそれか。お前はいつだってそうだ」

 全身がダルくて重い。

魔力酔いだ。

わずかに体を動かす。

「うっ……」

「気づいたか? おい、ナバロ。俺が分かるか?」

 目を開ける。

やっぱりディータだ。

俺は小さくうなずく。

「あぁ! よかった。お前はやりすぎだ。心配させるなよ」

 男の腕に、ぎゅっと抱きしめられる。

それはそれで悪いとは思わないが、ちょっとうっとうしい。

聞き慣れない、大きなため息が漏れた。

「あぁ、助かった」

 ディータの向かいには、あの魔剣を持つ聖剣士がいる。

その男の手が、俺の額に触れた。

「全く。生きた心地がしなかったぞ。熱はないのか? 水は?」

「ほしい」

 起き上がる。

渡された皮袋に口をつけた。

いつの間にか辺りは、すっかり夜になっている。

「気分はどうだ」

「最悪」

 俺はその水袋を聖剣士に戻した。

ディータの膝上に抱かれたまま、ぐったりとしている。

荷馬車は大きく傾いた。

どこかの敷地に入ったようだ。

懐かしいような臭いに混じって、吐き気がするほどの腹立たしい結界が張られている。

この聖騎士団の荷馬車で運ばれなければ、決して侵入出来なかっただろうし、しなかった場所……。

「着いたぞ。歩けるか」

「分からない」

「いいよ。俺が抱いていく」

 荷台のホロが巻き上げられる。

踏み台が用意され、俺はディータに抱きかかえられたまま、そこに降りた。

ぐるりと高い城壁に囲まれた馬車寄せに、かがり火が焚かれている。

聖騎士団の剣士、魔道士たちが、ぎっしりと辺りを埋め尽くしていた。

「なんだここは」

 その異様な光景に、思わず声が出る。

ディータは皮肉たっぷりの笑みを浮かべた。

「ナルマナの、聖騎士団本拠地だ。ナバロ。ここじゃ大人しくしとけよ」

 俺たちは魔剣の騎士に誘導され、馬車寄せから城内へと向かっていた。

この城は知っている。

昔、俺の建てた城だ。

扉が開く。

「ディータ!」

 女が飛び出してきた。

「今度は何をした!」

 長い赤毛の波打つ髪に、同じ赤茶けた目をしている。

軍服と、胸に並んだ勲章の数は、ここの団長か? 

靴音高らかに歩み寄ると、階段の上から俺たちを見下ろした。

「本当に子供と……。どうして連れてきた。知り合いなのか?」

「俺の子だ。イェニー」

「……。は?」

 赤毛の女の赤い目と、俺の視線がぶつかる。

「こいつはいま、魔力酔いを起こして動けないんだ。ベッドを用意してくれ」

「お、お前……に……。こ、子供? 一体、いつ……」

 魔剣の男は女の隣に並ぶと、彼女を見下ろした。

「イェニー団長。落ち着いてください。彼らの年齢を考えると、どうしてもおかしいでしょう」

 ディータは女を無視して、そのまま城内に入った。

構わず歩き続ける俺たちを、女は追いかけてくる。

「待て、ディータ。なぜお前が、そんな子供を連れている?」

「いいから、ベッド用意しろよ。それとも医務室の方がいいか?」

「そ、そうだな。い。医務室なら……」

「団長。コイツには累積警告が溜まっています。子供はともかく、せめてディータは地下牢に」

「そ、そうだな。キーガン。ディータ、子供はこっちで預かる。お前は地下牢に……」

 ディータは俺を抱きかかえたまま、団長と魔剣士を振り返った。

「こんな子供を、一人で置いておけるか!」

「し……、しかし……。そ、それは本当に、お前の子なのか?」

「それになんの問題があるんだ?」

 女はよほど、俺のことが気になるらしい。

ディータは支離滅裂、意味不明ながらも、女に対して強気な姿勢を崩そうとはしない。

「い……、いつの間にそんな子供を……」

「イェニー団長。判断が難しいのなら、せめて結界を張った地下の個室に収監しては?」

「そ、そうだな。そっちに案内しよう」

 ようやく女が、先になって歩き出した。

キーガンと呼ばれた魔剣士は、俺たちを見下ろし、ため息をつく。

「ついてこい。イェニー団長の温情により、お前たちは地下牢に繋がれることを免れたぞ」

「フン。当たり前だ! なんで俺が、そんなところに入れられなきゃならん」

 ようやく移動先が決まった。

いくつもの廊下を渡り階段を下り、地下へ潜る。

内装はすっかり変えられているが、城の構造なら覚えていた。

やはりこの城はかつて、俺の建てた城だ。

この辺りに巣くう魔物たちに与えたら、よほど気に入ったのか、周囲を襲い奪いつくしたあとでも、長らく根城にしていた。

彼らは勝手に地下も掘り進め、そこはすっかりダンジョン化していたはずだ。

 むき出しの地層をそのまま残した階段を下りていく。

灯りが灯されているのは、ここの魔道士たちの力か。

地下深くにまで及ぶ結界は、ずいぶんと根深い。

「ここだ」

 団長のイェニーが、鉄格子の扉を開ける。

牢獄にしてはずいぶんといい造りだ。

ベッドにサイドテーブル、床にはラグマットが敷かれ、小さなもの書き物用の机と本棚まである。

俺を抱き抱えたままディータはそこに入ると、俺をベッドへ寝かせた。

この城に入った時から、ずっと気になっていた。

聖騎士団には魔道士も所属している。

その魔道士たちが何人も協力し、それぞれのやり方でこの城に強固な結界を張っていた。

地下ではそれが、より強固になっている。

この檻の鉄格子も、普通の金属などではない。

魔法の“臭い”を察知し、無効化する呪いをかけてある。

ここは、魔道士専用の牢獄だ。

「おい。コイツをここに寝かせるのはいいが、俺のベッドがねぇじゃねぇか」

「わ、分かった。あとでもう一つ持って来させよう」

「イェニー団長。コイツは床で寝たので十分です」

 ディータは椅子をベッド脇まで引き寄せると、そこに腰掛けた。

なぜかイェニーとキーガンまで、牢の中に入ってきている。

むき出しの土壁に鉄格子と見張り番さえいなければ、普通に宿の一室だ。

「で……。この子供はなんだ」

「しつこいなイェニー。俺の子だって言ってんだろ」

 女はビクビクしながら、俺の顔をのぞき込む。

「と、歳はいくつだ」

「……。十一」

「十一? だとすると……、ディータが十五の時の子か」

「ありえなくはないだろ」

 突然、イェニーはもの凄い剣幕でディータの胸ぐらをつかむと、グイと引き寄せた。

「貴様、いつの間に! あれだけしておきながら、よくもそんなことが!」

「俺がどこで何をしようと、お前には関係ないだろ!」

「関係はないが、ないわけではないと言ってるだろう!」

「なにがどう関係あって、なにがどう関係ないんだ!」

 そのディータの言葉に、急にイェニーは頬を染めうつむき、その手を緩める。

「そんな……ひど……。ち、違う。ほ、本当にお前の子供なら、まずはお祝いしないと……」

「は? なんでお前に祝われないといけないんだ」

「だ、だって、仮にもお前の血を分けた子供なら、私もそれを受け入れ、我が子として育てなければ。たとえそれが、他の女との間に出来た子でも、やはり……」

「団長。しっかりしてください。まずは騒動の取り調べを」

 モジモジとはにかむイェニーに対し、キーガンは慣れっこなのか、表情一つ変えることなく、ごく冷静に対応している。

「え、えっと……。ディータは、いつになったら私にプロポーズと愛の言葉を……」

 不意に、牢獄の入り口から強い魔法の臭いがした。

ディータもその気配に気づき、顔を上げる。

開け放しにされたままの牢の前に、その女は現れた。

「ほら。ソファを持って来てあげたわよ。どうせいるだろうと思って」

 魔道士だ。

グレーの真っ直ぐな髪に、同じ色の法衣を纏っている。

やや灰色がかってはいるが、鮮やかに光る緑の目をしていた。

「モリー。あまり団長を甘やかすな」

「まぁ、キーガン。そんなことを言って、どうせイェニーに泣きつかれて、夜中に一人でこっそり運ぶはめになるのは、あなたよ」

 魔力でソファ二台とそのセットになったローテーブルを浮かべている。

それを器用に傾け、牢獄の入り口をくぐり抜けると、ラグマットの上に並べた。

「はい。毛布も持ってきてあげたわ」

「やぁ、モリー。久しぶりだね」

「本当ね、ディータ」

 灰色の魔道士から、ディータは毛布を受け取った。

この女からあふれ出る“臭い”は相当なものだ。

自ら魔法石を摂取するだけではない、他人から魔力を奪い取って力を増してきた魔道士だ。

ソファを並べる手際といい、ディータ以上に、よく出来る魔道士なのは間違いない。

「あなたのことは、いつも気にかけているわ」

「そうかい。ありがとう。おかげで苦労しているよ」

 ディータとモリーは、にっこりと微笑みあう。

そのモリーは俺を見下ろした。

「この子は?」

「拾ったんだ」

「どこで」

「街中で歩いてるのを見つけた」

 モリーはじっと俺の目をのぞき込む。

「まぁ、素敵な緑の目ね」

 横で聞いていたイェニーが、悲鳴をあげた。

「さ、さっきは俺の子だって言ったじゃないか!」

「うるせぇ、お前は黙ってろ」

「イェニー団長。落ち着いてください。明らかに顔が違います。この男とは全く似ているところはありません。それに……」

 キーガンはその目をディータに向けた。

「コイツの子が、あんな魔力を持っているはずがない」

 キラキラと輝きを増した赤い目が、俺を見下ろす。

「え……? ほ、本当にディータの子供じゃないんだな?」

 俺は仕方なくうなずく。

「そうかぁ! ようこそ我が団城へ! 歓迎するぞ」

 思いっきり抱きつかれた。

こういうのは本当に、苦しいからやめてほしい。

イェニーは、まだ俺の頭をなで回している。

モリーが言った。

「あの地鳴りはこの子が?」

「そうだよ」

 ディータはため息をつく。

「まさか本当に、現れるとは思わなかった」

 イェニーはようやく俺を放すと、枕元に腰をかがめ、横になっている俺と視線を合わせた。

「もう体は大丈夫なの? 具合の悪いところはない? お腹は空いてないの? 困ったことがあれば、何でも言ってくれれば……」

「だめよ、イェニー。ちゃんと仕事して」

「小僧。どこから来た。家は?」

 甲冑を身につけたままのキーガンは、一人離れた位置で腕を組む。

「両親が心配しているだろう。連絡くらい入れておいてやる」

「はっ、だから言っただろう。この子の親は、今日から俺だ」

「そ、そうなのか? ディータ。分かった。だったらこんなところではなくて……」

「ふざけるな。そんな言い訳が通じるのは、うちの団長くらいだ」

「そうよ、イェニー。ちょっと落ち着いて」

 モリーが呪文を唱える。

緑灰色の目が、妖しい光を放つ。

それはとても複雑で強力な呪文だ。

「そうね、ディータが見張っていてくれるというのなら、ここで任せておいてもいいわ。じゃなきゃ、本当に一番奥の地下牢に、鎖で繋いでおいたかも」

「おいモリー。やめろ」

 ディータの言葉を、その魔道士の女は無視する。

「大地を揺るがすほどの魔力を、この体に貯め込んでたですって? ありえないわね。だけど信じるわ。だって私にも聞こえたんですもの、この子の声が」

 封魔の呪文。

体がズシリと重くなる。

これは彼女の力だけではない。

長年にわたってこの城にかけられ続けている呪いのせいだ。

その魔法が、この結界の中にいる限り、魔道士たち個人の能力を、強く強く増長させている。