エルグリムの悪夢~転生魔王は再び世界征服を目指す~

「ビビ。お前が連れてきたというのは、その少年か」

「お父さま。どうされたのですか?」

 ビビとは似ても似つかない、巨体に筋肉質な男だ。

彫りの深い目で、俺をにらみつける。

「名は何という。ナバロだったか? いや、そんなことはどうでもいい。今すぐ聖騎士団の本部へ行ってもらおう。連行しろ」

 魔道士二人が呪文を唱える。

拘束呪文だ。

俺はその術先をビビにすり替える。

「きゃあ!」

 彼女の体が、テーブルに座ったままの状態で固定された。

「か、体が動かなくなりましたわ!」

「ナバロ以外の者は、外に出ていろ!」

 俺はテーブルに飾られた、魔法石の結晶を手に取った。

それを懐に入れると、ぴょんと飛び上がる。

「待て!」

 簡単な魔法だ。

領主率いる聖騎士団の前に、軽めの静電気を流す。

「うわぁ! イバン、ビビを連れて避難を!」

 父親である領主が叫んだ。

魔道士からの攻撃魔法が飛んでくる。

どうやら標的は俺らしいが、なんだコレ? 

空気玉か何かか? 

威力も弱ければ、意志のはっきりしないヘタな魔法だ。

これで聖騎士団の魔道士とは、情けない。

ビビの盾になるよう回りつつ、それを跳ね返す。

イバンは、魔法で固まったままの彼女を抱き上げた。

「私はここに残ります!」

「お父さまの命令です。一旦避難します」

「嫌です!」

 次は何の呪文のつもりだ? 

いつまでたっても、もごもごと考えている魔道士の口を封じる。

「やはりお前は、ただの魔法使いではないな」

 領主は剣を抜いた。

その刃先が空を切る。

だけどまぁ、十分届かない位置にいるから、全然怖くはないよね。

ビビを抱き上げたイバンが、走りだした。

食堂を抜け、廊下へ出る。

俺はその後ろに続いた。

「待て!」

 領主と聖剣士たちが、追いかけてくる。

呪文を唱えた。

彼らの足元を固める呪文だ。

勢いよく床に転がる。

「クソ! 早く魔法を解け!」

 ダメだ。 楽勝すぎる。

俺たちは廊下を駆け抜ける。

「おい、ナバロ。お前がついて来んなよ」

「ビビの周辺以上に、ここで安全なところがあるか?」

「まぁ素敵! いいわよ、ナバロ。ずっと私の側にいて!」

「なにを言ってるんですか、お嬢さん。冗談じゃないですよ」

「ならば、拘束魔法を解いてやろう」

「いや、逆に面倒だから解くな」

 蝋人形のように固まっていたビビの腕が、ふっと動いた。

「もう解いた」

「すぐにかけ直せ」

「イバン、下ろして!」

 暴れ出したビビを抱いたまま、イバンは玄関ホールへ出る。

背後から矢が放たれた。

振り返った瞬間、それは空中でピタリと止まる。

フィノーラだ。

「ひどいじゃない。私を置いて行かないでよ」

「お前までついて来たら、意味がないじゃないか」

「いちおう? ビビさまの護衛だし?」

 イバンは愚痴をこぼしながらも、そのまま走り抜け玄関ホールへ出た。

騒ぎを聞きつけた聖剣士たちが、外からも駆けつけ始めている。

「イバン、何事だ!」

「……。あぁ、ビビさまを連れて、避難中だ」

「そ、そうなのか?」

「見て分からないか」

 イバンは、抱きかかえているビビを見せる。

その後ろには、フィノーラと俺がいた。

「そ、そうか。ならば、こちらへ……」

 居並ぶ聖剣士たちの前を、素通りする。

俺たちはそのまま、中央ホールの階段を駆け上がった。

「待って。そうだわ、イバン。こっちではなくて、地下牢へ逃げましょう。もう随分使われていないし、そこなら私たち四人で隠れていても。十分籠城出来るわ」

「なるほど名案です。では、ここからぐるっと回って、三階のビビさまのお部屋へ」

「どうしてよ!」

 ホールには続々と、聖騎士団の連中が集まってきていた。

イバンはビビを抱えたまま、階段を駆け上がる。

「だからナバロ、お前がついて来んなって」

「館の外へ出たい。案内してくれ」

「それは無理だ。私はビビさまの部屋へ向かう」

 術の解けた領主がホールへ駆けつけ、俺たちを見上げた。

「あの少年だ! ヤツを追え!」

 衝撃魔法が飛んでくる。

風を小さく丸めたものだ。

だが狙いが悪い。

標的の設定の仕方がヘタなのだ。

これでは俺だけでなく、ビビやイバンにも当たってしまう。

その空気弾を消滅させようと、俺が呪文を唱えるよりも早く、フィノーラが呪文を唱えた。

弾き返された弾は、ホールの壁に弾け飛び、立派な装飾を傷つける。

「えぇ? お前の魔法は、雑過ぎるな」

「うるさいわね。このままじゃ、ビビにも当たるでしょ」

「私は先に行くぞ」

 再び走り出したイバンの後ろに、俺とフィノーラはついて行く。

「だから、あんたが大人しく捕まりなって!」

「やだよ、面倒くさい」

「カズといい、今回といい、一体なにしたのよ」

「心当たりが、ありすぎて……」

 イバンに抱えられたまま、ビビは後ろをのぞき込んだ。

「追いかけて来たわよ!」

 魔道士は、炎の呪文を唱えている。

こんな狭い廊下で、正気か? 

次の瞬間、敷き詰められた絨毯に、二本の火が走る。

黒くくすぶるその線に、フィノーラは何か唱えようとしている。

「待て。単純に返すな。廊下が燃える。気体を操れるのなら、空気の流れを止めればいい。そうすれば火は消える」

 フィノーラの呪文。

炎は増幅され、後方に向かって火を噴いた。

「なんでこっちがそんなことまで、気にかけなきゃなんないのよ」

「きゃー! カッコいい! 私もそれやりたい!」

「絨毯が燃えた!」

「あら、ナバロはそんなことを気にかけてくれるの?」

 イバンに抱きかかえられたまま、ビビはにっこりと俺を見下ろした。

「そう。いい子なのね」

 その仕草に、なぜかうつむいてしまう。

いや、違う。

そうじゃない。

俺だって、自分の城が荒らされるのは、嫌だったから……。

「止まれ!」

 行く手を塞いだのは、ビビの父親だった。

「少年、大人しくこっちへ来るんだ」

「お父さま、おやめください。ナバロに、なんの罪があるというのですか!」

「お前は黙ってろ!」

「嫌です!」

「イバン、ビビはもういい。その少年を捕らえろ」

「……。ですがビビさまが……」

「ダメ!」

 ビビは、イバンの首にしがみついた。

領主である父親の後ろには、聖剣士と魔道士がいる。

背後も塞がれた。

「イバン、何をしている。早くしろ!」

 その声に、彼は抱き上げていたビビを、ゆっくりと下ろす。

「ビビ、こっちへ来なさい」

「嫌です!」

 彼女は両手を広げ、父親たちの前に立ち塞がった。

「この子が、何をしたというのですか!」

「それをこれから審議するんだ」

 前後に迫る聖剣士たちが、一斉に剣を抜いた。

魔道士たちも控えている。

イバンはささやく。

「ナバロ。ここは一旦、大人しく捕まらないか? 私たちが、悪いようにはさせない。必ず助け出す」

 ビビも目を合わせた。

俺に向かって、小さくうなずく。

「悪いがそれを素直に信じられるほど、まっすぐに育ってないんでね」

「ならば、戦うしか道はない」

 さて、どうしようか。

イバンが腰の剣を抜いた。

と、不意にビビの手が、俺の腕を掴む。

「ナバロ、こっちです!」

 そのとたん、すぐ脇にあったドアが開かれ、そこに引きずり込まれた。

「ビビさま!」

 部屋に入るなり、彼女は鍵をかける。

「ビビさま! 開けてください!」

「いやよ!」

「イバン、ちょっとどいて」

 フィノーラだ。

ドアを塞ぐビビの体が、ガクガクと震えて始める。

呪文で扉を開放しようとしているんだ。

「ナ、ナバロ、何とか……、おねが……」

 ビビの願いに、俺は呪文を唱える。

「コラー! ナバロ、魔法を解きなさーい!」

「これで、しばらくは大丈夫だ」

 ほっとしたのか、ビビは俺に近寄ると、視線を合わせた。

「あなたは本当に、魔法使いなのね」

 無邪気にキラキラと輝く目が、俺には妙にうっとうしく眩しく感じる。

「頼みがあります。私を一緒に、連れて行ってください。ここから出たいの」

「嫌だ。面倒くさいし、邪魔だし」

 荷物にしかならないお供など、ゴメンだ。

この体をしっかり休ませ、ようやく取り戻した体力を、残しておきたかったが、こうなっては仕方ない。

「私は! いつもここでは、邪魔者扱いなのです。厄介な、困った置物なのです」

「だろうな」

 だけど、その境遇は昔の俺と、正反対だ。

雑用品を並べた物置部屋には、タオルやシーツ、掃除道具や工具類が並べられている。

狭い裏路地に面した窓際には、長い梯子が立てかけられていた。

扉は激しく叩かれ続けている。

「私は……。だから、一人前になりたくて、誰の荷物にもなりたくなくて……。魔法石を取り寄せ、体に馴染ませようとしていたのです。だけど、元々の体が弱く、そのせいで取り込んだ魔力は、全て吸い取られてしまって……。おかげでこうして、元気に動けてはいるのですが、ただそれだけにしかならず、私は……」

 強烈な眠気が襲ってくる。

やはり子供の体は不便だ。

体力がいくらも持たない。

俺は小さな窓から、外へ身を乗り出す。

乗り移れそうな屋根が目の前にある。

「……。一緒には、連れて行ってもらえないのね」

「断る」

「分かったわ。準備するから、ちょっと待ってて!」

「いや、だから断るって……」

「ナバロが置いて行っても、私は勝手に付いていくだけよ。だから何も気にしないで」

 いや、待たんけど。

もう一度、窓から外をのぞき込む。

ビビは、タオルやらシーツやらの積まれた棚の奥から、ボロ布の鞄を取りだした。

それを肩にかける。

「コラー! あんた、本気でビビさまと閉じこもる気なの?」

「ナバロ、ここを開けろ! このままでは、お前が不利なだけだ」

 ドアを蹴破ろうとしている。

魔道士たちも呪文を解こうと、躍起になっている。

まもなく扉は開かれるだろう。

「ビビ。これは、魔法石をいただいていく礼だ」

 俺は食堂から持って来た魔法石を取り出すと、その一部をバキリと折ってかみ砕く。

彼女の胸に手を当て、呪文を唱えた。

「腕のいい魔道士に、治療をさせているな。それは確かだが、気の巡りが悪いから、それ以上よくならないんだ」

 ビビは、かざした俺の手を握ると、苦しそうに表情を歪める。

あのヤブ医者は、もしかしたら俺の正体を見抜いたのかもしれない。

たいしたものだ。

「お前の病はお前のものだから、それ自体を治すことは出来ない。だがちょっと『仕掛け』を変えてやればいいんだ。これで、普通に動けるようにはなる。魔法石の摂取が条件なのは、変わらないが」

 視界が歪む。

寝落ちしそうだ。

これ以上、意識を保つのは難しい。

扉の向こうから、フィノーラとイバンの声が聞こえる。

「ちょ、ナバロ! あんた、どんな魔法使ってんのよ!」

「魔法の使えない、私にも分かる。とんでもない気配だ!」

 扉の呪文が破られそうだ。

これだから、子供の体は厄介なんだ。

もう体力が持たない。

フィノーラの魔法が、俺の術を解除しようとしている。

イバンはその巨体を、激しく扉にぶつけている。

「ビビさま!」

 体がだるい。

急がないとマズい。

俺は梯子を窓から外に出すと、それを階下へ落下させた。

「ナバロ!」

「お別れだ。ビビ」

 扉が破られる。

「待て!」

 イバンの剣先が、空を切った。

俺は窓から外へ飛び出す。

ふわりと体を浮かせ、隣の屋根に飛び乗った。

窓枠に飛びついたイバンが、そこから身を乗り出す。

「ナバロ! そこから動くなよ。この私がちゃんと、お前を……」

「どいて!」

 ビビはイバンを押しのけた。

「どうしても、連れて行ってはもらえないのね!」

「邪魔なだけの供はいらない」

「魔法が使えたら、私だってどこへでも行けた! 何にでもなれた! 私の自由を、あなたの自由をなくさないで! またいつか、ここへ戻ってきて。私にそれを見せて!」

 フィノーラが呪文を唱える。

「ちょっとそこを、どいてもらえますかね、ビビお嬢さま!」

 イバンはとっさに、ビビを奥へ引き込んだ。

そのとたん、窓側の壁が吹き飛ぶ。

「フィノーラ。お前の魔法は、がさつすぎ」

「待ちなさい!」

 また衝撃魔法だ。

ありがたい。

それが打ち込まれる前に、シールドを貼る。

フィノーラの放った魔法の風を受け、夜空に舞い上がった。

「……。ナバロ、逃がさないわよ!」

 後はそのまま、調整した風に乗って、飛ばされておけばいい。

ゆっくりと漂う夜空に、ルーベンの町が広がる。

「待て!」

 フィノーラは、屋根へ跳び移った。

足で走って、追いつけるとでも思っているのかな。

と思っていたら、彼女は魔法で高く飛び上がる。

フィノーラが何度、シールドに衝撃魔法を打ち込んでも、それは俺が逃げるための、追い風にしかならないんだけどなぁ。

「あぁ、そうか。ついでに自分も、あの館を出るつもりだ……」

 ルーベンの田舎町を、月明かりが照らしている。

俺はフィノーラの起こす風に乗って、ふわふわ空を飛んでいて、彼女はその後を、飛び跳ねながら追いかけて来る。

「……。あんた、本気でグレティウスに行くつもり?」

「そうだけど」

 寝落ちしそうだ。

この体、もうちょっと使えるようにならないかな。

困ったもんだ。

だけど今は、そんなこともなんだっていいや。

もう町外れまできたし。

その辺の茂みにでも、身を隠して眠ろう。

いつものように魔法で目隠しすれば、獣やモンスターにも見つからない。

「お前は、あの館に戻らなくていいのか?」

「あんた、私と組まない?」

「それで俺に、どんな利点が?」

「子供一人で、何が出来るの。私といれば宿も取れるし、家出少年には、ならないわよ」

 意識が薄れる。

もうダメだ。

フィノーラの腕が、ゆっくりと落ちてゆく俺の体を受け止めた。

そのまま屋根から地上へ下りる。

「あんたの体、もう動けないってバレバレよ。容積の小さい子供の体で、でかい魔法使いすぎ」

 触れた肌から伝わる体温が、やけに生々しい。

完全に意識が落ちる。

次に俺が目を覚ました時には、温かいベッドの上だった。
 ガラス窓の向こうから、昇ったばかりの朝日が見える。

まだ多少の疲れはあるものの、随分と楽になった。

その回復の早さには、感心する。

 狭い部屋にベッドが二つ。

窓には小さなテーブルと、椅子が二脚ほど。

外にはすぐ目の前にまで迫る、山の緑が広がっている。

どうやら行きついた町外れで、宿をとったらしい。

フィノーラの姿は見えない。

俺は起き上がると、部屋を出た。

「もう起きて大丈夫なの?」

 廊下に出たとたん、そのフィノーラと鉢合わせる。

「ここを出る。世話になったな」

 彼女は両腕に、衣類やら食料を抱えていた。

その真横を通り抜ける。

「宿の女将さんに、挨拶くらいしていきなさいよ」

 階段を下りると、すぐに帳場に出た。

気の強そうな女将が立っている。

「おや、坊ちゃん。もう動けるようになったのかい?」

 その手は俺の頭を抑えこむと、ぐりぐりとなで回した。

「全く。いいお姉ちゃんだね。出発の準備を手伝ってきな。朝食はその後だよ」

 にっこりと、人当たりのよい笑顔を俺に向けた。

その手をパンと振り払う。

「なんだそれ。俺はもう先に行くんだ」

 冗談じゃない。

あんながさつな女など、連れて歩く方が面倒くさい。

宿の女将に背を向ける。

聖剣士たち追っ手が来る前に、さっさとここを抜けだしたい。

「まぁー! 本当にきかん坊だね」

 女将はその俺を、背中から高く抱き上げた。

「うわっ、おい、離せ!」

「ちょっとは、抱っこくらいさせておくれよ。うちの子は、もうすっかり大きくなっちゃってねぇ」

 頬にキスされた! やめろ!

「あ、捕まえてくれたのですね。ありがとうございます。お世話になります」

 すっかり旅支度を調え、フィノーラが出てきた。

「あら、もう行っちゃうの? 少し待てば、食事が出来あがるのに。食べていきなよ」

 抱き上げられた腕から逃れようともがくも、そう簡単には抜け出せそうにない。

「夜中に押しかけておいて、お世話になりました。この子も、じっとしていられない子なので。母の様態も気になりますし……」

「そっか。お母さんの具合が悪いんじゃ、しょうがないわね」

 ようやく床に下ろされた。

女将はため息をつくと、俺たちを見つめる。

「平和な時代になったものね。子供だけで旅が出来るなんて。憎きエルグリムの暗黒時代を乗り越えた、私たちですもの。きっとお母さまはよくなるわ」

「ありがとうございます」

「気をつけてね。帰ったら、また寄ってちょうだい」

 宿の外まで見送りに来た女将に、フィノーラは手を振った。

そのまま山を越える街道へと入ってゆく。

人通りは少ないとはいえ、ゼロではない。

踏みならされたむき出しの土を踏みしめ、歩いてゆく。

「こんな堂々と街道を通って、大丈夫なのか? お前はビビの館へ戻れよ」

「戻ったわよ」

「は?」

 フィノーラは大あくびをした。

「じゃなきゃこんな呑気に、街道通って移動できると思う? 全くこれだから子供は……」

 ガラガラと音を立てて走る荷馬車と、すれ違った。

「ぶっ倒れたアンタを宿に預けてから、すぐ館に戻ったわよ。それで、ビビさまからの手紙も預かってきた」

「は?」

 だからと言って、こんな紙切れを渡されても困る。

「定期的に、連絡寄こせって。街道を抜ける通行手形を出してもらったのよ。ルーベンの正式な許可証よ。これでどこへでも行ける」

「そんなもの不要だ」

 関所はすり抜ければいい。

金なら店先で盗むか、魔法で芸でも見せればいい。

占いでもしてやれば、すぐに金は手に入る。

「お前はこれから、どうするつもりだ」

「私もグレティウスへ行く」

「なんだ。お前も『悪夢』が欲しいのか」

「それは違う」

 日が昇るにつれ、気温は上がってきた。

人通りも次第に増えてくる。

ゆっくりとした坂道を、フィノーラと並んで上ってゆく。

「私は……。『悪夢』を破壊する」

「どうして?」

「ナバロは信じる? 中央議会の言ってること」

「まだ見つかってないんだろ?」

「それは信じてる」

 整備された街道は道幅もあって、所々に店も並んでいる。

次の街は、この峠を二つ越えた先にある。

「エルグリムの残した遺産よ。それがまだ見つからないなんて。だけどもし見つかってたら、もうとっくに世界は、変わっていたのかもね。新政府に不満はないけど、他の誰かに見つかって悪用されるくらいなら、私が先に見つけて、ぶっ壊してやる」

「フン。誰もが血眼になって探しているのに、まだ見つからないものを、お前が見つけられるとでも?」

 フィノーラは立ち止まると、じっと俺を見下ろした。

「あんたと一緒なら、見つけられる気がする」

「じゃあもし、俺が見つけたとして、どうする? 俺はそれを、独り占めするかもしれないぞ」

「そうはならないでしょ。多分私だけでも、あんただけでも、見つけるのは無理」

 上り坂がきつくなり始めた。

道幅も狭まり、街道沿いの商店も寂しくなり始める。

ここから先は、本当に山の一本道だ。

「誰かに支配される世界なんて、ゴメンだわ。そんなモノになりたがる奴がいたら、そうなる前に私がぶっ殺す」

「だったら、なぜ聖騎士団に入らない。お前のその魔力なら、十分入れるだろ」

「あいつらのことは、反吐が出るほど嫌いなのよ。分かるでしょ」

「……。お前の好きにしたらいい」

 山道に入ったとたん、人の気配も一気に減少した。

俺は魔法を使い、高く飛び上がった。

フィノーラもついてくる。

「さっきまで、聖騎士団の連中と一緒だったじゃないか。聖剣士は、嫌いなんじゃなかったのか?」

「だから利用するのよ。悪い?」

「まぁ、今はどこへ行くにも、聖騎士団の許可がないと動けないからな」

「あいつら絶対、エルグリムの悪夢を見つけたって、破壊なんかしないわ。利用するつもりよ」

「その方が賢いもんなぁ」

「あんたが、グレティウスに行く目的はなに?」

「そりゃ憧れの街だからさ。魔道士なら、一度は行ってみたいと思う。そうだろ?」

 魔法で体を浮かせ、地面を蹴る。

背に羽が生えたかのように、一歩一歩を飛び跳ねながら進む。

てくてく歩けば数日はかかる行程も、呪文を唱えれば何てことはない。

フィノーラの腕は、悪くない。

流しの魔道士としては、いい方ではないだろうか。

よく訓練されている。

だけど俺の配下におくには、まだ十分とは言えない。

「なぜ聖剣士を嫌う。誰からも、信頼される存在じゃなかったのか」

「言ったでしょ、嫌いだって。そういうアンタはどうなのよ」

「はは、嫌いだな」

「でしょ。だから組もうって、言ってるのよ。聖騎士団を、本気で嫌いだって言える人間じゃないと、私は信じない」

 山頂までたどり着いた。

木々の間から、遠くナルマナの街が広がる。

「ここから先は、首都ライノルトまで続く道よ」

 ライノルトか。

かつては誰も知ることもない、それはそれは小さな町だった。

勇者スアレスが生まれた村から、一番近い町だったというだけの場所。

「俺はライノルトに興味はない。ここでお別れだ」

「ちょ、待ちなさいって!」

 姿を消す。 瞬間移動だ。

この体ではあまり遠くまで行けないが、この女をまくくらいのことは出来る。

山道を離れ、密林の間をすり抜けてゆく。

 そういえば、かつてライノルトには、巨大な魔球を落として完全に破壊したことがあったが、そこから復興させたのだろうか。

ご苦労なこった。

「いや、破壊したからこそ、新しく復興出来たのか」

 深い森の中で、一つ息をつく。

普通の人間なら、三日はかかる山越えだ。

関所? 通行手形? そ

んなもの、俺には必要ない。

整備された道しか進めないようなやつに、用はない。

 短い距離での瞬間移動を繰り返し、密林の中を進む。

魔力の臭いに気づいた動物たちは、驚き慌てふためいて、逃げ去ってゆく。

そう、これこそが、俺に対する正しい反応だ。

微笑みかけるなんて、ありえない。

汗が流れる。

尋常ではない量だ。

全身がだるく重みが増してくる。

クソ。

こんな移動など、何でもないことだったのに……。

館から盗み出した魔法石を、いくら摂取してもダメだ。

まだ幼い体が、この力に耐えられるだけの体力を持てていない。

息が苦しい。

全身の重みに、ついに足が止まった。

 心臓がズキリと痛む。

荒れ果てた、むき出しの地面に倒れた。

脈打つリズムは不規則で、強烈な痛みを伴う。

手足まで震えている。

俺はそこにうずくまると、繭のように体にシールドを張った。

意識レベルを下げ、回復に全てを注ぐ。

見た目は岩に偽装してあるから、そう簡単には見つからないだろう。

魔力の使い過ぎだ。

無理なんてしているつもりは微塵もないが、どうしても体がついてこない。

やろうと思えば出来るはずのことが、何にも出来ない。

その苛立ちに、腹立たしさに震えている。

 しばらく回復に集中し、意識を取り戻した頃には、すっかり日は落ちていた。

密林の森は真の暗闇で、覆い茂った木々に、空もほとんど見えない。

月も細いこんな夜には、一人で殻にこもっているに限る。

梟が闇夜を滑空する。

俺が擬態している岩の前に現れたネズミを捕らえた。

その鋭いくちばしで、皮を食いちぎり飲み込む。

こんな光景を目にするのも、何年ぶりだろう。

遙か昔の、エルグリムがまだ幼かった頃を思い出す。

今よりもずっと体は傷だらけで、常にどこからか血を流し、腹を空かせていた。

皮膚は黒く固くこわばり、骨と皮ばかりだった。

 俺は新しく手に入れた十一歳の、その柔らかい肌に触れる。

ここは暖かくはないが、俺を傷つけるものは、もういない。

それだけで十分だと満足出来るほど、俺はバカではない。

残った魔法石を取りだし、その全てをかみ砕く。

朝になったら、ナルマナの街へ下りよう。

どこかでちゃんとした食事を取らないことには、実体である体が持たない。

街へ下りたら、まずは簡単な芸でもして、金を稼いで……。
 いつの間にか、また眠りに落ちていた。

目を覚ますと、日は完全に昇りきった後だった。

俺は街に向かって山を下りる。

日暮れ前には、ナルマナの街へたどり着いた。

ここからは首都ライノルトまで、遠く人の街が広がる。

かつては、ルーベンのような辺境の田舎町だと思っていたが、随分と発展していた。

レンガを敷き詰めた道には外灯が立ち、ガラスを張ったショウウインドウの前を、飾り立てた馬車が走る。

住民もそれなりの身なりをしていた。

少なくともカズやルーベンのように、畑仕事をしているような連中ではない。

 夕陽に沈み始めた街を歩く。

子供が一人で歩いていても、誰も気にとめることはないくらいの都会だ。

宵口の街角に立ち、歌を歌う。

もちろんただの歌ではない。

聞いた相手に金を出させるための、魔法の歌だ。

「ありがとう」

 緑の目が、道行く大人たちに、俺は魔法使いだと知らしめている。

子供の魔道士見習いが歌うのは、今も昔もいつだって物乞いの歌だ。

わずかな金を手に入れ、閉店間際のパン屋に入る。

小汚い物乞いの子供でも、長く伸びた前髪の隙間から、その目を見せれば許される。

「インチキ魔法で稼いだ金でも、金は金だよなぁ!」

 店から出てきた俺に、道行く男たちがそんな罵声を浴びせてきた。

案の定、仲間と共にゆっくりと追いかけてくる。

路地裏に回り込んだところで、肩をつかまれた。

「おい。お前、いくらでも稼げるんだろう? だったら持ってる金、ちょっと分けてくれよぉ」

 辺りはすっかり、暗くなっていた。

他に人の気配もない。

呪文を唱える。

せっかくのパンが、不味くなるのはゴメンだ。

「俺の機嫌がそれほど悪くないことに、感謝するんだな」

「なんだよ、また魔法か? 残念だが俺たちは、そんなち……、ま、待て!」

 俺を取り囲んだ、三人の男を拘束する。

動きたくても動けず、声も出せなくなった男たちの懐から、しょぼい財布を探り出す。

呪文によって、フワフワと浮き上がって出てきたそれは、中身だけを手の平に残して落下した。

「まぁ確かに、物乞いの子供から、巻き上げなきゃならないくらいの安さだな。お前らと一緒だ」

 汚いおっさんどもの、悔しがる顔を見ながら、食べる食事も悪くない。

俺は買ってきた包みを開くと、その場に腰を下ろしてかぶりつく。

ハムと卵を挟んだ大きな丸パンだ。

男の腰にぶら下がった小瓶から、気付け用のウイスキーを見つけて、あおる。

焼けるような喉の痛みに、思わずむせた。

「おかしな気配がすると思って、のぞいてみれば……」

 通りの角から、男がひょっこりと顔をだした。

占い師だ。

同じ魔道士でありながら、未来予知を専門とする、魔法使いの中でも一番胡散臭い種類の連中だ。

「大の大人が、やたら子供っぽい歌を歌うもんだと思っていたが、まさか本当に、こんな子供だったとは……」

 浅黒い肌に、黒く短い巻き毛。

ボロボロのテンガロンハットの下は、目の覚めるような緑の目がある。

波打つ髪を、くしゃりとかき上げた。

腰に拳銃を差し、ニヤリと口角を上げる。

「坊主。腹減ってんのか。何かもっと美味いもんでも、食わせてやろうか?」

「誰が占い師の言うことなんか、信じるかよ」

「ほう! よく俺が占い師だって分かったな。大概の連中は、この格好で俺をガンハンターだと勘違いすんのに」

 酒臭い息に、わずかな火薬の臭いがつきまとう。

元々占い師という類いは気に入らないが、こんな奴はなおさらだ。

「帰れ」

「おいおい、コイツらはそのままかよ」

 その男は、身動きも取れず、声も上げられない連中を振り返った。

「朝になったら、親切で優しい魔道士にでも、術を解いてもらうといいよ。きっと俺みたいなインチキ魔道士でも、お手の物だからね」

「おいおい。解いてやれよ、意地悪だなぁ~。意地悪はしちゃダメだって、学校で習わなかったのか?」

 男はポンと片手を自分の頭に乗せると、呪文を唱え始めた。

「んん?」

 彼はその眉を寄せる。

唱える呪文構文を、一段階格上げした。

と、男たちの呪縛が解かれる。

「クソガキが! 覚えてろよ」

 占い師の男は、逃げ去る背中にやれやれとため息をついた。

「だってさ、ぼく!」

 俺はそれを無視して、歩き始める。

あんな連中のことに、興味はない。

「しかし、アレは普通の魔道士にはちょっと難しいぞ。解けないことはないだろうが」

 まとまった金は手に入った。

体を休める場所が欲しい。

宿を取りたいところだが、十一歳の子供に、果たしてそれが可能なのか……。

 ナルマナの街は、ルーベンとは比べものにならないほど、発展していた。

かつてこの辺りは、一面の草が広がる、ただの草原だったのにな。

遠く両脇に見える、山脈の地形は変わらない。

俺が倒されたこの十年程度の間に、これだけ変わったのか。

新しく出来た街には、身なりを整えた人間も多いが、流れ者も多い。

占い師の男は、ずっと後をついて来る。

「あぁ、分かった! 宿を探してるんだ。子供一人じゃ、さすがに泊めてくれるところは、ないからなぁ」

 俺は、そう言った男を見上げる。

なんだコイツ。

なんでずっと俺の後をつけてくる。

「よかったら、うちに来るか? 予想通り汚いところだけど、道ばたで寝るよりマシだろ」

「なぜ俺に構う」

「んん? そりゃこんな子供が、一人で夜道を歩いてるんだ。マトモな大人なら、放っておけないだろ?」

 そう言って、俺にウインクを投げた。

やっぱりコイツは、信用ならない。だけどまぁ、恐れるほどのものでもないか。

「……。では、頼む」

 男は浅黒い顔に、ニヤリと笑みを浮かべた。

煙草で黄ばんだ歯を見せる。

「はは。いいぜ、来いよ」

 男に連れられて、さらに薄汚い路地へと入り込んだ。

大通りは整備され、何一つゴミも落ちていないのに、一歩路地裏へ入ると、その全てのゴミクズを掃き寄せたような光景が広がる。

そこかしこに酔い潰れた人間が寝転がり、蹴破られたような看板と、ヒビの入ったガラス窓もそのままだ。

「突貫工事で出来た街だからな、ここは。工事にかり出された連中が、帰るところをなくして、こんなところで寝てるんだ」

 建築資材や雨水の溜まった木箱が、むき出しのまま置かれている裏路地を、地下へと下りる。

少し階段を下りたところに、小さなバーの看板がぶら下がっていた。

その横にあったドアを足で蹴りあげる。

「ほら、仕事の時間だぞ。さっさと行ってこい」

 足の踏み場もないほど散らかった部屋で、女が寝ていた。

「あらディータ。また拾いものしたの?」

 小さなベッドから起き上がると、二人は口づけを交わす。

「ふふ。こんなかわいい男の子だったら、今回は許してあげる」

「ほら、遅れたらまたドヤされるぞ」

 薄い肌着一枚を被ったまま、女は外へ出て行く。

ディータと呼ばれた男は、そのままベッドへ寝転がった。

「あぁ。腹減ってたんだっけ?」

「それはもういい」

 ついてきたのはいいけど、俺はどこで寝ればいいんだろう。

散らかりまくった部屋を見渡す。

どこか横になれる場所を……。

「来いよ」

「うわっ!」

 ディータは俺の腕を掴むと、ベッドに引き寄せた。

そのまま、ぬいぐるみのように抱きかかえられる。

「離せ!」

「まぁそう言うなって。たまにはいいだろ」

 ディータは片手で俺の顎を掴むと、こめかみに唇を寄せキスをする。

じっとその目をのぞき込んだ。

「随分深い緑だな。生まれつきか? 俺の目も緑だろ? 必死で馴染ませたんだ。体に魔法石を」

「いいから、さっさと離せ」

 一人用にしても、小さめのベッドだ。

暴れる俺に、ディータは手を離すと、ぐるりと背を向けた。

「まぁ寝ろよ。起きたら、朝飯くらい食わせてやる」

 男は目を閉じ、静かに呼吸していた。

魔法で、ランプの灯りを消す。

まさか本当に眠ってしまったとは信じていないが、今日はここで寝るしかないようだ。

俺のすぐ脇で、動かなくなってしまった男を見下ろす。

魔道士と占い師は、同じ魔法石からの魔力を使うとしても、使い方が違う。

その気配と臭いは、同じ魔法使いなら区別がつく。

こいつは占い師だ。

多少の魔法は使えるようだが、占い師の臭いの方が強い。

占い師は嫌いだ。

予言者と名乗り始めたら、それはさらに最悪。

やがて賢者となり大賢者とか言い出したら、そいつはもう敵だ。

 男とシーツとの間にうずくまる。

人肌を感じながら寝るのも、カズを出て以来久しぶりだ。

念のため防御用のシールドを張っておこうか? 

ふとそんなことが頭をよぎるが、結局そのまま、眠ってしまった。
 頭上に降りかかる光りに、目を覚ます。

とっくに正午は過ぎているようだった。

何かをフライパンで焼く臭いがする。

「おー。チビ、目が覚めたか」

 ディータだ。

ハムと卵を焼いている。

ゴミというか衣類というかガラクタというか、そういうもので埋め尽くされたベッドの脇に、そういうもので半分埋もれたテーブルがあった。

ディータは、そのテーブルに乗っていたものを、腕のひとかきで下に落とすと、フライパンを置く。

「まぁ食え」

 そう言って、やはりモノに半分埋まったソファに、腰を下ろす。

すぐ横にあった紙袋から、パンを取り出した。

それをちぎると、半分を俺に寄こす。

「名前は?」

「ナバロ」

「そっか。俺はディータだ。よろしくな」

 マズくはないが、特に美味くもないものを、腹に押し込んだ。

目の前の食い物がなくなった時には、すっかり午後の日差しに変わっていた。

「で、お前はこれから、どうするつもりだ?」

「……。適当に過ごす」

「はは。なんだそれ」

 ディータは立ち上がる。

「ガキのくせに、生意気な口利いてんじゃねーよ。別に行く当ても、ないんだろ? ちょっと俺の仕事を手伝わないか」

「いやだ」

 彼はニヤリと口角を上げる。

「おいおい。一宿一飯の恩義を忘れるなって、言葉を知らねぇのか」

「関係ないね。お前が勝手にやったことだ」

 俺もソファから立ち上がる。

とにかく散らかりまくった、汚い部屋だ。

出口までの床に、足の踏み場がない。

ディータの腕が、ドカリと俺の肩に回った。

「そんな、つれないこと言うなって。いいからついて来いよ」

「離せ!」

「はは。まぁそう言うな」

 子猫のように持ち上げられ、運ばれる。

俺は顔を真っ赤にしているが、恥ずかしくて逆に動けない。

ディータはドアを蹴破ると、外に出た。

「占いの仕事だ。お前もちょっとは、出来るだろ。出て行くにしても、小銭くらい稼いでからにしたらどうだ」

 やっと下ろして貰える。

ディータはこちらを振り返ることもなく、歩き始めた。

なんだよ。クソ、仕方ないな。

ちょっとだけなら、どんなもんだか、様子くらい見てやってやってもいいか。

楽に金が稼げるなら、当分のものは必要だ。

ディータは俺に背を向けたまま、しゃべっている。

「アレだ。どうせグレティウスに行きたいとか、思ってんだろ?」

「行きたいんじゃない、行くんだ」

 昼下がりの雑踏を、のんびり歩いてゆく。

表通りの店は、どこも大勢の客が出入りしていた。

「やっぱガキの考えることは、たいてい一緒だよな。お前、どうやってグレティウスに行くのか、知ってんのか?」

 場所なら知っている。だが……。

「フン。さすがに分かってるか。大魔道士になりたいって?」

「なる」

「フフ」

 ディータは小さく笑った。

石畳の道を、噴水のある広場に出る。

そこを通り過ぎても、なお歩いてゆく。

「グレティウスは、大魔王エルグリムの、かつての居城跡だ。今は封鎖されて、簡単に入れるところじゃない。しかもそのどこかに、『悪夢』が眠ってるって話しだ。そりゃライノルトだって、放ってはおかない」

 ライノルト、かつての田舎町。

今は新政府の中央議会が置かれる、事実上の首都だ。

「そのライノルトも、今や大予言師ユファさまの言いなりだ」

 ディータはくるりと振り返る。

「だから、今からなるとしたら、何でも屋の魔道士より、予言師。つまり、占い師が狙い目ってことだ。魔道士なんてやめて、俺と一緒に占い師やろうぜ」

「やだね」

 ユファか。あの忌々しい、クソガキめが。

アレは、勇者スアレスに祝福を与えたことで、突然有名になっただけの、ただの詐欺師だ。

当時五歳だったガキの予言なんぞに、なにがある。

周りに乗せられて祀り上げられた、ただの飾りものだ。

それが今や、大賢者さまとして政府の中央にいるとは、片腹痛い。

「『悪夢』を探すにしたって、どれだけライノルトの連中が血眼になってても、見つけられないんだ。それを探り当てるためにも、予言師は必要なんだよ」

「ならばなぜ、ユファ自身が見つけない。『悪夢』を見つけられない時点で、アイツはクソだ」

 そう。俺の足元にも及ばない。ディータは笑った。

「あはは! やっぱお前、面白いな。じゃあお前は、見つけられるってのか?」

「見つけるさ。簡単だよ」

 俺が隠したんだ。ディータはそんな俺を、ニヤリと見下ろす。

「そうか。ならグレティウスを守ってる連中も、きっとお前を受け入れるだろうな。大歓迎だよ。待ってましただ」

 通りを曲がる。

目の前に開けたのは、立派な市場だった。

「だがそこまでの、道のりは長いぞ。ほら、ここが俺の仕事場だ。お前はここで、歌でも歌うか?」

 数十メートルの通り両脇にテントが張られ、様々な屋台が並んでいる。

野菜に肉、アクセサリーや帽子、スープやパンの店もあれば、様々な効能の魔法石を売っている店もある。

「ここと、もう一本隣に市が立つんだ。どこか人目につきそうな場所で、空いているところを探すんだよ」

 賑やかな通りを、一通り見て回る。

ディータは休業日の工場裏にある、小さな階段前で立ち止まった。

「この辺りがいいかな」

 ポケットから煙草を取り出すと、火をつけた。

魔法石と薬草の混じった、独特な紫煙が立ちこめる。

「これは……」

「まぁ黙って、見てろって」

 ディータは、カードを取り出した。

魔法石と薬草を混ぜた絵の具でイラストを書き付けた、一種のマジックアイテムだ。

魔法を帯びたそれを、宙にばらまく。

カードは美しい弧を描いて、キラキラと輝いた。

「さぁさぁ。何でも占う占い師だよ。魔法のカードが、あなたの未来をピタリと当てる。捜し物も結婚相手も、何でもお任せあれ!」

 ふわりと風を巻き起こす。

煙草の煙はわずかな魔力を含み、通りかかった人々に、幻覚を見せる。

虹色に輝く無数の蝶が、ひらひらと羽ばたいた。

「まぁ、素敵な魔法ね。私もひとつお願いしようかしら」

「さぁどうぞ、こちらへお座りなさい」

 くだらない。

これだから、魔道士がバカにされるんだ。

「俺はもう行くぞ」

「おいおい、ちょっと待てよ。お前も占いを手伝え。そういう約束だろ?」

「そんな契約を交わした覚えはない」

 立ち上がる。

俺は一刻も早く、グレティウスへ行かねばならない。

「待てって!」

 ディータの手が肩に触れた。

俺はそれを魔法で弾き返す。

ついでに幻覚を見せる煙草の煙も、かき消した。

「痛って! チッ、クソガキが。下手に出れば、つけあがりやがって」

「お前のような場末のエセ魔道士に、世話になるつもりはない」

 ディータが呪文を唱える。

途端に周囲は暗くなった。

幻覚魔法だ。

俺も煙草の煙を吸っている。

閉ざされた暗闇の中で、ディータは銃口を向けた。

「さぁ、大人しくするんだ。悪いようにはしないさ。お前がグレティウスに行きたいってんなら、連れてってやる。だがそれは今じゃない。分かるな」

「今じゃない?」

「あぁ、そうだ。今じゃない」

 ふん。笑わせる。

「悪いが、お前に頼るつもりは一切ない」

 呪文を唱える。

この煙草の煙が幻覚を見せるなら、俺の体内に入り込んだ、その成分ごと全て消し去ってしまえばいい。

『囚われし魔法石の粉よ。さぁ、空高く飛び上がれ、お前達は自由だ!』

 視界が歪む。

真っ暗な異空間に、現実の市場の風景が、割けたように入り込む。

この呪文では無理ってことか? 

ならばもう一度、強く命じればいい。

『飛び上がれ!』

 そのとたん、視界の闇は溶けだし、一気に空へ駆け上がった。

正しい世界を取り戻す。

「なっ、そんな呪文、聞いたことねぇぞ。何でそんなんで有効なんだ!」

 いつの間にか、周囲に野次馬の人垣が出来ていた。

同じ幻覚を見ていたのか、魔法が解けた瞬間、歓声と拍手が巻き起こる。

「ちっ、見世物じゃねぇぞ」

 ディータは、次の呪文を仕掛けている。

魔法石の粉を塗りつけたカードが宙を舞う。

コイツが占い師? 

ただ未来を嘆いているだけの、クズな魔道士には見えない。

随分手慣れているようだ。腕もいい。

「はは。コイツは面白くなってきたな。ガキだと思ってナメてちゃ、やられるかもな」

 ニヤリと笑みを浮かべた。

「そうこなくっちゃ。この俺を、ガッカリさせないでくれ」

 カードが魔方陣を描く。

見たことのない陣形だ。なんだこれ? 

舞い上がる砂埃が、足元の自由を奪う。

あぁ、違う。

ケンカ慣れしてんだ、コイツ。

ディータは胸の前で印を結んだ。

黒味がかった緑の目が、鮮やかに燃え上がる。

「本気で『悪夢』を狙うなら、これくらいはやってもらわねぇとなぁ!」

 魔力解放。

ディータの体は、一瞬にして深緑の炎をまとう。

その全てを吸収したと思った瞬間、増殖したカードが襲う。

俺は飛び交うその一つ一つを、丁寧に避けた。

飛んでくる軌道を、魔法でわずかに変えてやるだけでいい。

呪文を唱える。

『風よ、この身に纏う守りとなれ』

 らせん状の風を、足元から自分の体に巻き付けた。

ディータはすぐに、次の呪文を唱えている。

そのカードの一つが、姿を変えた。

これは煙草による幻覚なんかじゃない。

「はは。なるほどね」

 このカードたちは、ディータの使い魔だ。

主の唱える呪文によって、自在にその姿を変化させる。

「ならば、遠慮なく行こう」

 相手が本気でかかってくるなら、こちらも本気で返さないと失礼だろう? 

こういう本物の魔道士を相手にするのは、この体に生まれ変わってからは、初めてだ。

ディータの呪文で、カードは三つの頭を持つ大蛇に変化した。

俺は右手をかざす。

破壊魔法? 

それとも、全部のカードを一気に吹き飛ばす? 

いやいや、それじゃ面白くないだろう。

『石は石の元へ。木は木の元へ帰れ』

 その呪文に、膨張し、そのまま弾け飛ぶかに見えた蛇は、再び形を取り戻した。

ディータの魔力をそのまま形にした蛇は、赤黒く光り輝く。

「ふん。そんな単純高等魔法で言うこと聞かそうなんて、エルグリムでも無理だろうよ」

 ディータの呪文。

『踊れ。お前の望むままに!』

 大蛇の体は三つに裂け、俺に飛びかかった。

「見た目通りのガキじゃないことを、ここで証明してくれ」

 鋭い牙が肌を切り裂く。

まとうつむじ風で振り落としたものの、これでは動けない。

「案外退屈だったな。子供は家に帰りな」

 ディータは腰の拳銃を抜いた。

その銃口を、真っ直ぐに俺に向ける。

引き金を引いた。

「その判断はまだ早い」

 飛び上がる。

背面に飛び、弾丸と蛇を避けた。

着地したついでに尾を掴み、奴に向かってぶん投げる。

ディータはそれを肘で受け止めると、そのまま体に吸収した。

自分の魔力を外に取りだし、操る術だ。

そういえばそんなことが出来る連中も、腐るほどいたな。

「目の色を分散させているのか。それなら魔力の深さは、簡単には測れない」

「器用だろ? こんなもんじゃないぜ」

 ディータが呪文を唱える。

二匹の蛇は、狼へと姿を変えた。

赤黒く魔法で光るその二頭は、同時に大地を蹴った。

とりあえず先に、その一匹を弾き飛ばす。

群衆の中に向かったそれは、すぐにディータが回収した。

残るは一匹。

「反撃してこいよ。どうして何もしない。まさかそこで立ってるだけが、精一杯ってわけでもないんだろ?」

 どうしよう。

何の呪文で対抗しようか。

昔の使い魔を出す? 

魔力を擬態化した、コイツの使っているようなものではない、本物のモンスターだ。

どこにいったっけ。

召喚したところで、今さら言うこと聞いてくれるかな。

「そういえば、俺にもちゃんとした使い魔がいたなーって」

 俺は静かに目を閉じ、印を結ぶ。

「お前に使い魔? マジかよ。モンスターと契約を結ぶには、それなりの宣誓か能力が……」

「そうだよ。お前のその、なんちゃって使い魔じゃない、本物の魔物たちだ」

 呪文を唱える。

『この声に覚えのある者どもよ、我の元へ集え。いにしえの約束を果たすときが来た』

 魔力を帯びた呪文は言霊となり、世界へ広がってゆく。

大地が揺れ始めた。

「なっ、お前。そんなセリフ吐いたところで、どんなヤツが来るってんだよ」

 街全体が揺れている。

それを覆う、空気までもがふるえた。

予兆だ。

これはエルグリム復活の予兆として、再び世界に轟き、恐怖として響き渡るだろう。

静かな風が、目の前を横切る。

「……。ダメか」

 だがそれは、一瞬にして平常を取り戻してしまった。

返事はない。

あぁ、俺が死んだ時に、一緒に全部、狩り尽くされてしまったんだな……。

「お、驚かすなよ。テメー!」

 周囲を取り囲む野次馬までもが、怯えから解放された、安堵のため息をもらす。

魔力によって形作られただけの使い魔は姿を消し、それを呼び出すカードだけが地面に落ちていた。

「おいおいどうした? 俺のまでビビって、消えちまってんじゃねぇか」

 ディータはそれを拾うと、もう一度印を結ぶ。

「お前まさか、本気で魔物たちを呼び出せるとか、思ってたワケじゃないよな」

「呼び出せる……。と、思った」

「ふん。その魔力の強さは認めるが、本当の使い魔ってのは、呼び出す前に契約が必要なんだ」

「知ってるよ。一度は従えないといけない」

「懐かせないとな」

「うん」

 ディータは印を結ぶために組んだ手の奥から、視線をチラリとのぞかせた。

「は? マジで呼び出せるとか、思ったのか?」

 魔法使いの目が、じっと俺を見つめる。

「あぁ、そうだよ」

 実に残念だ。

「本気で?」

「本気で」

「マジか」

「マジだ」

 俺たちをぎっしりと取り囲む群衆の奥から、不意に騒ぎ声が聞こえてきた。

それらを蹴散らし、銀の甲冑が飛び込んでくる。

聖剣士たちだ。

「なんだこの騒ぎは! って、またお前かディータ。いい加減にしろ」

「あぁ? 今回のは、見世物じゃねえよ。どっか行ってろ」

「あれだけの魔力を放出しておいて、知らんぷりが出来るか」

「やかましい。手出しすると、タダじゃ済まねぇぞ」

 その言葉にたじろぐ聖剣士たちの中で、ただ一人が剣を抜いた。

はめ込まれた石に、呪いがかかっている。

魔剣だ。

「いつでもどこでも、この街じゃお前が騒ぎの原因だ。いい加減、大人しくしろ」

 その男はチラリと俺を見たあとで、すぐに視線をディータに戻す。

「あの地震はなんだ。お前がやったのか」

「あぁ? ……。あぁ、まぁちょっと新しい呪文を試してみたけど、あんま上手くいかなかったなぁって話しだ」

「なぜ街中で騒ぐ。あれほど迷惑はかけるなと……」

「所詮しがない占い師だ。日銭を稼いでなにが悪い」

 この聖剣士の目は、黒っぽい茶色をしている。

魔道士ではない。

「今度騒ぎを起こせば、次はないと警告してあったはずだ。覚悟は出来ているだろうな」

 聖剣士は呪文を唱えた。

魔力を吸収するよう石に指示を出している。

剣にはめ込まれた魔石が黒く光った。

こんな剣を扱えるのは、ただの聖剣士ではない。

そしてその剣も、ただの剣ではない! 

構えた剣が宙を斬る。

ただそれだけで、ディータの張った結界が崩れてゆく。

「もう魔道士の時代は終わったんだ。大魔王エルグリムを倒せると予言した、ユファさまから祝福を受けた、吸魔の剣だ。お前らごとき占い師風情が、俺に勝てると思うな」

「そういえばお前とは、一度ちゃんと勝負しないといけなかったな」

 ディータが呪文を唱える。

攻撃魔法だ。

小さな火の玉が、聖剣士に襲いかかる。

その剣が火に触れた瞬間、炎は刃を伝い魔石に吸い込まれてゆく。

「さぁ、今度こそ牢に繋がれ、正当な処罰を受けるがいい」

 剣士の呪文。

魔石の色が黒から赤に変わった。

とたんに剣は、炎に包まれる。

相手の魔力を奪い、それを自らの力に変える……魔剣だ。

「この剣の前では、どんな魔法も意味を成さない。お前もいつまでも、手品に夢見る大魔王ではいられないぞ」

「魔法は手品じゃねぇ」

「もちろん手品じゃないさ。だがその使い方を、間違えるなと言っている」

 ディータは呪文を口ずさむ。

相手の動きを封じる魔法か? 

俺は足元に落ちていた小石を拾った。

「所詮、実体である肉体の動きには、勝てないと言ってるんだ」

 聖剣士は、炎の剣を構える。

『蜘蛛の巣よ、魔剣士の動きを止めろ』

 ディータの手から、緑の網が放たれる。

剣士は魔剣を振るった。

その炎は、蜘蛛の巣を焼き落とす。

刃の切っ先が、ディータの首元を捕らえた瞬間、俺の投げた石はその刀身を弾いた。

「ふん。確かにその剣は、大魔道士エルグリムを倒した剣のようだ」

「……。魔法使いの子供か……」

 その剣士は、俺を見下ろす。

「子供でも、コイツに加勢するなら容赦はない」

 なにが聖剣士だ。魔剣だ。

お前のその剣こそ、呪われていることを教えてやろう。

「おい。ガキはさっさと、どっか逃げてろ」

「詐欺師ユファの加護だと? そんな物を振り回しありがたがる連中に、何を恐れることがある」

 呪文を唱える。

俺の目の前でそんな剣を振るったことを、後悔させてやる。

「おい! やめろ!」

 魔力解放。

激しい力が俺の体を貫通し、天から大地を貫く。

燃え上がる碧い緑の炎柱に体が包まれた。

「無茶しすぎだ! それじゃあ、お前の体がもたない!」

 聖剣士は呪文を唱えている。

魔石の色が赤から黒に変わった。

その程度の石で、俺の力を奪うつもりか? 

銀の鎧に身を包んだ聖剣士が、魔剣を振るった。

「やめろ!」

 ディータが飛び出す。

俺は標準をその聖剣士に定めた。

『滅びの声を聞け』

 ディータが結界を張る。

それに弾かれた俺の波動弾は、そのまま俺に戻ってきた。

「バカ! ちょっとは考えろ!」

 視界がぼやける。

あぁ、またやってしまった。

本当にこの体には、未だに慣れない。

聖剣士が慌てた顔で駆け寄ってくる。

その剣を鞘に収めたから、まぁいっか。

俺は誰かの腕に抱き留められると、そのまま意識を失った。
 ふと気がつくと、どうやら俺は、ディータの腕に抱かれているようだった。

荷馬車に乗せられているのか、ガタゴトと揺れている。

頭上では罵声が飛び交っていた。

「あんな魔剣で、子供に向かっていくヤツがあるか!」

「だったら、どうすればよかったんだ。お前こそ、ヘタな反射魔境かけやがって」

「死んだらどうするつもりだった!」

「そんな失敗をこの俺がするように見えるか。お前こそ、なんでちゃんと魔法の使い方を教えていない。その方が問題だ」

「これから教えるつもりだったんだよ」

「またそれか。お前はいつだってそうだ」

 全身がダルくて重い。

魔力酔いだ。

わずかに体を動かす。

「うっ……」

「気づいたか? おい、ナバロ。俺が分かるか?」

 目を開ける。

やっぱりディータだ。

俺は小さくうなずく。

「あぁ! よかった。お前はやりすぎだ。心配させるなよ」

 男の腕に、ぎゅっと抱きしめられる。

それはそれで悪いとは思わないが、ちょっとうっとうしい。

聞き慣れない、大きなため息が漏れた。

「あぁ、助かった」

 ディータの向かいには、あの魔剣を持つ聖剣士がいる。

その男の手が、俺の額に触れた。

「全く。生きた心地がしなかったぞ。熱はないのか? 水は?」

「ほしい」

 起き上がる。

渡された皮袋に口をつけた。

いつの間にか辺りは、すっかり夜になっている。

「気分はどうだ」

「最悪」

 俺はその水袋を聖剣士に戻した。

ディータの膝上に抱かれたまま、ぐったりとしている。

荷馬車は大きく傾いた。

どこかの敷地に入ったようだ。

懐かしいような臭いに混じって、吐き気がするほどの腹立たしい結界が張られている。

この聖騎士団の荷馬車で運ばれなければ、決して侵入出来なかっただろうし、しなかった場所……。

「着いたぞ。歩けるか」

「分からない」

「いいよ。俺が抱いていく」

 荷台のホロが巻き上げられる。

踏み台が用意され、俺はディータに抱きかかえられたまま、そこに降りた。

ぐるりと高い城壁に囲まれた馬車寄せに、かがり火が焚かれている。

聖騎士団の剣士、魔道士たちが、ぎっしりと辺りを埋め尽くしていた。

「なんだここは」

 その異様な光景に、思わず声が出る。

ディータは皮肉たっぷりの笑みを浮かべた。

「ナルマナの、聖騎士団本拠地だ。ナバロ。ここじゃ大人しくしとけよ」

 俺たちは魔剣の騎士に誘導され、馬車寄せから城内へと向かっていた。

この城は知っている。

昔、俺の建てた城だ。

扉が開く。

「ディータ!」

 女が飛び出してきた。

「今度は何をした!」

 長い赤毛の波打つ髪に、同じ赤茶けた目をしている。

軍服と、胸に並んだ勲章の数は、ここの団長か? 

靴音高らかに歩み寄ると、階段の上から俺たちを見下ろした。

「本当に子供と……。どうして連れてきた。知り合いなのか?」

「俺の子だ。イェニー」

「……。は?」

 赤毛の女の赤い目と、俺の視線がぶつかる。

「こいつはいま、魔力酔いを起こして動けないんだ。ベッドを用意してくれ」

「お、お前……に……。こ、子供? 一体、いつ……」

 魔剣の男は女の隣に並ぶと、彼女を見下ろした。

「イェニー団長。落ち着いてください。彼らの年齢を考えると、どうしてもおかしいでしょう」

 ディータは女を無視して、そのまま城内に入った。

構わず歩き続ける俺たちを、女は追いかけてくる。

「待て、ディータ。なぜお前が、そんな子供を連れている?」

「いいから、ベッド用意しろよ。それとも医務室の方がいいか?」

「そ、そうだな。い。医務室なら……」

「団長。コイツには累積警告が溜まっています。子供はともかく、せめてディータは地下牢に」

「そ、そうだな。キーガン。ディータ、子供はこっちで預かる。お前は地下牢に……」

 ディータは俺を抱きかかえたまま、団長と魔剣士を振り返った。

「こんな子供を、一人で置いておけるか!」

「し……、しかし……。そ、それは本当に、お前の子なのか?」

「それになんの問題があるんだ?」

 女はよほど、俺のことが気になるらしい。

ディータは支離滅裂、意味不明ながらも、女に対して強気な姿勢を崩そうとはしない。

「い……、いつの間にそんな子供を……」

「イェニー団長。判断が難しいのなら、せめて結界を張った地下の個室に収監しては?」

「そ、そうだな。そっちに案内しよう」

 ようやく女が、先になって歩き出した。

キーガンと呼ばれた魔剣士は、俺たちを見下ろし、ため息をつく。

「ついてこい。イェニー団長の温情により、お前たちは地下牢に繋がれることを免れたぞ」

「フン。当たり前だ! なんで俺が、そんなところに入れられなきゃならん」

 ようやく移動先が決まった。

いくつもの廊下を渡り階段を下り、地下へ潜る。

内装はすっかり変えられているが、城の構造なら覚えていた。

やはりこの城はかつて、俺の建てた城だ。

この辺りに巣くう魔物たちに与えたら、よほど気に入ったのか、周囲を襲い奪いつくしたあとでも、長らく根城にしていた。

彼らは勝手に地下も掘り進め、そこはすっかりダンジョン化していたはずだ。

 むき出しの地層をそのまま残した階段を下りていく。

灯りが灯されているのは、ここの魔道士たちの力か。

地下深くにまで及ぶ結界は、ずいぶんと根深い。

「ここだ」

 団長のイェニーが、鉄格子の扉を開ける。

牢獄にしてはずいぶんといい造りだ。

ベッドにサイドテーブル、床にはラグマットが敷かれ、小さなもの書き物用の机と本棚まである。

俺を抱き抱えたままディータはそこに入ると、俺をベッドへ寝かせた。

この城に入った時から、ずっと気になっていた。

聖騎士団には魔道士も所属している。

その魔道士たちが何人も協力し、それぞれのやり方でこの城に強固な結界を張っていた。

地下ではそれが、より強固になっている。

この檻の鉄格子も、普通の金属などではない。

魔法の“臭い”を察知し、無効化する呪いをかけてある。

ここは、魔道士専用の牢獄だ。

「おい。コイツをここに寝かせるのはいいが、俺のベッドがねぇじゃねぇか」

「わ、分かった。あとでもう一つ持って来させよう」

「イェニー団長。コイツは床で寝たので十分です」

 ディータは椅子をベッド脇まで引き寄せると、そこに腰掛けた。

なぜかイェニーとキーガンまで、牢の中に入ってきている。

むき出しの土壁に鉄格子と見張り番さえいなければ、普通に宿の一室だ。

「で……。この子供はなんだ」

「しつこいなイェニー。俺の子だって言ってんだろ」

 女はビクビクしながら、俺の顔をのぞき込む。

「と、歳はいくつだ」

「……。十一」

「十一? だとすると……、ディータが十五の時の子か」

「ありえなくはないだろ」

 突然、イェニーはもの凄い剣幕でディータの胸ぐらをつかむと、グイと引き寄せた。

「貴様、いつの間に! あれだけしておきながら、よくもそんなことが!」

「俺がどこで何をしようと、お前には関係ないだろ!」

「関係はないが、ないわけではないと言ってるだろう!」

「なにがどう関係あって、なにがどう関係ないんだ!」

 そのディータの言葉に、急にイェニーは頬を染めうつむき、その手を緩める。

「そんな……ひど……。ち、違う。ほ、本当にお前の子供なら、まずはお祝いしないと……」

「は? なんでお前に祝われないといけないんだ」

「だ、だって、仮にもお前の血を分けた子供なら、私もそれを受け入れ、我が子として育てなければ。たとえそれが、他の女との間に出来た子でも、やはり……」

「団長。しっかりしてください。まずは騒動の取り調べを」

 モジモジとはにかむイェニーに対し、キーガンは慣れっこなのか、表情一つ変えることなく、ごく冷静に対応している。

「え、えっと……。ディータは、いつになったら私にプロポーズと愛の言葉を……」

 不意に、牢獄の入り口から強い魔法の臭いがした。

ディータもその気配に気づき、顔を上げる。

開け放しにされたままの牢の前に、その女は現れた。

「ほら。ソファを持って来てあげたわよ。どうせいるだろうと思って」

 魔道士だ。

グレーの真っ直ぐな髪に、同じ色の法衣を纏っている。

やや灰色がかってはいるが、鮮やかに光る緑の目をしていた。

「モリー。あまり団長を甘やかすな」

「まぁ、キーガン。そんなことを言って、どうせイェニーに泣きつかれて、夜中に一人でこっそり運ぶはめになるのは、あなたよ」

 魔力でソファ二台とそのセットになったローテーブルを浮かべている。

それを器用に傾け、牢獄の入り口をくぐり抜けると、ラグマットの上に並べた。

「はい。毛布も持ってきてあげたわ」

「やぁ、モリー。久しぶりだね」

「本当ね、ディータ」

 灰色の魔道士から、ディータは毛布を受け取った。

この女からあふれ出る“臭い”は相当なものだ。

自ら魔法石を摂取するだけではない、他人から魔力を奪い取って力を増してきた魔道士だ。

ソファを並べる手際といい、ディータ以上に、よく出来る魔道士なのは間違いない。

「あなたのことは、いつも気にかけているわ」

「そうかい。ありがとう。おかげで苦労しているよ」

 ディータとモリーは、にっこりと微笑みあう。

そのモリーは俺を見下ろした。

「この子は?」

「拾ったんだ」

「どこで」

「街中で歩いてるのを見つけた」

 モリーはじっと俺の目をのぞき込む。

「まぁ、素敵な緑の目ね」

 横で聞いていたイェニーが、悲鳴をあげた。

「さ、さっきは俺の子だって言ったじゃないか!」

「うるせぇ、お前は黙ってろ」

「イェニー団長。落ち着いてください。明らかに顔が違います。この男とは全く似ているところはありません。それに……」

 キーガンはその目をディータに向けた。

「コイツの子が、あんな魔力を持っているはずがない」

 キラキラと輝きを増した赤い目が、俺を見下ろす。

「え……? ほ、本当にディータの子供じゃないんだな?」

 俺は仕方なくうなずく。

「そうかぁ! ようこそ我が団城へ! 歓迎するぞ」

 思いっきり抱きつかれた。

こういうのは本当に、苦しいからやめてほしい。

イェニーは、まだ俺の頭をなで回している。

モリーが言った。

「あの地鳴りはこの子が?」

「そうだよ」

 ディータはため息をつく。

「まさか本当に、現れるとは思わなかった」

 イェニーはようやく俺を放すと、枕元に腰をかがめ、横になっている俺と視線を合わせた。

「もう体は大丈夫なの? 具合の悪いところはない? お腹は空いてないの? 困ったことがあれば、何でも言ってくれれば……」

「だめよ、イェニー。ちゃんと仕事して」

「小僧。どこから来た。家は?」

 甲冑を身につけたままのキーガンは、一人離れた位置で腕を組む。

「両親が心配しているだろう。連絡くらい入れておいてやる」

「はっ、だから言っただろう。この子の親は、今日から俺だ」

「そ、そうなのか? ディータ。分かった。だったらこんなところではなくて……」

「ふざけるな。そんな言い訳が通じるのは、うちの団長くらいだ」

「そうよ、イェニー。ちょっと落ち着いて」

 モリーが呪文を唱える。

緑灰色の目が、妖しい光を放つ。

それはとても複雑で強力な呪文だ。

「そうね、ディータが見張っていてくれるというのなら、ここで任せておいてもいいわ。じゃなきゃ、本当に一番奥の地下牢に、鎖で繋いでおいたかも」

「おいモリー。やめろ」

 ディータの言葉を、その魔道士の女は無視する。

「大地を揺るがすほどの魔力を、この体に貯め込んでたですって? ありえないわね。だけど信じるわ。だって私にも聞こえたんですもの、この子の声が」

 封魔の呪文。

体がズシリと重くなる。

これは彼女の力だけではない。

長年にわたってこの城にかけられ続けている呪いのせいだ。

その魔法が、この結界の中にいる限り、魔道士たち個人の能力を、強く強く増長させている。
「辛いわよね。分かるわ。さっきあれだけの魔力を解放したんですもの、立ってもいられないのでしょう? タイミング良すぎて助かるわー。おかげで私の手間が省けたし、あなたに酷いことをしなくてすむ。悪いけどここにいる間は、ずっとその状態でいてね」

 魔力を補給するには、原則として魔法石を摂取しなければいけない。

その力を魔力に変えて体に馴染ませ、蓄積する能力のある者だけが魔法使いになれる。

それでもなお、より多くの力を望むのなら、自らの体以上にその力を保有する『入れ物』を作るか、他から奪えばいい。

「一度貯め込んだ魔力はその人自身のもの。それを使って解放しない限りは、そこにとどまり続ける。その流れを止めたわ。枯渇寸前だもの、コップの上に蓋をするようなものね。喉が渇いても水は飲めない。つまり、あなたの魔力は今のまま、回復しないってことね」

 魔道士モリーはにっこりと微笑む。

「大丈夫よ。止められはしても、なくなりはしないわ。魔力ってね、なくても案外、人って生きていけるものらしいわよ。私はやったことないから、知らないけど」

「これだから魔道士は嫌われるんだ」

 キーガンはベッドに近寄ると、俺の腕を持ち上げた。

その手を放した瞬間、バタリと棒切れのようにマットへ落ちる。

「気力も体力もつかない子供に、本当にあんな力があるものなのか?」

「魔道士を甘く見ちゃダメよ、キーガン。あれはとても恐ろしい予兆なの。あなたたち剣士には、分からないでしょうけど」

 そう言うとモリーは、くるりと背を向けた。

「さぁ、もう戻りましょ。時間外労働なんて、無能な人間のすることだわ」

 俺はベッドの上で、何とか寝返りをうつ。

モリーのかけた呪文は、声まで塞いでいた。

「そ……、そうだ……。ふざけるのも……大概にしろ」

「まだしゃべれるの?」

 かすれた声で呪文を唱える。

モリーのかけた呪いは解けた。

ふわりと体が軽くなる。

とどまっていた魔法石の力が、体を巡り始める。

「封魔の術が聞いて呆れる。これだから聖騎士団所属の魔道士なんて……」

 ドンッと、体に重みが増す。

俺は再び、マットに叩きつけられた。

「か……、な……」

「やれやれ」

 ディータがため息をつく。

「ここの魔法はな、魔力をそのまま返すタイプの封魔術なんだよ。強い魔法を使おうと思えば使うほど、圧力も強くなるってわけ」

「ゴメンね、坊や。ディータは置いてってあげるから、大人しくしていなさいね。それなら寂しくないでしょ」

 久しぶりだ。

この感覚。

この鼻をつくムカムカとした臭いは、あのユファとスアレスに、その腐臭が近いせいだ。

『力よ、動け!』

 衝撃魔法。

ドンと空気が震える。

この地下に流れる魔力の向きを変え、それを操る。

『ここに留まる全ての力よ、元の主の元へ帰れ!』

 とたんに空気は、重く熱く熱を持ち始める。

抗いあう魔力と魔力が、せめぎ合う熱だ。

「俺自身の魔力じゃないのなら、それも可能なはずだ!」

「他人の魔法を、魔力で動かすですって?」

 再び呪文を唱える。

ここに仕掛けられた魔法が、ゆっくりと、だが確実に動き始めている。

キーガンが吸魔の剣を抜いた。

古い魔法の残りだ。

どこからか飛んで来た、見えない刃が空を斬る。

キーガンの剣はそれを弾いた。

「ちょっと! ここは狭いんだから、暴れないでよ」

 モリーの呪文。

再び抑えつけられるその強い重みに、俺はガクリと両手をついた。

これ以上は無理だ。

完全に動けなくなった俺の赤い髪を、モリーが掴む。

その親指の腹で、優しく目元を撫でた。

「今が勤務時間外でよかったわね。そうじゃなきゃ、キミは死んでたかも」

「お前が強がっていられるのは、この城の中だけだ。外に出れば、その能力の、半分も出せないだろう?」

「うふふ。確かにそうかもね。なら城外に出て試してみる? ……な~んて、言うと思ったのかしら」

 モリーの呪文。

その言葉に、俺の全身の体液は逆流した。

「うっ……」

 意識が飛ぶ。

一瞬、目の前が真っ黒になり、戻った時には鼻血が吹き出した。

棒きれのように、ベッドにバタリと倒れる。

「モリー、やり過ぎだ」

 キーガンが動いた。

その拳は、ディータの腹をドンと殴りつける。

抵抗出来ない彼にさらに肘打ちを加え、地面に叩き落とした。

「お前はこの城の特殊性をよく分かっているだろ。この子にもそれを、ちゃんと教えといてやれ」

 ディータの動きも鈍い。

ここでは結界の魔法が、見えない手かせ足かせとなって囚人の動きを封じている。

「今日はもう遅い。しっかり休んでおけ。そうじゃないと、明日から地獄を見るぞ」

 三人はようやく牢を出て行く。

ふいにイェニーが振り返った。

赤らんだ頬で、はにかみながらディータを見つめている。

彼女はもじもじと、小さな声でつぶやいた。

「ほ、他になにか、用事はないか?」

「は?」

「な、何かあったら、いつでも私を……、その、頼ってもらってもかまわない」

「俺には、お前の顔を見られただけで十分だよ」

「そ、そうか」

 イェニーは顔を真っ赤にして、そのままモジモジとしている。

「もう行くわよ、イェニー。しつこい女は、ディータは嫌いだってよ」

「イェニー団長。しっかりしてください」

 モリーとキーガンは、それでも動こうとしない彼女を連れ、ようやく出て行った。

ブツブツと抗議を続ける彼女の声が、地下牢に響いている。

ディータはやれやれと首を横に振った。

彼らの気配が完全に消えるのを待って、俺はゆっくりと体を動かす。

起き上がろうにも、体がいうことを聞かない。

重厚な鎧を全身にかぶせられているようで、何をするにも体が重い。

「魔法を使おうとするな。自分の体が持つ、本来の筋力だけで動くんだ。そうすれば、普通に動ける」

 ディータに言われ、俺は少し頭で考える。

誰にもその正体がばれないよう、ずっと姿を隠す魔法を自分自身にかけていた。

魔道士ならだれでも、自分の体に何らかの魔法はかけている。

これを解いていいものなのか? 

ゆっくりと腕を曲げ、膝を動かし、腰を落とす。ようやく起き上がれた。

「魔力に似合わず、その体だけは本物なんだな」

 その問いにだけは、答えない。

「その体が本物じゃなきゃ、誰も疑いやしないさ」

「ずいぶんと彼らと、仲が良さげじゃないか」

「腐れ縁だよ。しかも聖騎士団だぜ? 反吐が出る」

「仲間になれば、もっとラクに生きれるだろ」

 ディータからの返事はない。

じっと自分の手を見る。

何の魔法もかかっていない、自分自身の手だ。

見慣れているはずのその手が、いま初めて見るもののような気がした。

「しかし、この結界のかけ方は異常だな」

「まぁな。聖騎士団の団城なんだ。こんなもんだろ」

 ようやくディータと二人きりになった。

まぁ、見えない所に見張りはいるんだけど。

ディータはソファにドカリと腰を下ろす。

俺はベッドから立ち上がった。

「ふぅ。大丈夫か?」

「なんとか」

 俺は、自分で自分の体を確かめている。

大きく息を吐き出し、そのまま目を閉じた。

「まぁ今日はゆっくり休め。ある意味ここは、世界で一番安全な場所だ。腹が減ってるなら、何か運んでもらうか?」

「いや、それは大丈夫」

 改めて、ゆっくりと辺りを見渡す。

いつも何らかの魔法を自分にかけていたから、体一つで動くなんて、滅多にないことだった。

足の感触を確かめながら、一歩一歩を慎重に踏み出す。

魔力による灯りが消され、すっかり薄暗くなってしまった、地面に穴を掘っただけの天上を見上げる。

ふと自分の足元をじっと見つめた。

二本の足が、真っ直ぐに伸びている。

「どうした。そんなに自分の体が不思議か?」

「慣れないんだ。自分のものなのに、そうじゃない気がして」

「お前は魔力と体のバランスがおかしいからな。間違っているとも言っていい」

 ディータはソファに寝転がると、ゆっくりと俺の全身を観察している。

「どこでそんな呪文を覚えた」

「……。覚えたんじゃない、自分で考えたんだ」

 そんなこと言っても、この十一歳の見た目では誰も信じない。

エルグリムの時から、もう何百回何千回も繰り返し、聞き飽きた言葉だ。

「秘密の魔道書を拾ったわけでも、大魔道士の魂に触れたわけでもない。俺自身が、元からこういう奴だったってだけだ」

 いつだって俺は、俺でありたかっただけなのに……。

「もしかしたら、もっと違うやり方があったのかもしれないな」

 この薄暗い地下室は、押し込められていたあの牛小屋を思い出す。

今の方がずっと広く快適で居心地のいいのが、どうしようもなく不思議なくらいだ。

「ディータはなんで魔道士に?」

「俺? 俺は……。そうだな。俺がまだお前ぐらいだった頃は、大魔王エルグリムが幅を利かせてたんだ」

 ディータはごろりと仰向けになると、目を閉じた。

「そりゃあ強かったぜ。誰も逆らえやしなかった。恐ろしかったし怖かった。今じゃ信じられないだろうけど、普通に魔物が空を飛び、路上で人を襲っていたんだ。それでもな、俺は……。俺は、嫌いじゃなかったんだよ。魔物もモンスターもね。賢くやる人間ってのは、どんな時代でもいるもんさ。それなりにたくましく生きてたんだ。ナルマナに来る前は……。まぁいいや。そんなこと」

 彼は肩肘をつくと、そこに頭を乗せた。

「魔道士の王様がこの世を治めているのなら、魔道士になりたいと思うだろ? いつか沢山のモンスターたちを従えた、カッコいい魔道士になるんだって、そう思ってただけだ。なにをバカなことをって、いつも賢い大人には怒られていたけどな」

「エルグリムは嫌われ者だったから」

「それで、聖剣士に殺されちまったしな」

 俺はベッドに寝転がった。

闇に慣れた目に、ぼんやりとディータの靴裏だけが見える。

「なんで俺について来た?」

 その柔らかな闇の中で、彼はフッと鼻で笑う。

「聞きたいか? おっさんの戯れ言を」

 俺はゴソゴソとベッドに潜り込む。

「今聞かないと、もう聞くことはないと思う」

 彼の深いため息が、闇夜に響いた。

「そっか。まぁそれもそうだよな。……。俺は……、もう死のうかと思ってたんだ。こんな意味のない人生を送るなら。占い師が自分の未来を占うって、どういうことだか分かるだろ?」

「……。自分の死期をみること」

「そう。そうなんだ。俺は突然、自分の死ぬところが見たくなったんだ。お前と出会ったあの近くの橋の上でさ。ちょうどあの時、俺はそこで自分の最期を占ったんだ」

 ディータは、自分のカードで自分を占った。

このまま川に飛び込んで死ぬと出たら、本当にそのままそこで、死ぬつもりだった。

「そしたらさ、裏路地へ行けって出たんだ。すぐに分かったよ。その瞬間、強い魔法の気配を感じたからな。俺はそこに、運命の女神でも待ち構えているのかと思って、行ってみることにしたんだ」

 あのごちゃごちゃとした汚い路地裏で、俺たちは出会った。

「すんげー期待して行ったのにさ、居たのはお前みたいなクソガキで、がっかりだよ」

 そう言って、ディータはクスクスと笑う。

彼はもう一度寝返りをうつと、今度は背を向けた。

「それだけのことだ。何度も言ってんだろ。ただの暇潰しだって」

「死ぬつもりだったのか」

「あぁ、もういいだろ。寝言みたいなもんだ。さっさと寝ろ。明日はここを抜け出すぞ」

「……。どうやって?」

「それを考えながら寝るんだよ。難しいこと考えてたら、すぐに寝られるだろ」

 ディータの上着の内ポケットには、自分の魔力を封じ込めたカードが入っていることを、俺は知っている。

ディータの魔力はそれに分離して保管しているから、発動させなければここでも影響はないんだ。

「何もしないというのも、作戦の一つってこと?」

「当然だ」

 だけど、あの連中との仲の良さなら、彼らも知ってはいるのだろう。

それでもカードは没収しないのか、していないのか……。

「おい、寒くねぇか?」

「うん。大丈夫。ディータのとこのベッドより、ずっといい」

 ここは温かい。

誰かの魔法に包まれて眠るのも、悪いことではないのかもしれない。

見張られているんじゃなくて、見守られているんだ。

そんなことを、俺は生まれて初めて思っている。

それに何だかここは、懐かしい臭いがする。

昔訪れたことのある、よく知った城だからなのかもしれない……。
 朝になって、食事が運ばれてきた。

囚人用とはとても思えない、随分と豪華な朝食だ。

大きな銀のプレートに乗せて運ばれてきたそれには、肉に魚、フルーツに野菜類、小さなクッキーにプリンやゼリーまである。

取っ手のついた壺には、水の他にも五種類の飲み物が用意され、飲み放題だ。

俺はスライスされた三種類のパンの一つに、ハムとチーズを挟んだ。

焼いた肉の塊もきれいに切り分けられ並べられている。

テリーヌを遠慮なくむさぼるディータを、番兵たちは妬ましげに見ている。

「何だよ。お前ら飯は食ったのか?」

「仕事中だ」

「何なら一緒に食うか? 入って来いよ」

「それは無理だ」

「だったらせめて、こっちに来い。そっからじゃ手は届かねぇだろ」

 戸惑う番兵たちに、ディータは何でもないことのように言った。

「イェニーには、俺から言っておいてやるから」

 これらは全て、イェニー団長からの差し入れだそうだ。

なかなかに愛されている。

「ナバロ。食い終わったら作戦会議だぞ」

「なんの?」

「脱獄計画だよ」

 俺たちは牢獄の中にいて、檻の向こうにいる番兵二人と、一緒に飯を食っている。

「そうだよなぁ、番兵さん。入れられた牢からは、自力で脱出しないとなぁ」

「また団長が泣くぞ。いい加減諦めて、一緒になってくれ。俺たちのためにも」

「お前さえ犠牲になれば、他は全て上手くいく」

「俺は関係ねぇよ」

 ふわりと魔法の臭いが漂ってきた。

それに気づいたディータも顔を上げる。

モリーだ。

「まぁ! 私はこの団城における服務規範の徹底について、いま一度審議会にかけなくちゃいけないわ」

 そう言うと彼女はしゃがみ込み、檻の隙間からカボチャのパイを手に取った。

香ばしい焼き色のついたそれを、もしゃもしゃと食べ始める。

「あら、おいしいわね」

「主席魔道士さま自ら、何の用だ」

「ディータも食べた?」

「質問に答えろ」

「ふぅ。食べ終わるまでちょっと待ってよ。相変わらずせっかちね」

 モリーは最後の一口を食べ終わると、指についたパイクズを舐めている。

「今朝一番に、女の子がお城に乗り込んで来たの。黒髪のとってもかわいい魔道士よ。ディータ、あなたの知り合い?」

「残念だが、かわいい女の子の知り合いは多くてね。もちろん君もその一人だよモリー」

「ナバロの姉だと名乗ったわ」

「お前、姉さんがいたのか!」

「……。あぁ、まぁ、うん……」

 フィノーラか。

どうして追いかけて来た?

「もっと早く言えよ!」

「その様子だと、ディータも知らなかったみたいね」

 俺は骨付き肉を手に取った。

丁寧に一口大にカットされたそれには、何かのソースがかかっている。

随分クセのある味だが、悪くはない。

「ルーベンの正式な通行許可証を持っていたわ」

「なんだよ。だったら何の問題もないじゃないか。さっさとここから出せ」

「いま、イェニーが丁寧に取り調べているわ。あなたと彼女の関係について」

 ディータの手から、持っていたフォークがこぼれ落ちた。

盛大にため息をつく。

「またアイツか!」

 俺はもう一本の、違う骨付き肉に手を伸ばす。

うん。

これは香辛料がしっかりきいているうえに、肉自体にもクセがなく美味い。

「いま上は、すっごいピリピリしてるわよ。あんたは早くそっちに行って、何とかしてきなさいよ。いつものことじゃない」

 そう言いながらも、モリーは別のクッキーに手を伸ばす。

それを口の中に放り込むと、プレートに添えられていたナプキンで指先を拭った。

ディータは俺を振り返る。

「お前の姉ちゃんなんだろ? 一緒に行くか」

「あら、この子はダメよ、ディータ。あなたたち、中央議会から緊急通告が出てるって、知らなかったのね。とっても優秀な我がナルマナの聖騎士団は、手配書に描かかれた少年と、よく似た男の子を昨晩確保したわ」

 モリーはにっこりと微笑んだ。

「だから私が、今から取り調べをするの。お迎えに来たのよ。さ、行きましょ」

 差し出されたモリーの手を、ディータはパッと遮った。

「待て。どういうことだ」

「これはどれだけあんたが暴れても、イェニーに泣きついたってダメな話よ。ユファさまからのお達しだもの」

「ユファさまの?」

 大魔道士エルグリムだった俺を、倒した勇者スアレス。

それに予言と加護を与え、最大攻撃魔法を与えたのが、ユファだ。

当時は五歳程度だったと聞いている。

今頃は十七になるかならないかの占い師だ。

ディータは呆れたように首を振る。

「ライノルトの大賢者さまは、なんて言ってんだ?」

「ユファさまは、エルグリムの悪夢を見たそうよ」

 その言葉に、ディータはチラリと俺を見た。

一瞬目が合う。

「は? そりゃもう、とっくの昔に終わった話だろ」

「私たちにとってはね。だけど、エライ人たちはまだ、その存在を信じている。大魔王最期の地、グレティウスから遙か南西の方角に飛んだ魂は、そこで復活の時を待っているってね。どうもそれが、最近になって本当に蘇ったと考えてるみたい」

「面倒くせぇ年寄りどもだな。それで子供狩りとはね。頭大丈夫か」

「守りたいのよ。今の平和な時代をね。その気持ちは私も同じだから」

 モリーの緑灰色の目が、深く強く輝く。

「だからゴメンね。私にはあなたが、今後エルグリムのようになりうる脅威かどうか、確かめて報告しなければならない義務があるの。来てくれる?」

 俺はフウと一つため息をついてから、食べていたポテトパイのクズを払った。

どうせ拒否したくとも、出来ない話しだ。

だったら、さっさと済ませてしまった方がいい。

今後の手間が省ける。

「いいよ。いくらでも調べればいい。自分では手を下さず、他人に任せてその後ろに隠れているような連中に、何が出来る」

 俺は立ち上がると、彼女に手を差し出した。

「行こう」

「あら、カッコいい。こういう人間は、大人も子供も大好きよ」

 手を繋ぐ。

モリーはしっかりとそれを握り返した。

「さぁ、行きましょう。椅子に座っているだけの、簡単なお仕事だから」

 モリーと檻をくぐる。

この地下牢に張られた結界の強さは、ただ捕らえられた囚人を拘束するためのものではないようだ。

「俺も行く」

 ディータも立ち上がった。

「ナバロが本当にエルグリムの生まれ変わりとなる存在なのか、確かめたい」

「あら」

 モリーが振り返った。

「あなたはそんなこと言ってる余裕、ないと思うわよ」

 地下牢へと下る階段を、一人の聖剣士が駆け下りてきた。

「ディータ! 上で団長と、お前の知り合いだという女性が揉めている。何とかしろ!」

「知るか! お前らでカタをつけろ。俺はナバロの方に……」

 その男はディータの胸ぐらを掴むと、思い切り引き寄せた。

「もうキーガンでは抑えられなくなってるんだよ。オマエが来い」

「だからなんで俺が、いつもアレの相手をしないといけないんだ」

 もみ合う二人に、モリーはヒラヒラと手を振った。

「じゃ、そういうことで。よろしくね」

 ディータはまだ何かを叫んでいたが、この城の結界とモリーの魔法のせいで、抵抗が出来ない。

階段を上がる俺たちの後ろを、聖剣士の男にそのまま引きずられていく。

「私たちはこっちよ」

 廊下に出たところで、俺たちは二つに分かれた。

彼女の白く細い手に引かれ、赤い絨毯の上をゆっくりと歩いてゆく。

彼女の灰色の真っ直ぐな髪がサラリと流れた。

繋いだ手に導かれるまま、城の外へ出る。

小さな庭の緑の芝は、朝日にキラキラと輝いていた。

狭い庭をぐるりと囲む高い城壁からは、空しか見えない。

ここは、ナルマナ聖騎士団の団城だ。

あちこちに武器や、呪いのかけられた道具が並べられている。

不意に、城門付近で爆発音が起こった。

振り返ると、団員たちは続々とそちらに集まっている。

「向こうは、あなたを助けにきたお姉さんの相手で精一杯よ。イェニーが疑ってるの。お姉さんとディータが付き合ってんじゃないかって。本当にバカよねぇ。ここにこんないい女がいるってのに。私には見向きもしないのよ、イェニーったら」

 一旦庭に出たモリーは、再び南に位置した門から城内に入る。

「だから、邪魔が入らないうちに、さっさと済まそうと思って。そうすればあなたもお姉さんも、早く帰れるか一緒に捕まるか、はっきりするもの」

 ここは魔法の臭いも剣士の臭いも、強すぎるそれぞれら全てが混ざりあって、息が苦しい。

「怖がることはないわ。ライノルトにある中央議会の、大賢者ユファさまの予言よ。間違えっこないですもの。あなたがそうじゃないってことを、ただ証明するだけ」

 二人きりで通された部屋は、実に簡素な部屋だった。

テーブルに椅子、それと向かい合うように、一脚の椅子が置かれている。

シンプルな白木に青に濃く染められた皮が張られた、どこにでもあるような椅子だ。

「そこに座って」

 モリーの手が離れた。

強い結界が張られたこの部屋では、体が動かせない。

呪文を唱えようにも、声すら出せない。

俺は白い椅子をにらみつけた。

「そうよ。それは呪いの椅子。分かってて座るのは、怖いわよね。だけど、それに座る前からそうと気がつくなんて、そんな子は初めてよ。やっぱりあなたは、ちょっと違うみたい」

 モリーは向かいのテーブルに座った。

そこに置かれてあった書類を手に取る。

「魔法は使えないわよ。地下で散々味わったでしょ。自分の足で歩くのよ」

 深い濃く緑灰色の目は、それなりの訓練を受け、しっかりと魔力を貯め込んだ者の目だ。

ここの主席魔道士というのも、うなずける。

その自信も、ハッタリなどではないのだろう。

俺はゆっくりと片足を動かす。

生身のこの体に宿る十一歳の筋肉だけを使っても、動けないわけではないのだ。

「そうよ。上手上手」

 モリーの視線は、手元の書類に向いたままだ。

床にはべったりと魔方陣が書かれている。

見えないように小細工しているつもりだろうが、俺には分かる。

そこから椅子を引き寄せようとしても、この位置から動かせないのは、コイツのせいだ。
「カズ村の出身なのね。ルーベンの領主預かりになってる。この歳でお抱えの魔道士として、採用されたってことかしら?」

「さぁ」

 俺はその、白く簡素な椅子に腰掛ける。

女はようやく顔を上げた。

「本当に。あなたの目は、きれいな魔法の色ね。さ、始めましょう」

 その瞬間、椅子にかけられた呪いが発動した。

いつもは自分の意志で動かす魔法石の力が、ぐるぐると呪いにかき乱される。

俺の意志とは無関係に、それが全身を駆け巡る。

頭痛と吐き気と、めまいが襲ってきた。

「くっ……。あ……」

「分かってると思うけど、叫んでも助けは来ないわよ。ディータもお姉さんも、いま大変でしょうから」

 俺にとっては血液ともいえる魔力が、全身を駆け巡る。

心臓は脈打ち、汗が噴き出す。

体が熱い。

「血縁はないお姉さんと旅をしているのね。彼女の名前はフィノーラ。このルーベンの通行手形は散々調べたみたいだけど、本物に間違いないという結論が出ているわ」

 彼女はにっこりと笑みを浮かべた。

「どうやって手に入れたの?」

「さぁ……ね……」

「魔道士二人組の行く先といえば、やっぱりグレティウスかしら?」

「違うと言ったら?」

「フフ。ナバロは私が怖くないのね」

 コイツらの目的は、俺の魔力とその能力を見極めることだ。

それだけのことに、なにを恐れる必要がある。

いままでも何度も審査にかけられ、その全てをクリアしてきた。

モリーはテーブルに肘をつくと、じっと見下ろす。

「ねぇナバロ。ここに来た子供たちは、みんなお利口さんに決まった返事を返すわ。『お父さんとお母さんが大好きです。学校は楽しいです。友達も沢山います』って。ブルブル震えながらね、教えられた通りの言葉を話すの。『自分はこの大切な世界を、絶対に変えることはありません。将来は、聖騎士団に入れるくらいの凄い魔道士になりたいです』ってね。だけど私が本当に知りたいのは、そういうことじゃないの」

 魔力によって無理矢理開かれていた血管が、今度は末端から強引に閉じられてゆく。

体が内側から搾り取られている。

視界がぼやけ始めた。

突然の恐ろしいほどの寒さに、手足が震えだす。

少しでも動いたら、頭から床に転げ落ちそうだ。

「あなたはいま、どれくらい魔力を体内に貯めてる? これから先、どれくらいそれを拡大出来そう? そしてその能力を、何に使うつもりかしら?」

「エ……エルグリムの、生まれ変わりを探してるんじゃないのか?」

 思考が支配されている。

質問に対して、それだけに答えるよう、口が勝手に動き出す。

「君はエルグリムの生まれ変わりなの?」

「違う。ぜ……絶対に、違うって……答える……」

 モリーは、ふぅと退屈そうにため息をついた。

「かの大魔道士は、本当に生まれ変わりに成功したと思う?」

 舌が回らない。

口を動かすのに、こんな辛い思いをしたことなんて、ない。

「は……、し、知るかよ……」

 どうやって、この魔方陣から抜けだそう。

体内から奪われる魔力で、ここに吸い付けられているんだ。

その力が強ければ強いほど動けない。

どのタイミングで振り払う? 

全身にじっとりと汗が流れた。

「はや……く、この、くだら……ない、呪いを……解け」

「ふふ。自ら魔法の椅子に座っておいて、何を言ってるのかしら。試されに来たのでしょう?」

「こ、こんな……こと。ここ……に、連れてこられた……子供、全員……に、やってるのか」

「んん? そうね。これはキミだけ特別……、かな?」

 魔道士モリーは、にっこりと笑みを浮かべた。

「まだしゃべれるなんて、凄いわね。さぁ、そろそろ抵抗するなら抵抗しないと、もう二度と魔法を使えなくなるかもしれないわよ」

 吸い取られた魔力が可視化されている。

ぐるぐると渦を巻きながら、俺の頭上で球体を形作り始めた。

「なぜ……、こ、ここまでする?」

「ナバロは中央議会が、本当にエルグリムの生まれ変わりを信じてると思う? 私はそうだとは思わないわ。あなたのような、今後脅威となるような潜在能力の高い魔道士を、子供の時から把握し、飼い慣らすためじゃないかと思ってるの。一種のスカウト的な? まぁ、悪い芽は先に摘んでおいて、損はないじゃない?」

 体内の魔力が、高速で吸いあげられてゆく。

このままでは、自力で呪いを解くことも難しくなる。

「ふふ。さすがね。ルーベンの領主に、かわいがられるだけのことはあるわ。貯め込んだ魔力は底なしかしら? このまま封じ込めちゃうのも、もったいないわね。私とのパワーバランスが変わったの、分かるでしょ」

 吸われた魔力を本人から切り離し、吸収すれば自分のものになる。

魔道士なら誰もが欲しがる力の塊が、俺の頭上で渦を巻いている。

「素敵。このまま食べちゃいたいくらい」

 今までに何度も、こういった身体検査は受けてきた。

魔法石の力を吸収できる体質の子供なら、誰だってそうだ。

それでも、こんな屈辱的で過酷な試験は初めてだ。

他の子供もみんな、ここではこんな目にあわされてるのか? 

これは審査なんかじゃない、拷問だ。

「子供の魔道士って、大好きよ。みんな、まだまだとっても大人しくて、従順なんだもの。素直に言うこときいて、それなのに能力は大人並み」

 彼女は大きく息を吐き出すと、そのまま頬杖をついた。

「ね、どうしたらエルグリムみたいな、凄い大魔王になれるのかしら」

 吸われ続ける魔力に、座っていることすら難しくなった。

ガクリと姿勢が崩れる。

脂汗が留まることなく流れ続けている。

それでも椅子から転げ落ちないのは、この椅子にかけられた呪いのせいだ。

意識が混濁している。

口から泡が吹き出す。

「ようやく尋問の準備が出来たようね。随分待たされたわ。ルーベンからここまで、どうやって来たの?」

「さ……山中を歩いて……」

「あの女の子と?」

 歯を食いしばる。

これ以上魔力を吸い取られたら、本当に意識が飛ぶ。

言わなくていいことまで、しゃべらされてしまう。

「どうしてお姉さんとはぐれたの? ディータとはどこで知り合った?」

「街で……絡まれた時に……」

「そう、助けてもらったのね」

 モリーはクスクスと笑う。

「ディータは、あぁ見えて優しいから。これからどこへ行くの? やっぱりグレティウス?」

 足元から何かが上がってくる。

血管が順番に締め付けられる。

魔力が吸い上げられている。

「ま……、魔道士が……。グレティウスを目指して……、何が悪い……」

「あなたも『悪夢』がお目当て? だけど、エルグリムの残した悪夢は、きっととっても巨大なものよ。想像もつかないわ。それを誰かが手に入れたとして、私には扱える人がいるとは、到底思えないのよね」

『……。か……、ぐ……』

 呪文を唱える。

今ならまだ、この椅子を壊せる。

「あら? こんな状態でも、まだそんな元気があるのね。素晴らしいわ」

 モリーが呪文を唱える。

吸い上げる力の速度が増した。

頭上に渦巻くの緑の球は、ぐるぐるとその勢いを増す。

「い……、いいぞ……。このまま……」

「何を言っているのナバ……。ん? ちょ……、ちょっと待って!」

 膨れ上がる力の根源が、呪いの力を凌駕した。

吸い上げられた魔力は一気に膨れ上がり、轟音を上げる。

この椅子では支えきれなくなった力に、ついにそれは破裂した。

「ど、どういうことなの!」

 奪われた力を一気に取り戻す。

堰を切ったようにあふれ出したそれは、俺の体を通して呪いの椅子に逆流していく。

立ち上がった。

その瞬間、呪いの椅子は砕け散る。

「なによそれ! こんなこと、絶対にありえないわ!」

「俺のもつ魔力の方が、この椅子の許容量より大きかったってことだ」

 顎を伝う汗を拭う。

こんなケチ臭いやり方で、計れるわけがない。

「待ちなさい。ここまでよ!」

 モリーの攻撃魔法。

鋭い氷の刃が、何本も飛び交い突き刺さる。

まずはこの魔方陣を崩す。

話しはそれからだ。

『この地に描かれし呪いの証よ。解放されるときが来た!』

 それだけで、白い床石に描かれた白い文字は、徐々にかすれその形を崩し変化してゆく。

「ちょっと、どういうつもり!」

 モリーは呪文を唱える。

この俺に抵抗するつもりか? 

ここに来る前に、魔力を解放しておいたのは正解だった。

俺は壁に向かって手をかざす。

「狭いところは、嫌いなんだ」

 モリーの攻撃魔法。

はね返されたその衝撃で、結界で守られていた壁が、ボロボロと崩れだす。

外の空気が流れ込んできた。

「それ私の魔法!」

 かけられた魔法を解くには、施術者のものを使うのが一番だ。

「こんな結界だらけの城内で戦おうなんて、フェアじゃないだろ? お前たちこそ、なにを恐れている?」

 胸の前で印を結ぶ。

これは強力な魔法だ。

『ここに留められしものたちよ、自らの元へ帰れ!』

 ドンッ! 

不意に、玄関ホールから盛大な爆発音が聞こえてきた。

「あっちはなに!」

「あぁ……」

 フィノーラだ。

この城はそもそも、俺が造らせた城なんだから、本当はもうちょっと大事にしてほしい。

俺もたったいま自分で壁を壊したばかりで、こんなこと言うのも、なんなんだけど……。

入り口からディータが飛び込んで来た。

「ナバロ! 無事だったか!」

「ディータ! あんたも一体、どういうつもりよ!」

 モリーの氷結魔法。

複数のつららが、ディータの足元に打ち込まれる。

「今度こそ抜け出すぞ!」

 ディータの呪文。

火柱が上がった。

「なんだ。普通の魔法も普通に使えたんだ」

 まぁ使い魔だなんて高等魔法を使ってるんだ。

考えてみれば当たり前か。

「あの姉ぇちゃんはどうする?」

「俺には関係ない」

 モリーは氷の壁を張り巡らせる。

俺たちを閉じ込めるつもりだ。

ディータは再びそれを、炎で焼いた。

蒸気が巻き上がる。

ちょうどいい煙幕が出来た。

「ディータ! あんたもいい加減にしなさい!」

「悪いな、モリー。だけど俺には、もう止められねぇんだわ」

 呪文を唱えようとして、モリーは思いとどまった。

歯をむき出しにして、俺をにらみつける。

「フッ。あぁ、やっぱりあんたは賢いね。この部屋じゃもう魔法は使えない。魔方陣がちゃんと読めるんだね」

「だって、これを描いたのは私だもの」

「そうか。なるほどね。だとしたら、もっと頑張らないと」

 壁を崩したおかげで、この城の結界は壊された。

俺のかけた魔法が、徐々にその全体を崩してゆくだろう。

書き換えられた魔方陣は、元の主のところへ帰ってゆく。

「ここで奪った数多くの魔力が、元の持ち主に返される。どれくらい他の魔道士たちに、こんなことしたのか知らないけど」

 自分の分は取り返した。

まぁ、そもそも奪われてもなかったんだけど。

「ここにあるのは、エルグリムの悪夢じゃなくて、ナルマナの悪夢だ」

「ふん。あんたの描いた魔方陣を解けばいいだけよ」

 それはそうだけど、壊れたこの城の結界は、簡単には戻らない。

積み上げられた魔法が多ければ多いほど、崩れ始めたものを元に戻すのは難しい。

「あぁ、ヘタに動かない方がいいよ。分かってると思うけど。自分の体で動くんだ」

 モリーは腕を上げた。

その動きがピタリと止まる。

「まぁ、頑張って。この部屋から出られるならね。壁に穴は開けておいたから、すぐだろうけどね」

「この団城の結界を壊すと、恐ろしいことが起こるわよ」

「そんなことはないさ。長い呪いが解かれるだけ」

「ここは魔法で守られた城。その意味が、あんたたちには分かるでしょ」

 モリーは動けない。

城壁が壊れたことで、この城の結界がほころび始めている。

それは俺がここにいることも……。

ディータが俺を見下ろした。

「ナバロ。もう行こう。こっちだ」

 その言葉に、俺はうなずく。

過去に囚われた土地に、もう用はない。

廊下へ飛び出す。

ディータと並んで走り出した。
「あの姉ぇちゃんも助けてやれ。知り合いなんだろ? 俺が援護する。お前を助けに来てくれたんだ」

 行く手には聖騎士団の剣士と魔道士たちが、山ほど待ち構えている。

俺は呪文を唱えた。

『いまこの瞬間に我に向かうものよ、全て地に帰れ』

 抜かれた剣や槍は、ピタリと床に張り付いた。

放たれた聖魔道士たちの呪文も、大地に向かって吸い込まれる。

ディータの呪文。

その火球は、団員たちを襲った。

「やめろよ、城が燃える」

「そう簡単には壊れねぇよ」

「違う。俺の城なの」

 ロビーに出た。

フィノーラが暴れ倒したのか、あちこちが破壊されている。

彼女の動きを抑えるための結界が張られ、その中でキーガンとイェニーは剣を抜いていた。

キーガンの吸魔の剣は、すでにフィノーラの魔力を吸い尽くしている。

「ナバロ。助けに来たわよ!」

 いや。

どっちかっていうとこの場合、俺たちが助けに来たんだけど……。

「ほらやっぱり。私と一緒にいて通行許可証がないと、捕まるんじゃない!」

 肩で息をしている。

立っているのもやっとなのだろう。

心なしか涙目のようにも見える。

誰にやられた? 

キーガンとイェニーの視線が、俺に向けられる。

「モリーは? もう審査は終わったのか」

 キーガンは、フィノーラに向かって構えていた魔剣を下ろした。

「終わったよ。問題なしだ。姉さんと通行許可証を返してもらおう」

 イェニーはディータに視線を移す。

彼はウンとうなずいた。

「そうか! ならば何の問題もない」

 イェニーはうれしそうに、その紙を差し出す。

フィノーラはそれを受け取った。

ヘナヘナとその場に座り込む。

「……。もう。ホントどこ行ってたのよ。めちゃくちゃ探したんだから……」

 白く細い腕で、自分より幼い、十一歳の俺を抱きしめる。

「お願い。私の側から離れないで……」

「まだ動ける?」

「なんとか」

 回された彼女の腕を解く。

俺が気に入らないのは、すっかり姿を変えられてしまったこの城と、聖騎士団どもの臭いだ。

チラリと外を確認する。

城内の、半壊した正門と高い壁の向こうに、わずかに空が見えた。

「自分たちの結界の中で、ぬくぬくと守られているだけの連中とは、怠慢極まりないな」

 まぁ団長が、全く魔法の使えない剣士だから、仕方ないのか。

俺はその隙間を縫うように垣間見える、わずかな空に向かって手を伸ばす。

「一度、この結界のありがたみを、嫌と言うほど味わってみるといい!」

 真っ直ぐに伸びた光りが、結界の壁にぶち当たる。

それは城全体を覆い尽くすしていた結界に沿ってドーム状に広がり、緑に輝いた。

『古の呪いを解きほぐせ! この地に再び自由を!』

 ゆっくりと、だが確実に、結界の強度が弱まっていく。

溶けるように消えていく光に、体が軽くなった。

大地が揺れる。

その轟に、俺はもう一度叫んだ。

『我らが根城を取り戻せ!』

 幾重にもわたってかけられた、古い古い魔法。

その結界が、徐々に溶け始める。

魔道士たちは血相を変え、結界を維持する呪文を唱え始めた。

「そうはさせるか!」

 一気に魔道士どもをなぎ払う。

吹き荒れた一陣の風は、玄関ホールごと全てを吹き飛ばした。

「ナバロ!」

「魔力が少し戻ってきたわ!」

 ディータとフィノーラが駆け寄る。

「ここから出るぞ」

「了解!」

 フィノーラの攻撃魔法。

その衝撃波はザコどもをなぎ倒し、次々と壁に穴を空ける。

ディータはカードを取り出した。

「やっぱり派手な姉ぇちゃんだなぁ」

「フィノーラ! あんまり城は壊さないで!」

「どうしてよ。そんなの無理!」

 歯向かう魔道士たちの呪文は、全て俺のマジックバリアではね返す。

風を起こし、足元をなぎ払い、決して結界修復の呪文は唱えさせない。

かかってくる剣士たちの相手は、ディータが引き受けた。

飛び出した無数の獣や虫たちを操り、応戦している。

不意に、目の前を黒染め剣が横切った。

「なるほど。確かにお前たちの腕は確かなようだ」

 キーガンだ。

俺の五倍はある巨体を見上げる。

「だけどな、少年。いくら正式な書類があっても、俺たちがここを通さないと決めたら、それは通れないんだよ」

 振り下ろされた吸魔の剣が、マジックバリアをたたき割る。

「残念だが、俺たち剣士は結界がなくても、動けるんだ。そんなもんに守られてなくても、能力は変わらないんでね」

 爆発音。

フィノーラの全くコントロールの効かない衝撃波が、天上に当たって破裂した。

崩れた石の破片が、バラバラと降りかかる。

「やれやれ。あのお嬢ちゃんも、元気を取り戻したのか」

 四角く表情の少ない顔が、うんざりと眉根を寄せた。

真っ青な団服に身を包んだイェニーは、その剣を抜く。

「キーガン。あの子とこの子と、どっちがいい?」

「じゃあ、黒髪の元気な嬢ちゃんとディータで。子供の相手はやりにくい」

「怪我はさせるなよ」

「……。善処します」

 吹き上がる爆風で、イェニーの赤く波打つ長い髪が舞い上がる。

「さて。モリーはどうした。君の審査をしていたはずだけど?」

 呪文を唱える。

この剣士に魔法は通じない。

「モリーは強いね。頭がいいし、勘もいい。彼女の魔力は、どこから来てる?」

「私に聞かないでくれ。分かるわけがない」

 手の平で空気の渦を作る。

それは丸い弾となり、弾け飛んだ。

無数の弾丸が、イェニーに向かう。

「君も魔道士なら、やはりエルグリムの悪夢を?」

「そうだ」

 動きが速い。

俺の意のままに動くそれをすり抜け、さらに剣で切り裂く。

十二個あったその球を、もう二つも切り裂いた。

「聖騎士団に入ればいい。ルーベンの領主に、そう誘われたんじゃないのか?」

「お前らのことは嫌いだ」

「どうして?」

 振り下ろされる剣に、さっと飛び退く。

この女、まともに俺と戦う気がない。

振り回す切っ先は、俺が避けようと避けまいと、鼻先をかすめるか、肌に当てる程度のものだ。

「どうして俺の力を認めようとしない。なぜ人の話を聞かない」

「それをモリーは、聞こうとしていたんじゃないのか?」

「あれは拷問だ」

 爆発音。

フィノーラの誤爆だ。

それをキーガンは楽々と避ける。

だけどあっちはディータの居る分、彼らの本気度は高い。

衝撃で正門が半壊している。

外が丸見えだ。

「あぁ、あまり城を壊さないでほしいな。外に出よう」

 そう言ったイェニーの手が、俺の襟を背後から掴んだ。

「なっ、いつの間に!」

 その声に、フィノーラとディータが振り返る。

「ナバロ!」

「イェニー! その手を放せ!」

 彼女は腕一本の力だけで、俺を投げ飛ばした。

呪文を唱えようにも間に合わない。

そのまま野外に叩きつけられる。

「まぁ気が済むまでやればいいさ。子供には時には、そんなことも必要だ」

 イェニーの鋭利な剣先が振り下ろされる。

俺はゴロリと横に転がった。

「はは。上手いじゃないか」

 溶け出していた結界が、再び盛り返している。

モリーとここの魔道士たちの仕業だ。

俺は起き上がると、塞がれる寸前の空に向かって手を伸ばした。

『力よ、我の元へ集え!』

 稲妻が走る。

それは呼び寄せた魔力の塊だ。

この未熟な体に収まりきらない力を、ここに集結させる。 

俺はその全てを、この城の地下に向かって叩き込んだ。

『大地を揺るがせ。もう二度と、何者にも囚われるな!』

「ナバロ、何をした!」

 城と、その敷地である全ての輪郭が白く浮き上がる。

膨れ上がったその光りは、一度吸収されたかと思うと、すぐに炸裂した。

「なんだ! これは?」

 無数の、本当に無数の光りが、足元の大地から湧き上がる。

白く透けるその儚い影は、魂の欠片だ。

人骨にドラゴン、牙を生やした猛獣たち。

怪鳥は羽ばたき、二つ首の犬の群れが駆け抜ける。

この地下に埋められ、封印されたモンスターたちの屍が、その呪縛から解き放たれ、天に還ってゆく。

声にならない雄叫びが、辺り一帯に響き渡った。

「イ……、イェニー。団城の封印が……解かれてしまったわ……」

 モリーだ。

それを守ろうと力を使い果たし、足元がふらついている。

「モリー!」

 崩れ落ちる彼女を、イェニーは抱き留めた。

「復活するわ。何もかもよ。解かれた封印は、私にはすぐに戻せない。死者の魂を留め続けた、古の呪文が……」

 灰色の魔女は、ガクリと片膝をつく。

それを見届けた俺も、次第に朦朧としてくる。

「ナバロ!」

 力を使い果たし、倒れた俺を支えたのは、フィノーラだった。

「だから、アンタは無茶しすぎ!」

 俺はうっすらと目を開ける。

未だ大地から上り行く、無数の魂の影を見る。

それは絶え間なく地下から湧き上がり、空へと消えて行く。

あぁ、これはみんな、ここで死んだものたちだ。

この地に埋められ閉じ込められたたまま、ずっと眠っていたんだ。

かつて俺と共に戦い、敗れ去った仲間たち……。

ずっとここで、解放される時を待っていたんだ……。

ディータはフィノーラにささやく。

「おい、ナバロを抱いて走れるか?」

「走れなくても、走るわよ」

「よし。ここを出るぞ。街を出る街道まで行こう」

 力を使い果たし、動けなくなった俺をフィノーラは抱き上げた。

「こっちだ」

 瓦礫の山を越え、駆け出そうとする俺たちの前に、キーガンが立ち塞がった。

「おっと。そう簡単には行かせられないな」

 吸魔の剣を鞘に収めたまま、真横に振る。

ディータの肘が、それを受け止めた。

カードの一枚を、キーガンの足元に滑り込ませる。

『伸びた蔓よ、剣士の足をつなぎ止めろ』

 次の瞬間、赤黒く伸びる魔法の蔓が、キーガンに絡みつく。

「お前の手品も、ちゃんと動くようになったのか? ならもう遠慮はいらないな」

 キーガンは剣を抜いた。

黒い剣を足元に突き立てると、それは瞬く間に姿を消した。

カードが二つに割れている。

キーガンはその剣を構え直した。

「さぁ、これ以上、手間をかけさせるな。一体これで何度目だ? 大人しく捕まっていた方が早く解放されるってのが、まだ分からないか」

 素早いその一振りに、ディータは飛び退く。

フィノーラは俺を抱いたまま、パッと走り出した。

イェニーはそれに併走する。

「どこへ行こうというのだ? そんなに急がずとも、普通に歩いて行けばいいのに。通行許可証も返しただろう?」

 すぐにキーガンが立ち塞がる。

「だめですよ団長。この子は普通じゃない」

「普通じゃないと、何が駄目なんだ?」

「中央議会から通達があったでしょ、エルグリムが復活してるって」

「それがこの子だと言うのか? 本当に? そんな風には見えないけどな」

 フィノーラの腕に抱かれ、動けない俺をのぞき込み、彼女はニヤリと笑った。

フィノーラは周囲を見渡す。

俺は残った力を総動員し、この城の魔道士たちが再び強固な結界を張ろうとするのを、阻止し続けている。

「モリーが苦戦するなんて、ただ者じゃないですよ」

「そうか。朝の二度寝の時間が来たのかと思った」

「だったらいいんですけどね」

 ディータは腰の短剣を抜いた。

それをキーガンに叩きつける。

刃と刃が重なりあった。

「おっと。お前が剣を抜くなんて珍しいな」

「素直に通してくれんなら、こんな苦労もいらねぇんだけどな」

 慌てたイェニーが、割って入る。

「ディータ! どこに行くんだ? やっぱりグレティウスなのか?」

「そうだよ!」

「いつ戻ってくる?」

「もう戻らねぇ!」

 ディータの剣は、キーガンの魔剣を弾いた。

「今度こそ本当にお別れだ。イェニー。俺はもう、ここには帰らない」

 イェニーの動きが、ピタリと止まる。

燃えるような赤髪の、その前髪が揺れた。