「……。グレティウス……」

「! ねぇ、あんたってまさか……」

 扉が開いた。

イバンが入ってくる。

「診察の時間だ。フィノーラ、席を外してくれ」

 舌打ちと共に、彼女は出て行った。

ソファに座り直した俺を、イバンは見下ろす。

「随分、楽になったようだな」

 頭に手を置くと、ぐしゃぐしゃと髪をかき乱した。

クソッ。

とにかく俺は、こういう遠慮のない男が苦手だ!

「やめろ! 俺にそんなことをするな!」

「はは、何だよ。照れるなよ」

 バカにしてるのか? 

冗談じゃない。

こんなことをされて黙っていられるか! 

その手を振り払う。

にらみ上げたイバンの後ろで、見慣れぬ男が笑った。

「はは。元気を取り戻したのなら、何よりです。私の術が、よく効いたようだな。よかった」

 緑の目。随分と深い緑だ。

その魔道士は、持参した小箱をテーブルに置いた。

箱のなかは小さくいくつにも区切られ、様々な種類の魔法石と薬草、それらを擦り合わせる乳鉢と乳棒なんかが入っている。

「魔道士同士が顔を合わせると、ロクなことにならないからな。俺も同席させてもらうぞ」

「こんなおっさん連れてきて、どうするつもりだ」

「ほら、体をみてやろう。そのうえで、呪文の種類と魔法石の調合を整えてやる」

 男は白髪交じりの長い髪を、後ろで一つに束ねていた。

「お前がビビも診てるのか?」

「そうだよ」

「ルーベンで一番の医術者だ」

 ヤブ医者は両手を俺の肩に乗せると、視線を合わせた。

実に稚拙な呪文を唱え始める。

「魔道士でありながら、医術くらいしか使えないのか」

 それを無視して呪文を唱え続ける男の顔に、次第に困惑の表情が浮かぶ。

診察中の医者の代わりに、イバンが答えた。

「世の中には、様々な魔道士がいる。こちらの先生は専門の道を選び、それを極めようとする方だ。そういった選択をするのは、悪いことではない。ナバロ、お前は将来、どんな魔道士になりたいんだ?」

「世界最強」

「はは。ようやく子供らしい、まともなことを言えたな」

 イバンはニコリと、呑気な表情を浮かべた。

「ではここで、俺と一緒にそれを学ぼう。お前もきっと、立派な魔道士になれる」

 肩に乗せられた、ヤブ医者の手は震え始めた。

気づけば、顔は真っ青だ。

俺はフンと鼻を鳴らす。

「おい、ヤブ医者。どうかしたのか?」

「こ……、これは……お前が……? どうやって……」

「ん? どうした。何をそんなにビビってる?」

 バカにしたような俺の言い方に、イバンはのぞき込む。

「先生? どうかしたのですか」

 俺は乗せられた医者の手を、払い落とした。

「なんでもないってよ」

 彼はまだ、硬直してその場から動けない。

俺の魔法が理解出来るなら、まぁそれなりに、確かな腕はあるようだ。

「ねぇ、お腹空いた。ご飯はまだ?」

 日はまだ、てっぺんまで昇りきっていない。

「もう食事して大丈夫なのか?」

「いいってよ! イバン、食堂まで案内して」

 俺は部屋を出て行く。

廊下に出ると、すぐ後からイバンはついてきた。

「食事がすんだら、どうする?」

 そう言った彼を、俺はニコリと微笑んで見上げる。

「剣の練習がしたいな」

「ほう。それはいい心がけだ。ふふ。俺に頼んだことを、後で後悔するなよ」

 そう言って、イバンは嬉しそうに笑った。

聖剣士から直々に剣術を教えて貰えるのは、ありがたい話しだ。

簡単な食事を終え、イバンの支度が調ったところで、俺たちは館の中央にある芝生の庭に出た。

ビビとフィノーラはすぐ脇にテーブルを出し、お茶を飲んでいる。

レンガの壁に立てかけられた、

剣の一本を手に取った。

「それが聖剣だ。本来なら、聖騎士団に入団しないと、触れられない剣だぞ」

 長くて重い。

少し振り回しただけで、ふらつく。

それを見たイバンは、別の剣を取りだした。

「やはり、もう少し短くて軽いのにしよう。お前用にと思って、用意しておいたんだ」

 イバンは俺に、剣を教えるのがうれしくて、仕方ないらしい。

「魔術もいいが、まずは体力だ」

 渡された剣を受け取る。

大人用の剣の、半分程度の大きさだ。

なるほどこれなら、長さも重さも丁度いい。

「聖騎士団、予備隊の剣だ。お前ぐらいの歳なら、入隊していてもおかしくない」

 イバンは自分の長剣を構えた。

俺はそれを、見よう見まねで構える。

「聖剣って、こんなに本数があるものなのか?」

「エルグリムを倒した英雄、スアレスの握っていた剣と、同じ製法で作られたものを、今ではそう呼んでいる。ちまたに出回っているものには偽物も多いが、ここにあるのは大賢者ユファさまの祝福を受けた、本物だぞ」

 イバンは剣を振り下ろす。

俺はそれに平行した状態で、同じように剣を振った。

「スアレスがエルグリムを倒した時には、聖剣は強力な魔法を帯びていた。祝福を受けているというわりには、何も感じないけどね」

 こんな、雑な剣などではなかった。

アレの剣は、こんなものじゃない。

「はは。よく知ってるな。スアレスの聖剣は、今は失われて、本当のところ、今どうなっているのかは、分かっていない。最期に勇者の使った魔法も、語り継がれているだけのものだ」

「仲間が生き残っていただろう」

「今はもう、全員が隠居されている」

 ビビとフィノーラは、ポットから新しいお茶をカップに注いだ。

「スアレスは、剣術にも魔術にも長けた勇者だった。俺は魔術も多少使えるが、魔力を蓄積出来る体質ではない。英雄にはなれない」

 イバンが剣を振る。

俺は見よう見まねで、その剣を振るう。

「魔術は努力ではどうにもならないが、剣術なら習うことが出来る。努力さえすれば、ある程度は見られるようになる。お前なら、スアレスの再来と言われるくらいにまで、なれるかもしれないな」

 イバンは得意げに、ニッと笑って俺を見下ろす。

そうでも言っておけば、やる気になると思っているのだろうか。

俺は剣を振るいながらも、内心で深くため息をつく。

エルグリムは体が弱かったわけではないが、痩せ細り体力はなかった。

誰かにこうやって、何かを教えられたこともない。

こんな立派な剣になど、触れることすら許されなかった。

「俺が剣術を習うのは、習ったことがないからだ。それに、魔力を蓄えられるのは生まれ持った体質でも、使いこなすには努力が必要だよ」

「もちろんだ」

 イバンが振りの型を変える。

俺もそれに合わせて、腕を動かす。

「だからこそ勇者には、仲間が必要だった。勇者スアレスだけが今はたたえられているが、一緒に旅をした仲間たちの協力があってこそ、魔王を倒せた」

 剣の振りが複雑になった。

腕の振りに合わせて、足を動かすのが、意外と難しい。

流れるような剣さばきに、もう体はついていけない。

「エルグリムの悪夢のことは、もちろん知っているだろう?」

 イバンの振りが、さらにスピードを上げる。

俺は諦めて、剣を下ろした。

イバンはそれに構うことなく、聖剣を振り続ける。

「私に言わせれば、あんなものはただの伝説だ。一種の昔話に過ぎない。一度倒されたエルグリムの亡霊になぞ、もう我々が怯える必要はない。だが本当に恐ろしいのは、そのエルグリムが残した『悪夢』だ」

 スアレスは死んだ。

イバンの明るく澄んだライトブルーの瞳が、じっと俺をのぞき込む。

俺はその目を、しっかりと見返した。

「ナバロ。お前の目は、とても変わった色をしているな」

「魔法使いの目でしょ。よく言われるんだ」

 碧を含む深い緑の目が、色鮮やかに光り輝く。

この目を称える詩がいくつも作られ、人々を恐怖におとしめてきた。

「お前は、本当にエルグリムの生まれ変わりでは、ないのだな」

「……。当たり前だろ」

 そんなこと、誰にも知られるわけにはいかない。

まだ早い。

全てを呼び覚ます魔法をかけ損ねたいまでは、なおさらだ。

俺はわざとらしく、盛大にため息をついた。

「あのさぁ、それでもし本当に俺が、その生まれ変わりだとして、ここで『うん』って言うと思う?」

「お前がいくら嘘をついても、その目だけは誤魔化すことは出来ない」

 今の俺が持つこの目は、魔力を蓄えたくとも蓄えきれない深い海に、ようやく落ちたひとしずくの雨粒からなる海の色だ。

「俺は強い魔道士になるよ。当然だ。せっかく魔力を扱える体に生まれたんだ。どうしてそうなることを望まない?」

「お前も欲しいか、『エルグリムの悪夢』を」

 イバンは再び、剣を振るい始める。

力強いその動きに、汗が飛び散る。

「ルーベンには昔から、蘇ったエルグリムが現れるのは、ここではないのかという、噂がある。倒されたヤツの魂が、飛んで行った方角とされるのが、このルーベンだ」

 俺も同じように、剣を振るってみる。

だがまだ十一歳の少年の体では、それについていけない。

筋肉のつききっていない細腕では、すでに剣の重みが増している。

あの時、俺がスアレスにやられたのは、最期に振り絞った肉体の動き。

それだけだ。

だから俺は、若く強い体を手に入れた。

「そこからさらに五年前、いや六年前だ。エルグリム亡き後に建てられた中央議会、大賢者ユファさまによる予言が、再びここに、エルグリムが現れたとしている」

「知ってるよ。それで騎士団が、こんな田舎町に派遣されたんだろ? 俺も去年検査を受けた」

「受けたのか!」

 イバンは急にその動きを止めると、心底驚いたような顔を俺に向けた。

「当たり前でしょ」

「それで問題ないと?」

 その予言を元に、魔道士体質の子供は、聖騎士団による身体検査を受けさせられている。

「そうだよ」

 当然だ。

そんなものを誤魔化すくらい、なんの問題もない。

イバンは剣を鞘に収めると、いきなり俺を高く抱き上げた。

「ならばもう、なんの問題もないじゃないか! お前を私が、立派な聖剣士に育ててやる!」

「やめろ! 俺は魔道士なんだ。冗談じゃない、離せ!」

「ははは。お前、これからちゃんと覚悟しておけよ」

「下ろせ! 下ろせよ」

「まぁ、イバンさま。私にも剣を教えてください!」

 しっかりと抱き上げられた腕は、どれだけ俺がもがいても、振りほどくことは出来ない。

「ビビさまは、フィノーラにでも習ってください。私はこれから、ナバロを教えるので忙しくなりますので」

「は? ビビさまに剣? 冗談じゃないわ。そんなのは、契約に入ってませんから!」

 自分の顔が、ひどく火照っているのが分かる。

ようやく地面に下ろされた後でも、まだ心臓は脈を打っている。

「フィノーラ! 私も、ナバロに負けてはいられません」

「だから、嫌ですって言いましたよね。絶対に教えませんから」

 イバンの手が、再び俺の頭に乗った。

「体調はどうだ? まだ続けられるか?」

「……。う、うん」

「なら、基本の訓練から始めよう。それと、やっぱり基礎体力作りからだ」

 イバンを見上げる。

彼は、何の疑いもない笑顔をむけた。

俺はそれに舌打ちをしてから、再び剣を握る。

イバンの特訓は、その言葉通り容赦なく、厳しかった。

病み上がりの初日だというのに、この男は加減を知らない。

ひとしきり汗を流し、ようやく夕食のテーブルについた。

体はもうクタクタだ。

疲れ切った状態で、食堂に入る。

豪華絢爛とはいかないが、丈夫な長テーブルに、清潔な白のクロスがかけられ、燭台や天上の明かりも、質素だが悪くない品だ。

 全員が席についたところで、パンと温かいスープが運ばれてくる。

よく分からない茹で野菜に、スライスして焼いたハムも添えられているのなら、まぁよしとするか。

テーブルの中央には、大きな魔法石の結晶が飾られていた。

「あぁ。これは上質な魔法石だな」

 乳白色に濁った淡い琥珀色の結晶は、光りを受け虹色に輝く。

「これをフィノーラと一緒に、カズへ買いに行ってたのよ。これなら私にも、摂取できるんじゃないかと思って。」

 ビビはうれしそうにはしゃいでいる。

イバンはそれを見て、ため息をついた。

「またビビさまは、そのようなことを……。必要以上に魔法石を摂取しても、魔道士の体質を持って生まれた者でなければ、なんの意味もないと……」

「上質な魔法石が、カズ村から見つかると聞いて、いてもたってもいられなくて……」

「これほどいい魔法石を飲んでも、その病は治らないのか?」

 やっぱりあの医術士はダメだな。

俺は人差し指をまっすぐに伸ばし、呪文を唱える。

魔法石の結晶が、パキリと折れた。

その破片は宙を漂い、手の中に転がり混む。

そのそら豆ほどの欠片を口に放り込むと、ガリッとかみ砕いた。

「お前、そんなことも出来るのか」

「まぁすごい。こんな細やかで器用な魔術は、初めて見ましたわ」

 ほんのりと甘い魔法石の欠片が、口の中に広がる。

「ね、お願い。私にも魔法を教えて、ナバロ」

「教わってどうする? 医者にでもなるのか」

 ビビは少し考えてから、首を横に振った。

「うーん、それもいいけど……。そうね、それよりは、もっと自由に動きたいの。上級の魔道士になれば、空を飛んだりも出来るでしょう? 色んな所へ旅に出てみたいわ。沢山もものを見て、知って、触れてみたい。読んだ本の中にある気色が本当かどうか、この目で確かめたいの」

 ビビの目はいつも、ここではないどこかを夢想していた。

「海が見てみたい。大きな川も湖も。高い山から見下ろす、広大に広がる景色も、沢山の森の木も。もう誰かからお話しを聞くだけじゃ、満足できないの。自分の足で歩いて、そこへ行って、何もない草原の上で、ずっと寝転がっていたい」

 夢ばかり見ているビビに、フィノーラとイバンは、深いため息をつた。

「それ、今日もやったのがバレて、さっき叱られたばかりじゃないですか。ナバロを診察した医師に」

「そうですよ。ビビさまはもう少し、自分の体調と体力をお考えください」

「ね、ナバロ! ナバロだって、自分の能力と体力の加減が分からないのでしょう? それで動けなくなってしまうのなら、同じではないですか」

「……。違う」

 三人の声が重なった。

「どうして!」

「ナバロはただの、やんちゃ坊主よ。体はまだ子供だから、魔法に耐えられるほどは出来上がってないけど、健康的に丈夫には出来ている」

「魔力を貯め込む能力は、常人とは桁違いですよ。自分でコントロール出来ていないだけだ」

「私とどう違うのよ!」

「全然違います!」

 フィノーラとイバンの愚痴は続く。

「大体さぁ、お嬢さま付きの侍女っていうから、何をやらされるのかと思ったら、ただのお守り役だなんて! 私はそもそも、治癒魔法は得意じゃないのよ。それなのに、しょっちゅう簡単に、どこででも倒れちゃってさ」

「私だって、簡単な魔法しか使えない。倒れたビビさまを館まで運ぶだけの、運搬係みたいな役は、もうゴメンこうむりたい」

「いいじゃないの、それくらい!」

「よくないです!」

 俺はそんな話しに気をかけることなく、一人で黙々と食事を続けている。

久しぶりにしっかり体を動かしたせいか、もうすでに眠気に襲われていた。

このまま延々とつまらない愚痴を聞かされていては、本当にここで眠ってしまいそうだ。

「私もナバロと一緒に、体力をつけます! 走るし、腹筋とか柔軟もやります」

「無理ですよ。とにかく私は、仕事とナバロで手一杯ですし。ビビさま用のメニューじゃないし」

「フィノーラ! 何とかならないの?」

「え~。そういうの苦手ー。契約にも入ってないしー」

「私も、冒険がしたいのです!」

 ガチャン! と、ビビはテーブルに拳を突いた。

静まりかえった食堂に、イバンの声が静かに響く。

「……。ビビさまの場合は、お父さまに許可をいただかないと……」

 そう言った彼を、彼女はにらみつけた。

「だから私は、誰からも……」

 不意に、廊下から騒がしい物音が聞こえてくる。

四人? いや、五人だ。

食堂の扉が開いた。

黒髪に顎髭を生やした大柄な大きな男だ。

後ろには聖剣士二人と、魔道士も二人いる。

魔道士のうちの一人は、昼間の医術士だ。